5/11に池袋の東京芸術劇場で行われた読売日響の定期演奏会に行って来ました。プログラムはプロコフィエフの交響組曲「キージェ中尉」とヴァイオリン協奏曲第1番、休憩をはさんでラフマニノフの交響的舞曲でした。指揮者はユーリ・テミルカーノフで、ロシア生まれだからロシアの音楽をってことで何の問題もないようですが、プログラムを見ると彼は「1938年にコーカサス地方、ナールチク生まれ」だと書いてあります。コーカサス地方なんて大雑把な括りで満足するのは政治音痴の音楽オタクだけで、黒海とカスピ海の間のカフカース地方はあのチェチェンを始めとして、地形も民族も細かく分かれ、政治的にもいろんな問題を含んだところです。で、「ナールチク」をググってみるとあきれたことにすべてテミルカーノフのプロフの記載とともに出てくるんですね。つまり、誰かが書いたのを敷き写してるんでしょう。
しょうがないなあって思って、ウィキペディアでカフカースの諸国を順に見ていくとロシア連邦を構成するカバルダ・バルカル共和国の首都がナリチクNalchikなんでたぶんこれでしょう(その後、彼自身のサイトで確認しました)。この国は名前のとおりカフカス系のカバルダ人とテュルク系のバルカル人の民族自治共和国だそうで、70万人しかいないのにかなり系統の違う民族から構成されています。ナリチクについては「1990年代のチェチェン紛争の結果、多くのチェチェン人難民が流入した。2005年1月末にはナリチク市内の住宅に立てこもったイスラム武装勢力が治安部隊によって殺害された」という記載があり、コーカサス地方というヨーグルトでも作ってそうな牧歌的なイメージとはかなり違います。
こうやって見ていくとテミルカーノフについてもナリチクを10代前半で出て、53年にレニングラード音楽院に入学し、88年にムラヴィンスキーの後任としてレニングラード・フィルの芸術監督・首席指揮者へと出世していくまでには音楽的才能とそれ以外の能力も必要だったんじゃないかと想像したくなります。……もしかすると91年にソ連が崩壊して損をした人たちの一人かもしれません。
で、肝心の演奏ですが、「キージェ中尉」はお話はおもしろいのに音楽はおもしろくないっていう私の偏見を変えるようなものではなかっただけでなく、まずいことに眠くなってきました。始まる前に少し食べたのがよくなかったのか、体調が思わしくなかったせいなのか。……冒頭の舞台裏で演奏されるコルネットしか印象に残りませんでした。
次の協奏曲は庄司紗矢香のソロで、とてもきれいな音色で正確に弾いていてこの曲の叙情的な面はよく出ていたんですが、それと交互に出てくる前衛的なパッセージは荒々しさが足りないと言うか、お上品過ぎると言うか、音量も不足していたような気がします。前回も述べたように3階席でも音が届きすぎるくらいのホールなのに。ここでも眠気が取れないで困ってしまいました。
休憩に入って階段を上ったり降りたりして、眠気を覚まそうとしますが、かえってふらふらします。風邪なのか疲労なのか、まずいなあって思ってるうちに後半が始まります。ラフマニノフのこの曲は聴いたことがなかったんですが、聴き始めると彼らしくない作品で好感が持てました。私の偏見ではラフマニノフらしいって、ロマンティックと言うよりはベタベタとセンチメンタルで自己陶酔的なやりきれない音楽って意味なんですw。
でも、こういう音楽ってどこかで聴いたことがあるなあ。大編成のオケを見ながら考えます。ピアノがあって、ハープが2台、マリンバ、銅鑼といった遠くからでもわかる楽器だけじゃなく、音色でピッコロ、バス・クラリネット、サクソフォーンなどなど、惜し気もなく管楽器が投入されているのがわかります。えーっと、えーっとって思ってたら、「あ、リムスキー・コルサコフじゃん」って思い当たって、おかしくなりました。この作品は1940年に完成した彼の最後のオケ作品で、しかも自作の引用が多いので回顧的な作品といった解説があります(当日のプログラムもそうでした)が、私の耳には全然そんなふうには聞こえませんでした。私にはアメリカで成功しようとしたラフマニノフが彼の地の好みに合わせた豪華絢爛で能天気なノリの音楽を書いたと感じられました。初演がオーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団っていうのもぴったりですし。
演奏はどんどん進んでフィナーレに向かってますます音量は上がっていきますが、こちらの体調は思わしくなくうつらうつらして、あらぬ幻想が混じったりします。だのにやっぱり音がうるさいほど硬い……いえ、今回は私の完全な体調管理の失敗、読んでいただいた方々に申し訳ないような内容です。でも、載せちゃうところがますます困ったものです。
しょうがないなあって思って、ウィキペディアでカフカースの諸国を順に見ていくとロシア連邦を構成するカバルダ・バルカル共和国の首都がナリチクNalchikなんでたぶんこれでしょう(その後、彼自身のサイトで確認しました)。この国は名前のとおりカフカス系のカバルダ人とテュルク系のバルカル人の民族自治共和国だそうで、70万人しかいないのにかなり系統の違う民族から構成されています。ナリチクについては「1990年代のチェチェン紛争の結果、多くのチェチェン人難民が流入した。2005年1月末にはナリチク市内の住宅に立てこもったイスラム武装勢力が治安部隊によって殺害された」という記載があり、コーカサス地方というヨーグルトでも作ってそうな牧歌的なイメージとはかなり違います。
こうやって見ていくとテミルカーノフについてもナリチクを10代前半で出て、53年にレニングラード音楽院に入学し、88年にムラヴィンスキーの後任としてレニングラード・フィルの芸術監督・首席指揮者へと出世していくまでには音楽的才能とそれ以外の能力も必要だったんじゃないかと想像したくなります。……もしかすると91年にソ連が崩壊して損をした人たちの一人かもしれません。
で、肝心の演奏ですが、「キージェ中尉」はお話はおもしろいのに音楽はおもしろくないっていう私の偏見を変えるようなものではなかっただけでなく、まずいことに眠くなってきました。始まる前に少し食べたのがよくなかったのか、体調が思わしくなかったせいなのか。……冒頭の舞台裏で演奏されるコルネットしか印象に残りませんでした。
次の協奏曲は庄司紗矢香のソロで、とてもきれいな音色で正確に弾いていてこの曲の叙情的な面はよく出ていたんですが、それと交互に出てくる前衛的なパッセージは荒々しさが足りないと言うか、お上品過ぎると言うか、音量も不足していたような気がします。前回も述べたように3階席でも音が届きすぎるくらいのホールなのに。ここでも眠気が取れないで困ってしまいました。
休憩に入って階段を上ったり降りたりして、眠気を覚まそうとしますが、かえってふらふらします。風邪なのか疲労なのか、まずいなあって思ってるうちに後半が始まります。ラフマニノフのこの曲は聴いたことがなかったんですが、聴き始めると彼らしくない作品で好感が持てました。私の偏見ではラフマニノフらしいって、ロマンティックと言うよりはベタベタとセンチメンタルで自己陶酔的なやりきれない音楽って意味なんですw。
でも、こういう音楽ってどこかで聴いたことがあるなあ。大編成のオケを見ながら考えます。ピアノがあって、ハープが2台、マリンバ、銅鑼といった遠くからでもわかる楽器だけじゃなく、音色でピッコロ、バス・クラリネット、サクソフォーンなどなど、惜し気もなく管楽器が投入されているのがわかります。えーっと、えーっとって思ってたら、「あ、リムスキー・コルサコフじゃん」って思い当たって、おかしくなりました。この作品は1940年に完成した彼の最後のオケ作品で、しかも自作の引用が多いので回顧的な作品といった解説があります(当日のプログラムもそうでした)が、私の耳には全然そんなふうには聞こえませんでした。私にはアメリカで成功しようとしたラフマニノフが彼の地の好みに合わせた豪華絢爛で能天気なノリの音楽を書いたと感じられました。初演がオーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団っていうのもぴったりですし。
演奏はどんどん進んでフィナーレに向かってますます音量は上がっていきますが、こちらの体調は思わしくなくうつらうつらして、あらぬ幻想が混じったりします。だのにやっぱり音がうるさいほど硬い……いえ、今回は私の完全な体調管理の失敗、読んでいただいた方々に申し訳ないような内容です。でも、載せちゃうところがますます困ったものです。
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なんかいろんなものがあるサイトです。
いい曲やね~1楽章の管のアンサンブル、きれい…
盛りだくさんな曲ですね。でも確かにラフマニノフって感じが薄くて、自分のものも含めていろんなとこのいいとこどりして、それが回顧的なのかなあ、なんて思っちゃいました。最後の作品にセンチメンタルな面より民族的な面が濃く出たようでもあるし。
全体に映画音楽みたい、とも思いましたが、2楽章なんてハリー・ポッターですw
演奏会に合わせて体調管理してるわけにもなかなかいきませんもんね、お大事に。
このコンサートは私もコンツェルト目当てで行きました。この日の演奏はなかなか良かったと思います。音量不足は私も感じていましたがオケの方の問題かと思っていました。
ちなみにこの日の私の体調はとっても良かったです(笑)
私も悔しいのでCD買って聴きました。NAXOSより安いのがあったし。……うんうん、映画音楽のようにも聞こえますね。民族的な味付けもちょっとおみやげ物ふうだし。
はしかは自然にかかりましたね。ぽけっとさんは?w
体調が万全だったら庄司さんの演奏ももっと楽しめたかなって気がしましたね。