夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

豆州が旅

2012-07-29 | diary
10時前に新橋発熱海行き東海道線普通電車に乗りぬ。
遅き出発となれるは何やかやと支度に手間取りぐずぐずとしたるが故なり。
しかれども一人暮らしにての一人旅なれば障りあるべくもなきことは客年の東北旅行と同様なり。
青春18きっぷなるものを購いてまず近場で試さんとの企みなり。
自動改札では使うこと不可なり。
1枚の券面にて5日間使うべきものであればさもあらんと得心す。

車内は満席ならずとも概ね埋まれり。
熱海までの間にいかなる仕儀となるや。
品川駅がヤードにて工事したるを眺めやりてJRは土地持ちなりと感じ入りぬ。
平日の午前なれば同乗の者どもは用ありとも見えず、用なしとも見えず、はなはだ曖昧な顔つきなり。
川崎、横浜と過ぎぬに悉く平凡俗悪な風景なれど卑俗なる生活の一端をば垣間見る心地す。
横須賀線なるブルー・クリームの車体と併走するに負けてはならじと声援を送るは幼き頃より変わらず。
運転手はかかる折り如何に思うやらん。
大船までの間、やや車窓に飽きてアイフォンのアプリなる広重が東海道53次を眺む。
かの浮世絵に地図と明治期の写真を組み合わせたるものにして興あるものなり。

藤沢、辻堂と過ぎぬに工場、物流センターをば多く望見したり。
茅ヶ崎、平塚、大磯、二宮、国府津に至りて漸く海山迫りて旅情めきたる。
さても東京は過ぎたる広さなり。
鴨宮、小田原、根府川より真鶴に至りて隧道多くなりぬは豆州の近き故ならん。
はたまた津の付きし地名多きも同様の由縁にして、塚、鶴もまた訛音かとは旅の妄断なり。

何故に文語体にてこれを綴るや。
車中の徒然に愛用せしノートに覚書を書き始むるや品川を待たずして自ずからかくなれり。
思えらく文語体は事実の羅列に適せり、湿り気多き口語体は無用の感慨を強いる向きあらん。
あながち衒学にあらず、単に一人旅の独白にふさわしきものにして、破格誤用も多かるべくも拘泥せず。
よりて旧仮名遣い、身に着かぬ漢語は用いず。



熱海に着到す。
乗り換え待ちありて駅前を瞥見するも炎熱に閉口す。
伊東線はみすぼらしき車両にして、高校生3人ほど乗り来たりて脚を投げ出し、床に座りぬ。
将来が望みなきを自ら顕わしたれば筆誅を加える要もなし。
伊東の一つ手前なる宇佐美にて下車す。
観光地は好まず、ましてや俗なるを俗なる吾人が見るべきにあらず。
ひなびた何もなきに等しき隣町こそふさわし。
閑散たる駅前通りの突き当りが浜なり。
唯一の海の家にて焼きそばを食し、生ビールを飲み干しぬ。
これパロディの類なり、人が少なきに依りて叶う業なり。



さほどゆるりもせで持ち来る水着に着替え、海に入りぬ。
名も知らぬ島影、霞たる青空、海は郷愁を誘うものなり。
半世紀の昔に左様な思い出などなきや、さらに遠き太古より流れ着きし幻やらん。
幾たりと真黒なる山の如き津波に押し流れしものならんにと苦笑するは客年の釜石の有様を見て以来のことなり。
ちゃぷちゃぷと波と戯れ、わずか泳ぎて波に攫われし。



一度上がり、シャワーをば浴びて休憩す。
煙草をふかし、海を眺め遣りぬ。
長袖の水着を着たる女子多しは大方日焼けを厭うが故ならん。
1時間ほどぼやけたる日光に晒されたれども肩のひりひりするを覚ゆ。
今一度海に入りて水浴す。
先ほどアプリにて検索せしによれば熱海に戻る電車は小一時間ほど後なり。
時間を潰すためのみに海に居るはおもしろくもなし。
ただ涼しきをもって良しとするのみ。
未だ陽は天頂にあり。
家にあれば時は矢の如きなれども、旅にしあれば蝸牛の趣きあり。


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