4/22の記事で書いたようにウィーンの美術史美術館は、お客さんのお伴で嫌というほど行ったのですが、昨年、ひさしぶりにウィーンを再訪したときもやはり行ってしまいました。なつかしい数々の名画の中でも、最も人口に膾炙しているのがこのブリューゲルの「雪中の狩人」(1565年)だろうと思います。この絵は同じく有名な「バベルの塔」と右の角隣り、さらに出入り口を挟んで、左には「農民の結婚」、「子どもの遊戯」、「幼児虐殺」と並び、ブリューゲルのファンにとっては聖地のようなコーナーでしょう。
この絵は、117×162cmとそれほど大きなものではなく、他のもだいたい同じようなサイズなので、「バベルの塔」なんかは意外に思う人も多く、「本物ですか?」と率直な質問をされた方もありました。いくらよくできた画集でも実物とはどこか違いますし、そのときの天候や見る側の体調とかでも違って見えると思いますが、初めて見るときの違和感というのはまた別のもののような気がします。そういうのが何度も見ていると消えていき、逆に複製は見る気がなくなってしまいます。
私は実物を前にしてくどくど説明するのは嫌いで、ゆっくり見てくださいっていう方がいいんですが、何か解説してほしいっていう人がほとんどでした。美術展でいちばん人気がある作品は、入口のごあいさつのパネルだというのが私の皮肉で、ああいうのは読んだことないですし、ましてやカタログを片手に鑑賞と言うより、点検みたいなことをしている人の気が知れません。ですので、自分の目で見るためのあくまで補助として、この絵であれば狩りが不猟に終わって犬もしょんぼりしていることやそうした近景と遠景のスケート遊びとのコントラストみたいなことを言うだけでした。絵画の解説でいちばん簡単で、聞いた人がわかった気になるのは構図です。空間芸術ですから構図は誰でも言われれば納得しちゃうんですね。
今は実物が目の前にないので、もう少し分析的なことを言うと、近景と遠景はリズミカルな木々と家並みでつながれていて、飛ぶ鳥が視線の方向を誘導しています。もっとすごいのが、ほとんど白と黒で描かれた大胆な色彩――冬の彩りのない風景をそのまま描いたということでしょう。さっき挙げた彼の他の作品もそうですが、印象派以前は脂っぽい色調がほとんどなのに、この絵は全くそういうところがなく、非常にモダンな感じがします。そうしたことで生み出される寒さという皮膚感覚が不猟というドラマを引き立てているわけです。
ブリューゲルの絵には「農民の結婚」のように解読しにくいものも含めて、明らかにドラマがあります。たぶん瞬間を切り取った絵の前後に起きることを想像させることによって、時間という要素を直截に取り込もうとしたのでしょう。優れた芸術家は自分の芸術分野にとって困難なことに取り組みたがるというのが私の考えで、空間芸術にとっては時間、平面の絵画においてはセザンヌやピカソが取り組んだように立体をいかに表現するかという問題が重要であったと思います。
コンサート会場や映画館で、カップルの男の方が女の人にいろいろ解説してるのを見たりしますが、あれも嫌いですね。だいたいは常識的なことですし、下手すると間違ってたりして、いらいらしてきます。相手の人は聴いていないのに、なんで他人の私が聴かなきゃいけないんだって。
トコロテンになった気分です.
絵をゆっくり見る暇もなく...
トコロテンは,健康によいというので,最近流行ってはいるんですが,
この場合は...
我々は、ふつうは先に複製に接して、イメージを膨らませているので、本物に触れるとかえって違和感を覚えるような気がします。特に外国の美術館だと人だかりもなく、何気に名画があるので、よけいそうだろうと思います。
つまり、本物の絵を一期一会の出会いとして、複製を手にとってペラペラと見るもしくは調度品として考えると、本物・偽物の相違と言うのが示されるようです。
中々示唆に富んだお話でした。