この作品はミュージカル映画史上の傑作と言われているそうで、フレッド・アステアの代表作でもあるようです。歌って踊って恋をしてという楽しく、肩の凝らない内容ですが、その味わいを深めているのはある種の苦味であるように思いました。
まずアステア演じる主人公は落ち目のダンサーです。ミュージカルの花形スターだった彼は有名ではあるものの使いにくい存在です。それを旧知の脚本家夫妻が今をときめくプロデューサー兼脚本家兼演出家兼俳優のジャック・ブキャナンに引き合わせる。平幹二郎にも似た風貌のブキャナンはアステアの持ち味と合わないようなファウストをテーマに置いた大げさなミュージカルを作ろうとする。‥‥
この1953年の作品はおそらく現実のアステアが得意とした小粋で軽いミュージカルが衰退し、大掛かりで豪華な舞台にとって代わられた現実を背景としているでしょう。何より「バンドワゴン」というタイトルは1921年に20歳そこそこのアステアの出世作であり、言葉としては行列の先頭の楽隊車のことで、人気のあるグループとか時流といった意味なんだそうです。
次にヒロインのシド・チャリシーは設定上もおそらく実際もクラシック・バレエの人で、かなりの素養のある人だと思います。でも、そのことを役の上でもアステアは嫌がっていますし、おそらく実際にもアステアはうれしくなかったでしょう。その理由は専門的なことはわかりませんが、バレエの大げさなところとか、上品ぶったところじゃないかなと思います。しかし、自分に合わせられる女性ダンサーがなかなかいない以上は仕方ないということもわかっていたでしょう。
でも、そんなこんなを全部自覚し、ぬけぬけと自分の立場や感情を映画の中に露出しながら、最後は自分の根っこであるヴォードヴィルやレヴューに近いようなミュージカルをやります。ストーリーの脈絡がつかめないような、でも楽しい曲がいっぱいのミュージカルを劇中劇として。劇中劇は大昔から劇やオペラで多く使われてきました。なぜそうなのかは面倒な議論になるので今はやめておきますが、機能としては「無理な話も許される」ということが一つあります。荒唐無稽なお芝居も劇中劇としてさらにくるんでしまえばいいだろ?好きにさせてもらうよ。‥‥アステアの苦みばしった笑顔が浮かんできます。
劇中劇ってほんとに使い方によってはおもしろいですね。
観客の世界も含めてどこからが現実でどこからがお芝居なのか、境目がエンドレスにありそうで、合わせ鏡の中を覗いてる気分。
合わせ鏡って言い得て妙ですね。2度ひっくり返せば現実そっくりになるような。。