僕の好きな人が好きな歌があります。
『レ・ミゼラブル』の中の「I Dreamed A Dream」っていう曲です。
男友達と今、久しぶりに電話していて、
ぽつりぽつりと語る彼の話を聞いて、
僕もぽつりぽつりと語っていって、
最終的に、「皆、寂しいんだね」って締めくくりました。
なんか、しんみりとした、静かな電話だった。
色々なことを経験して、今の、その人がいて、
その人にしか分からない通ってきた道のりがあって、
その全部抱きしめることができたらいいのに、
それは絶対に不可能なんだ、と現実に拒否をされます。
僕は人を好きになると、無償に、ぎゅっと抱きしめたくなることがあって、
前にも書いたけど、スキンシップの少ない日本では、とても歯痒い。
電話越しだったけど、
必死に今を生きようとしている男友達と、
肩を組んで、酒でも飲めたら、と思いました。
「I Dreamed A Dream」は、何故か最近よく口ずさむ曲で、
それは、僕が好きな人が「この歌が好きなの」って言ってたから、
いつしか僕も好きになっていた、っていうのもあるけど、
彼女がどういう想いを経験して、どういう道のりを辿って、
この歌を歌いたい、って思うようになったのかな? なんて想いを馳せてるのが、
楽しくて、嬉しくて、そして、
寂しいのだと気付きました。
闇の中で、一度離した手を、もう一度捜すのは困難で、
相手が僕の手を捜してくれているのか、
あるいは、僕の手に触れないように隠しているのかが見えないから辛い。
日本語の訳詩の中にある、
「待ち続けてるわ あの人の帰りを 愚かな幻 木枯らしが吹き消し
愚かな人生 今地獄に落ちて 二度と私には 夢は還らない」
って言葉の持つ孤独の意味を思い知らされる夜です。
欲しいものを「欲しい」と言う勇気よりも、
手に入れることの出来ない時の悲しみが大きい気がして、
一歩を踏み出せずにいる。
闇の中で手をしっかりと後ろに組んで隠しているのは、自分です。
あーあ、結局、寝不足解消できねぇ。
悶々と、「I Dreamed A Dream」をエンドレスでベッドの中で聴き入ろう。
『レ・ミゼラブル』の中の「I Dreamed A Dream」っていう曲です。
男友達と今、久しぶりに電話していて、
ぽつりぽつりと語る彼の話を聞いて、
僕もぽつりぽつりと語っていって、
最終的に、「皆、寂しいんだね」って締めくくりました。
なんか、しんみりとした、静かな電話だった。
色々なことを経験して、今の、その人がいて、
その人にしか分からない通ってきた道のりがあって、
その全部抱きしめることができたらいいのに、
それは絶対に不可能なんだ、と現実に拒否をされます。
僕は人を好きになると、無償に、ぎゅっと抱きしめたくなることがあって、
前にも書いたけど、スキンシップの少ない日本では、とても歯痒い。
電話越しだったけど、
必死に今を生きようとしている男友達と、
肩を組んで、酒でも飲めたら、と思いました。
「I Dreamed A Dream」は、何故か最近よく口ずさむ曲で、
それは、僕が好きな人が「この歌が好きなの」って言ってたから、
いつしか僕も好きになっていた、っていうのもあるけど、
彼女がどういう想いを経験して、どういう道のりを辿って、
この歌を歌いたい、って思うようになったのかな? なんて想いを馳せてるのが、
楽しくて、嬉しくて、そして、
寂しいのだと気付きました。
闇の中で、一度離した手を、もう一度捜すのは困難で、
相手が僕の手を捜してくれているのか、
あるいは、僕の手に触れないように隠しているのかが見えないから辛い。
日本語の訳詩の中にある、
「待ち続けてるわ あの人の帰りを 愚かな幻 木枯らしが吹き消し
愚かな人生 今地獄に落ちて 二度と私には 夢は還らない」
って言葉の持つ孤独の意味を思い知らされる夜です。
欲しいものを「欲しい」と言う勇気よりも、
手に入れることの出来ない時の悲しみが大きい気がして、
一歩を踏み出せずにいる。
闇の中で手をしっかりと後ろに組んで隠しているのは、自分です。
あーあ、結局、寝不足解消できねぇ。
悶々と、「I Dreamed A Dream」をエンドレスでベッドの中で聴き入ろう。