昨日、病院に行きました。
呆気ないほどの診察で、
「とりあえず」と安定剤をもらいました。
「人は24時間サイクルで生きるわけで、
48時間サイクルで生きてたら死ぬよ」
とか、
「記憶を無くすって末期よ。
乖離が始まってるよ」
とか、
「脳も体もキャパシティを超えてるよ」
とか。
正直慰めにもならなかった。
「休みなさい」
「わがままをもっと言いなさい」
と言われたって、
休みを取れるなら、
わがままを言えるのならば、
とっくに言ってる。
で、どうするの?
で、何をすればいいの?
という先はなかった。
ただ、症状が出た時に服用する薬を得た。
ちっぽけな自分が哀しくなった。
安定剤を握りしめて、
上司からの着信を会社携帯に出て、
クレームの話を聞いたり、
明日から何をどうしたらいいかを聞かれたり。
「ちょっと待って」と。
余裕なんてない。
でも何よりも、能がない。
デリカシーもない。
疲れ果てたって、吸われる一方だ。
親友と会った。
病院よりもよっぽど救いだった。
美味しいものを食べ、
「これからどうしていこう」と話し、
「とりあえず生きていよう」と別れ、
素直にありがたいと思った。
そして今、通勤電車に乗っている。
淡々と職場へ向かっている。
いつもと同じように頭は働き、
いつもと同じように体も動くだろう。
ただ、恐怖が残る。
いつまで普通にいることができる?
いつ爆発してしまう?
多分、どこかの馬鹿が馬鹿なことを一言言えば、
簡単に爆発してしまう。
そのくらいのたやすさだ。
母親は言う。
十分頑張った、と。
自分を大切にしなさい、と。
仕事を変えても、職場を変えても、
自分が一番大事なのだから、と。
有楽町はいつも通り、
混んでいる。
紛れ込んで逃げてしまいたくなる。
それができないのは責任感か。
すべてを先読みする性格と頭が憎らしい。
馬鹿になりたい。
呆気ないほどの診察で、
「とりあえず」と安定剤をもらいました。
「人は24時間サイクルで生きるわけで、
48時間サイクルで生きてたら死ぬよ」
とか、
「記憶を無くすって末期よ。
乖離が始まってるよ」
とか、
「脳も体もキャパシティを超えてるよ」
とか。
正直慰めにもならなかった。
「休みなさい」
「わがままをもっと言いなさい」
と言われたって、
休みを取れるなら、
わがままを言えるのならば、
とっくに言ってる。
で、どうするの?
で、何をすればいいの?
という先はなかった。
ただ、症状が出た時に服用する薬を得た。
ちっぽけな自分が哀しくなった。
安定剤を握りしめて、
上司からの着信を会社携帯に出て、
クレームの話を聞いたり、
明日から何をどうしたらいいかを聞かれたり。
「ちょっと待って」と。
余裕なんてない。
でも何よりも、能がない。
デリカシーもない。
疲れ果てたって、吸われる一方だ。
親友と会った。
病院よりもよっぽど救いだった。
美味しいものを食べ、
「これからどうしていこう」と話し、
「とりあえず生きていよう」と別れ、
素直にありがたいと思った。
そして今、通勤電車に乗っている。
淡々と職場へ向かっている。
いつもと同じように頭は働き、
いつもと同じように体も動くだろう。
ただ、恐怖が残る。
いつまで普通にいることができる?
いつ爆発してしまう?
多分、どこかの馬鹿が馬鹿なことを一言言えば、
簡単に爆発してしまう。
そのくらいのたやすさだ。
母親は言う。
十分頑張った、と。
自分を大切にしなさい、と。
仕事を変えても、職場を変えても、
自分が一番大事なのだから、と。
有楽町はいつも通り、
混んでいる。
紛れ込んで逃げてしまいたくなる。
それができないのは責任感か。
すべてを先読みする性格と頭が憎らしい。
馬鹿になりたい。
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