This Is The Way I Am

ただし。が、気まぐれに、日常にて考えていることを綴ってみます。

セロリ

2007年07月19日 03時53分10秒 | Weblog
「育ってきた環境が違うから すれ違いは否めない」


って歌詞を書いたのは、彼の天才的なセンス故だろう。


いつも何気なく口ずさんで、
その言葉の持つ重みに気付かされる。
頭を殴られたような衝撃の後に、視界がはっきりとしてくる。
その繰り返しに慣れることはない。

結局、自分と全く同じ人間は、この世にはいないのだ。



昔、親しかった人が言った。
「私は他人が自分の思い通りにならないのが嫌なの」


あるいは別の人が言った。
「あなたの言葉の意味が全く分からない」



分かり合いたいと思えば思うほど、
溝の深さに気付かされて、愕然とするけれど、
感じてしまった溝を飛び越えようと鍛える脚力は、
年齢に限りなく、衰えを知らないものだ。
あるいは橋を架ければいいのだろう。
テクニックはなくとも、自分なりの道を気付けばいい。
手を伸ばすことに税金はかからない。



諦めに似た悟りに蹴りをつけよう。
もともと独りよがりの哲学に過ぎない。
人生はそれだけでは生きては行けない。
at lease 僕の人生はバラ色でなければならない。



果たして何人の人が、今まで自分を知ろうとしてくれただろう。
そして、果たして何人の人を、今まで自分は知ろうとしてきただろう。
数の多さや少なさを指折り数え上げるつもりはないけれど、
答えは自ずと現れるだろう。
目の前にいる誰も彼もが、結局は目の前に残ってくれた人々なのだ。
彼らに感謝を忘れずにいなければならない。
感謝をして、し過ぎてしまうことはない。



いつだって枠にはまらない自分が、
傍から見たら真っ直ぐな道を歩いてきている。

それは間違いなく彼らのおかげだろう。

色をぼかしたって、結局、白は白さを忘れず、黒は黒さを忘れないのだ。
僕の色は何も変わらない。
ただ、ぼかしたり、薄めたり、濃くしたりを繰り返す。それだけだ。

誰にも染められずにいた黒の時代を水に流せたのは、
透明無色の水が、そこに流れていたからだ。
それにも感謝をしなくては。
勿論、冷たさに関わらず、飛び込んだ自分の勇気もひっそりと讃えたい。

そして、赤と青が混じって紫になるように、
今の色を作り上げてくれた人達に、いつだって感謝を述べていたい。
パレットなんて無くとも、交わることに痛みを感じても、
その後に訪れる新しい命と世界の誕生に、感激を表せないことはない。



分かろうとしてくれる人の数だけ、そこに救いがあるのなら、
怖いものを数えるよりも、その先にある光を数えたい。
遠く光る星の姿は、肉眼では見えないけれど、
確かにそこに存在していることは、信じていなければ意味がない。





何が言いたいかと言うと、
結局、セロリが僕は好きなのだ。

そして、食べる時は、いつも口の中で縦割りだ。
繊維の走る向きと垂直に噛んでしまえば、苦味が走る。



人生もそれに然りと同じ。

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