This Is The Way I Am

ただし。が、気まぐれに、日常にて考えていることを綴ってみます。

ときどき立ち止まって考える

2010年11月19日 08時50分19秒 | Weblog
僕は偉くなったのか?



「頭の悪い人には堪えられません」

「頭の悪い人の思考は理解できるけど、
 改善できない理由が分かりません」



そんなことを思っていて、
それを発言するようになってしまった。



取締役とかに。





人、個人は悪くはない。

環境と状況が悪い。

考える癖を付けさせないのが悪い。

明確なビジョンがないのが悪い。

コンセプトが共有できていないのが悪い。



…でも、それって誰のせい?って話で。





僕は何と闘っているのだろう。

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2 コメント

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Unknown (tomo)
2010-11-21 11:24:37
9割親のせいだと思う。
考える力、行動力などいきてくうえで必要な力は子供のうちに養われ、その生きる力を摘むも育てるも親が大きく影響を及ぼすのに、それを知らない親が多過ぎる。
『あれをしちゃダメ。こうしなさい。なんでゆうこときかないの?』など、否定的な言葉が多すぎる。
それがゆえ、子供は親の顔を見て行動するようになると、行動力がない子が育つ。のろのろ支度をする子に早くしなさい。といってもその子の気質というモノがある。それは残念ながら、今の時代では変えることは出来ない。当然兄はテキパキして、おなじように育てても弟は遅かったりしてしまう。だから、親がその子のい合わせてあげないといけない。例えば靴を履くという作業。親は早くして欲しかったり大変そうだから、手伝ってあげようと思って手を貸す。子供にとったら、一つのチャレンジなのに、楽をすることをそこで学んでしまう。ヘルプをされて育っとチャレンジ精神が育たなくなる。
命にかかわらなければ、親は子供をヘルプしてはいけないんだって。でも、サポートをしてあげないと愛が育たない。
ピアノとかを学ぶと、予測力、記憶力が養われる。


そんな感じで環境や気質、親のしつけによって性格が決まっていくから、どんな環境で育ったのか、重用になってくる。
残念ながら、ただしの思うように人は変われない。
『先を考えて動こう。』といっても、できる人は出来るが出来ない人は真似る力がなきゃ出来ない。

そんな感じ。
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環境だと思う (ただし)
2010-12-02 19:13:31
僕は「親」に限らないで、それを「教育」と定義づけたいんだ。親なんて当たり前のようにいそうで、実はいないことだって多くって。とすると、結局、その人を取り巻く「環境」に原因があるのかな?って思う。

じゃ、「環境って何だろう?」って考えると、それはきっと周りにいる人間なんだよね。

学校だとか会社だとか、それぞれのソサエティとかコミュニティとかがあって、そこで人が育っていくのならば、育てる環境に責任があるのではないか?と思うわけで。
「今年の新卒、使えねー」と先輩社員が呟く前に、「その新卒に仕事を教える人を責めなさい」、って思うし、その教える人を責める前に、「じゃぁカリキュラムとか風習とか、そういうものを見直しなさい」って思うんだよね。人を憎むのではなくて、その人を形成させてしまった環境を憎みなさい、と。

靴を履くのが遅くって、でも親が急かしているなら、早く履ける靴を揃えましょうっていう提案で。で、自信を持ち始めたら、ちょっと履くのに労力のいる靴を買い与えればいいじゃない。

「靴を履く」作業の中で、ちょうちょ結びが苦手なら、靴を履く状況でない時に、ちょうちょ結びを練習させればいいじゃない。結果、靴をスムーズに履けるようになったら褒めればいいじゃない。そんなことを考えたりする。

僕はきっと頭がすごく良くて、でも、同時に、救いがないほど物分りが悪いところもあって、それは何で?って考えたら、僕にそのことについて考えさせよう!っていう周りの努力が足りないんだと思う。
同じことを自分にも言えるけどね。僕の周りにいる人の考える力が弱いなら、それは僕の責任でもあるわけで。

じゃぁ、どうしたらいいの??っていうエンドレスな問答です。人間を育てられるのは人間でしかないのなら(勿論、他の生き物や物体から学ぶことも多いけど)、人間同士が育て合える、鍛え合える環境を作り出しましょう、って。

そんな感じ。
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