最近、自分の持つブランドについて、よく考えます。
僕が持っているブランド品ではなくて、
自分自身の、「渡辺整」というブランドについて。
やはり、どうしたって仕事のことが多いのだけど、
「渡辺整」が何かをする、ってどういうことだろう?と。
昔担当していたクライアントからクレームの電話があって、
「渡辺さんが担当していた頃に、会社の株が上がったけど、
いなくなって、また一気に評価が下がったよ」って。
先日、一緒に食事した昔のスタッフからも言われました。
「え? 僕は何も特別なことをしていないよ?」っていう驚きと、
「でも、その『当たり前のこと』が出来る人が少ないよな。
そりゃ、僕の価値は上がるよな」っていう冷静な分析と。
当たり前に、いいことを(人が喜んでくれること)をしていれば、
皆が幸せに近づいて、いいサイクルができるはずなんだけどね。
それで感謝されるんだから、僕としては楽です。
でも、それを褒められるってことは、
この世の中に、同時に、不具合を生んじゃう人が多いんだろうね。
む。
そんなことを考えています。
ならば、「渡辺さんがやります(した)」という事実というか実績を、
どこまでありがたく思ってもらえるかが勝負だな、と。
ある意味、信頼とか信用とか、期待とか、
そういう、すべてを統合した「ブランド」をどうしていくか、だな、と。
まぁ、大学時代に音楽作品作ってた頃から変わらないけど、
自分の名前を背負っている以上は、
ちゃんとしたことをやっていかないといけないな、という責任感。
あるいは、自分に課した期待感。
それを、社会の中で、どうやって広めていけるのか、という問題。
まだまだ思考と試行の繰り返しです。
僕が持っているブランド品ではなくて、
自分自身の、「渡辺整」というブランドについて。
やはり、どうしたって仕事のことが多いのだけど、
「渡辺整」が何かをする、ってどういうことだろう?と。
昔担当していたクライアントからクレームの電話があって、
「渡辺さんが担当していた頃に、会社の株が上がったけど、
いなくなって、また一気に評価が下がったよ」って。
先日、一緒に食事した昔のスタッフからも言われました。
「え? 僕は何も特別なことをしていないよ?」っていう驚きと、
「でも、その『当たり前のこと』が出来る人が少ないよな。
そりゃ、僕の価値は上がるよな」っていう冷静な分析と。
当たり前に、いいことを(人が喜んでくれること)をしていれば、
皆が幸せに近づいて、いいサイクルができるはずなんだけどね。
それで感謝されるんだから、僕としては楽です。
でも、それを褒められるってことは、
この世の中に、同時に、不具合を生んじゃう人が多いんだろうね。
む。
そんなことを考えています。
ならば、「渡辺さんがやります(した)」という事実というか実績を、
どこまでありがたく思ってもらえるかが勝負だな、と。
ある意味、信頼とか信用とか、期待とか、
そういう、すべてを統合した「ブランド」をどうしていくか、だな、と。
まぁ、大学時代に音楽作品作ってた頃から変わらないけど、
自分の名前を背負っている以上は、
ちゃんとしたことをやっていかないといけないな、という責任感。
あるいは、自分に課した期待感。
それを、社会の中で、どうやって広めていけるのか、という問題。
まだまだ思考と試行の繰り返しです。