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日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

坂本龍馬の 陸奥宗光あての手紙

2018-09-25 21:32:56 | 坂本龍馬

                  
                           
                  陸奥 宗光 
 (ウィキペディア)

〔手紙88〕
陸奥宗光あて 慶応三年八月十六日
坂本龍馬

彼吉田の千両を以て、家を御求の御論 おもしろ(面白) そふなれども、
是必、前門の虎は退ぞけしに後門の狼の入り来り候咄しならんか。
はたして大兄ニも御見付ハ無キ事と奉察候。
草々、奉早々頓首。
      十六日  
                                                         楳  
 陸奥大先生  

〔手紙105〕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

陸奥宗光あて  慶応三年九月十三日 
坂本龍馬

三四郎及、龍も一所に大兄の御咄し相聞しに、
芸州の方へは別段に三四郎が参るに不及かのよふ存込ミ居候。


然ニ今日右よふの手紙が参り候得ば、
もし つがふ(都合) あしくはあるまいかと存候へバ、御相談申上候。

今日は三四郎も病気に候得バ、たれでも代人つかハし候間、御同行奉頼候。
御帰り次第、佐々木の宿ニ御成奉願候。早頓首。
   十三日
                              龍

    〆   楳太郎

    奥陸(ママ)元二郎様
                            左右 

〔手紙115〕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陸奥宗光あて  慶応三年十月二十二日
坂本竜馬  

此書や加七来りて是非手紙かきて、陸奥先生に送りくれよと、
しきりにそふだんゆへ、目前ニしたゝむ、かしこ。

御案内の沢やの加七と申候ものゝ咄、(是ハ御手下のひしや某が聞得所なり。)

度小弟ニ参り相談致し候。

某故ハ仙台の国産を皆引受候て、商法云云の事なり。
小弟が手より金一万両出セとのこと也。

上件を是非と申相願候間、商法の事ハ陸奥に任し在之候得バ、
陸奥さへウンといへバ、金の事をともかくもかすべし。


然る右よふの大金をスワというて出すものにてなし。

よく/\心中ニもわかり候よふ、陸奥に咄し致しくれ候よふと申聞候所、
加七曰ク、仙台の役人及河内の郷士ら相会し候得バ、
加七が自から下坂と云わけニハまいらずゆへ、
陸奥先生義(ママ)早上京の上、右人々に御引合奉願候との事なり。

此上よく 御考合可成(おかんがへあはせなさるべく)候。

小弟ガ論ニ竊(ひそか)ニ大兄に言、
目今御かゝりの丹波丹後の一件云々
大坂四ツ橋大仏や門前御談の事万 不忘(わすらるべからず)、
十分右の所に御心お御用第一なり。
右のよふ御用心、先は早頓首。

   十月廿二日  
                                    龍
      元二郎先生
             御本


〔手紙120〕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

陸奥宗光あて  慶応三年十一月七日 
坂本龍馬 

追白、御手もとの品いかゞ相成候か、
御見きりなくてハ又 ふの(不能) と相成。

世界の咄(はな)しも相成可申か、
此儀も白峯より与三郎より少うけたまハり申候。
此頃おもしろき御咄しもおかしき御咄しも実に/\山ニて候。かしこ。

 

拝啓。
然ニ先生此頃御上京のよし、諸事御尽力御察申上候。

今朝与三郎参、咄聞候所、先生の御周旋ニて長崎へ参り候よし、
同人の事は元ト大(太)郎が船の引もつれより、
我々共御案内の通のセ話相かけ候人ニて、
ことに海援隊外の者ニも在之候。


先生御一人御引うけなれバよろしく候得ども、隊中人を見付ケ且、
長崎ニ於、此度取入候屋鋪(やしき)ニて養なふなど少御用心無之候得バ、
近(ちかく)立行カザルの御セ話がかゝり候と存候。

小野生らが一条にかゝる事ハ小弟ラ多少の儀論(ママ)有之候。
先承り候ニ付、早一筆さしあげ候。
  十一月七日
                                  謹言 
     〆 
                                後ト丙丁中

 四条通室町上ル西側沢屋御旅宿
 陸奥源二郎様 
                                才谷楳太郎
           御直披 
      内用ナリ御独見 

 

〔手紙120〕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陸奥宗光あて  慶応三年十一月十三日(推定)
坂本龍馬

一、さしあげんと申た脇ざしハ、まだ大坂の使がかへり不申故、わかり不申。
一、御もたせの短刀は(さしあげんと申た)私のよりは、よ程よろしく候。
        (但し中心(なかご)の銘及形。)

  是ハまさしくたしかなるものなり。
    然るに大坂より刀とぎかへり候時ハ、見せ申候。

一、小弟の長脇ざし御らん被成度とのこと、ごらんニ入レ候。


 十三日 
                                                                            謹言。 
陸奥老台  
                                                                         自然堂 拝  


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