日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

坂本龍馬関係文書 『三吉愼蔵日記抄 坂本龍馬に係る件』 毛利家乗抄録

2021-01-19 22:05:09 | 坂本龍馬

坂本龍馬関係文書
 『三吉愼蔵日記抄 坂本龍馬に係る件』

       



毛利家乗抄録

慶應二年正月廿三日藩士三吉愼藏伏水の旅舎に闘ふ
 是より先き命して京懾間の情を細作せしむるなり
 附記 士佐の人坂本良馬曾て赤馬關に来寓し愼藏之と交る
 是夜良馬と供に伏水の旅舎に投す寇あり
 暗に舍を圍む二人樓上に在て之を覺らす

 良馬の妾會ま浴室に在り變を見て裸體馳せ報す
 數人從ひ登る愼藏槍を操り之を拒かんとす 
 敵燭を掲く其光り我を射て梁れ見えす 

 槍暗中を鏦(刺す、ほこで刺す)す 
 敵火盆を擲つ火散し敵を認む 頗る衆多なり
 良馬も亦た短銃を發し之を狙す
 機輸一回六弾既に盡く 再ひ装はんとす 輪墜っ
 之を索む敵白刄薄り擎っ
 良馬爲めに手を傷つく
 愼藏槍を揮ひ叫闘し敵披靡す 
 良馬も亦た隻手銃を装ひ追て階下に乱發す
 敵死傷し退く 

 二人急に樓壁を穿ち屋瓦を傳ひ他の二戸を鑚り遁れて木材の積む所あるに會ひ
 其架際に潜匿す
 敵も亦た大炮を引き再ひ來て旅舍を圍み二人を索む
 獲す遺す所の一囊を攘めて去る
 時に夜已に闌はなり

 愼藏曰く到る處道路目を以てす
 逃避術なし徒らに敵手斃れんよりは寧ろ茲に潔死せんとのみと
 良馬曰く否然らす
 予は直ちに當地の薩邸に行け
 途中敵に遭ひ、奮死し止むのみ
 天殆んと白からんと遲疑すへからす 
 予は姑らく茲に潜み若し敵の踪するあらは命を抛たんと
 
 愼藏其言に從ひ架を下り竊かに衣血を川流に澣き弊鞋を拾ひ穿ち旅客に扮して辭し別る
 行く五町許薩邸の門を叩き名を通す 
 留監大山彦迎へ入れ 
 曰く昨夜の變嚮きに良馬か妾来り状す
 未たその後況如何んを知るを得す
 兄今ま此厄を免れ来る
 實に天幸と謂っへしと 

 乃ち愼藏を邸に留め急に舟を艤し薩徽の〇(不明?)を樹て
 壯士兩三名と共に櫓して良馬の潜處に抵り迎へ還り
 亦た邸に留む愼藏佩ふる所の囊金を悉くして良馬に投し醫治の資に供す
 邸監更に其門を嚴守せしめ直に使を馳せて西郷吉之助に京師に報す
 吉井幸補馬を馳せ来り訪ふ 倶に京の事情を語る 

 尋て西郷氏兵一小隊に醫師を附し来て二人を療衛せしむ 
 留監は更めて新衣を服せしむ 
 午後に至り伏水市尹數吏を邸に差し二人を索む
 留監〇(不明?)を答へて在らすと為す

 二月朔日幸輔西郷氏の旨を承け來り夜に乗じて二人を京師の邸に伴ひ遠還る
 亦た護送するに一小隊を以てす 
 西郷氏即ち迎へ入れ晤語する舊識の如し
 時事の得失奏議の可否及ひ志士懇接等の談論一も薀秘する所なし
 二人居ること久し

 矣遂に薩長兩藩同心協力王政復古の準備を謀るか爲め
 西郷小松桂等の諸氏を首とし各自先っ疾く其國に歸るに決し
 二人を伴ふて大坂より出帆す

 三月七日愼藏は馬關に揚り良馬は薩州に向ふ 
 八日愼藏 勝山に復命し経歴する所の情状を具す

 九日愼藏に命し徑ちに山口に怟り慶親公に謁し時事を上具せしむ
 公之を嘉みし親しく新刀一振を賜フ 

 十六日勝山に復命す 公賞祿貳拾石を増給す

追録 
 良馬は明年十一月十五日を以て其徒石川淸之助と共に京師に暗殺に遭ふ
 曩に多年勤王の大志を抱き東走西馳國事に鞅掌す 
 特に海軍諚置の急務なるを慮り
 同志を募りて海援隊を長崎に編制し軍艦を購して其術を廣張す

 挫來必す馬關港に由り屡しは有志に就キ慷慨時事を説く
 公之嘉賞し贈るに短刀(備前吉光)を以てし且つ扶助する所あり
 又た愼藏の家に留寓す淸之助も亦た屡しは來藩す 
 良馬死するに及んで遺言に因り其妾愼蔵に来寄す
 愼藏厚く之を遇す因て扶持米を補給す

 後ち海援隊の諸士愼藏等と相謀り妾を上佐の國良馬か姉の家に護送せり 
 維新の後に至り朝延二人の生前に功あるを賞し其遺族に恩禄を賜ふ 




 

 



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