四王天延孝 著『猶太思想及運動』
第三章 猶太民族の宗敎
第3節 タムルード
強烈な内容在り
・・・・・・他民族切捨御免
・・・・・・タルムードを巡る裁判事件
・・・・・・ペトリューラ暗殺事件
・・・・・・他民族の宗教は破壊する
・・・・・・國法に反抗を命ずる場合あり
前節で述べたトーラーはユダやの神の啓示であつって本筋のものであるが、
之以外は口碑傳説であつて残って居たものを書き綴ったと称するトーラーに幾倍する浩瀚なるものがタルムードである。
編纂の年次はキリスト以後5世紀に亘り参与した高僧知識人500人に上ると傳へられるもので、
内容は神學、哲學、科學から禅問答の様な部類もありて雑多なものである。
衛生の部では酒を呑んだ後に必ず水を呑めとの注意もあれば、
夕食を取って寝につく時には右脇を下にしなければならぬとの教へ迄ある。
難解の部類になるとユダヤ人自身でも一頁読むのに一週間かかるい所がある。
或る寺に行って番人にそこに並べてあるタムルードは何十冊あるのかと聞くと實際のことは判らんと等へた。
元来キリスト出現の後世は滔々としてその教に帰依し始め、
事によるとユダヤ秋は崩壊するのもあつたと見え、
特にユダヤ民族の自画自賛が高調され、キリスト教徒をこき下す文句も盛られてある。
餘り激しいので他民族との葛藤が起り、非難攻撃を浴びる様になり、
西暦1264年以後、所々書き改めるの止むなきに至った部門もある。
そこで英譯などにして出版したものには温健な部分丈を十冊に縮刷したのがある。
今最も激烈なタムルードの部分を西暦1923年4月12日紐育ヘラルド新聞が發表した所により抄録すると
(文中ゴイとあるはユダヤ人以外の人々を指すのである)
リツプル・ダヴィデ書三十七に
如何なる事物に拘わらず、
宗教上の秘密をゴイ漏らしたものは凡て凡てのユダヤ人を殺すと同等である。
何となればゴムイ(註ゴイの複数)が若し吾々の教ゆる事柄を知っならは、
彼等は公然吾々を殺すべきであるからだ
サンヒードリン59のアボダゾラ6乃至8、ザギガ13に
タルムードを研究するゴイと之に研究方法を授くるユダヤ人は凡て、葬り去るべきものである
パパメチア114の6に
汝等ユダヤ人は人間であるが、世界の他の國民は人間に非ずして獣類である
シュルハンアルクのシヨツッエン・ハミツパット
他民族の有する所有物は凡てユダヤ民族に属すべきものである、
故に何等の遠慮なく之をユダヤ民族の手に収むること差支なし
トセフタ、アプダ・ザラ8の5に
ゴイがゴイ又はユダヤ人を殺した場合には其の責任を負ふべきであるが、
ユダヤ人がゴイを毅した場合には責任を負ふペきもので無い
別の出所であるが
ソナゴーグ、ユダイカ212頁、ミンハギン23頁、クライー、シャイム480頁には蹹越節の前日稱へる経文として
主よ、吾は汝を信ずることなく又其の御名を称へざる諸國民の上に汝の怒を現はさんことを希ふ、
彼等の上に汝の怒りを蒙らしめ給へ、
彼等を汝の怒によりて 屈服せしめ給へ、
彼等を汝の思によりて逐び散らし、彼等を粉々に砕き給へ、
オヽ主よ、彼等の骨を凡て抜き取り給へ、
汝の民族に敵するもの凡てを瞬時に破壊し給へ、
此等の國民を根より抜き去り、之を散せしめ、殲滅せしめ給へ
彼等を破壊し給へ、殲滅せしめ給へ、即刻に!
誠に非道なことが書いてあるが、タルムード全部がこんな文句で理まってゐるのでは無い事勿論である。
又書き直したのもあって筆者が先年北満のユダヤ寺院で見たタルムードには之等を削除して「官憲検閲済」の判が押してあった。
書き直さないのは和蘭のアムステルダムの一ヶ寺と米國の某寺にあると云ふ話であつた。
併し書き直したと言ふてもまだ相當なものであることは、左の事實を見て明かである。
西暦1937年10月11月に互って瑞西國の愛國者ルグリン等4名が、
ユダヤ人が段々ドイツから入り込み、横暴になるのを恐れて國民に對する警告の意味で宣傳ビラ5萬枚を印別し、
ローザンヌ市の商業関係者大會の席上で出宿者に配布し、
且つ多数商店の飾窓に貼付した處、其の地方のユダヤ人會から代表者を立てゝ裁判所に告訴した。
其の宣傳文は愛國者諸君
諸君は皆危機に苦しみ、失業、貧困、物価騰貴に悩んでゐるであらう。
今や須く三省して次に述べる所を塾路せられよ。
ユダヤの経典タルムードにて、本年4月商工業者保護の委員會で述べたが、抑々タルムードとは何であるか。
タルムードとはユダヤ人の一種の民法であるが、何を教へてあるかと言へばこう言う事が書いてある。
“人間は獣類よりも優秀であると同様に、
ユダヤ人は地球上の如何なる他民族よりも優秀である”
又
神はユダヤ人に凡ての方法を用ひ、
詐僞、強力、高利貸、窃盗によって基督教徒の財産を奪取することを命ずる“
(以上タルムード、オルデイン一ノトラクト一ノデイスト4)
端西人諸君!
労働農民商工業者諸君!
ユダヤ資本主義の奴隷たらざらんとせば、又祖先以来の獨立を保持し、
父祖の土地に立派に自由に生活せんとせば、
ユダヤ人等が昔からやって居た通りに外國人に立戻るべきである。
吾々は吾々の土地の主人として居る爲に一同叫ぼうではないか
ユダヤインターナショナルを倒せ
ユダヤ資本主義を倒せ
而して端西人の端西たらしめよ !!
之に對する判決文は次の如くであった。
ローザンヌの裁判所は石ユダヤ人の告訴を受理して之を法律に照らして審理したが、
被告等はユダヤを悪くする為にその不利なる又は虚構の推定をしたのではなく、
唯タルムードの本文を抜粋し之を以てユダヤ人は此の國では再び外國人となる希望を開陳し、
そしてユダヤインターナショナルとユダヤ資本主義とに對する商業者の警戒を促したるに過ぎない。
又タルムードは昔から今日迄ユダヤ人の教養書として道徳的、宗教的法典として傳つてゐるのであるし、
被告の引用した文句はタルムード聖典の中に存在するが、
之を公にすることはユダヤ人にとっては甚だ不愉快のことではあろうが、
之を公にすることを禁止する譯にはまえらぬ。
又ユダヤインターナショナル及ユダヤ資本主義に對して警告を與へたけれども、
被告等は特定の個人、法人、團體の名誉を棄損したものでは無い。
何となればインターナショナルやユダヤ資本主義と云ふものは無人格の存在であるからである。
此くて印刷物を用ひて捏造誹謗の宣傳をなしたとの罪は構成せられない、
依て被告4名は之を免訴し、
裁判費用は國家の負担とする』
之を以て見ても、
タルムードの中に今猶吾々から見て頗る穏やからない文句の存在することが、白日のもとに暴露されたのである。
又前記トセフタ、アプダ、ザラにユダヤ人が他民族を切り捨てゝもであると云ふ様なことがあって、
今日では此ゝる事は有り得べからざる事の様に常識では考へられるが、
ユダヤ人の勢力を占めて居たフランス國などでは、筆者が先年巴里滞在中に實際起ったのである。
即ち西暦1926年の5月24日に巴里の大學街の角のレストーランから昼食を済ませて出て来たのは
元ウクライナの大統領をした亡命白系露人アタマン・ベトリューラであった。
豫て之をつけ狙って居た一人のユダヤ人シュワルツワルトと云ふ金銀宝石商を度世をとし、
前科一犯の無政府主義者が後ろからベトリューラと呼び留めた。
振り廻るのを見て人違いなしと認めてブローニングで一發間近から命中弾を浴びせて、
よろめく所を尚も残弾を發射して全く絶命するのを見て莞爾として駆け付けた警官の前へ拳銃を投げ出し、
獣類を一つ撃ち止めましたと逃げ隠れもせず從従容として縛についた。
其の裁判は翌年末迄巴里で輿論の渦紋の中で行はれた。
犯行の動機はベトリューラがウクライナで政権を執っていた間に約十萬のユダヤ人が殺された。
其の責任はベトリューラの負ふべきものだから復讐の意味で之を斃したと云ふのであつた。
喚問された証人の中にはベトリューラの元副官もあって、
ペ将軍は寧ろ虐殺などしてはならぬと言う命令まで出して居る証言があったけれどんも、
犯人を無罪にせねばならぬので、
有名な左翼専門辯護士のユダヤ人トーレスと言うのが出て、法廷を反ユダヤ封じ宣傳場と化し、
盛に虐殺の責任をペトリューラに被ぶせ、
その結果最後に陪審員5名が30分間程協議して犯人シュワルツヴルトは無罪の結論に達し、
判決もその通りなり、彼は法廷から青天白日の身となって帰宅した。
實に文明國の首府の眞中で動機は如何にあろうとも、
凶器を以って謀殺を遂げたものが此の如きタルムード経典の文句通り責任は問われなかったのである。
之に味を占めたか今から3年前の11月7日の革命記念日に同じ巴里に於て、
僅か17歳ななる波蘭生まれのユダヤ青年グリンツパンと云う者が、ドイツの大使を暗殺すべく同大使館に出頭し、
大使に面會が出来ないので代て面會した三等書記官男爵ラツト君を射殺した事件がある。
犯人の申立てによれば、
ドイツ國がユダヤ人を虐待するから全世界のユダヤ人の名に於て報復したのであつた。
之に對しても検察の求刑は僅かに4か月であつたが結審に至らない内に欧州大戦が勃發すると、
彼グリンツバンは従軍を願出で、お馬先逃亡でもするか、許されなくとも裁判官の心証を善くすることに努めたが、
其の結果に就いてはドイツ軍占領下であり而もドイツの外交官を殺したのであるから
シュワルツヴァルトの場合の様には行くまいと思われる。