日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

笠井孝著『裏から見た支那人』 金錢慾

2024-10-04 20:15:44 | 中国・中国人

    笠井孝著『裏から見た支那人』

 



 金錢慾 

ニタリ、ギヨロリ・・・・・二圓に負けろ・・・・・賣國 
・・・・・火事場の水・・・・・掛け値・・・・・俥屋・・・・・親善論・・・・・金故に 

ニタリ、ギヨロリ
 支那人の利己心は、一種特別の存在であって、
彼等を驅って、一生を利欲の爲めに棒げ、金錢の爲めに、死生を賭するに至らしめて居るのは、
徹底して居ると云へば、云ひ得らるる。

 彼等が學問をするのは、官吏とならんとする為で、
官吏になるのは、不當利得の最捷徑と考へて居るからでである。

 最近でも、官吏の間には、何処の局長は一萬圓、何処の縣長は六千圓とうふ風に、
金で売買される習慣があるが、
不當利得があればこそ、何萬圓かの金を出してまでも、官職が売買される譯である。

 人情なく法律なき個人本位、これが支那の實情であり、
金以外には、親子すら頼むに足らないと云ふのが、ホントウの支那の社會状態である。
従って自然に、明けても金、暮れても金と、
金の亡者になるのも、また已むを得ないと云はなければたらぬ。

 支那人の理想は、福、禄、壽の三つで錢ある。

『出門大喜』とか『發財』『生財』と云ふ字句が、
新年早々から、門口に貼られるが、
新年の挨拶に、取り交はされる芽度い言も、金のことが多い。
發財とは、金が殖えるといんことで、
彼等の一生の理想であり、祈願である。

 從って支那人は銀貨、銀塊、馬蹄銀など、金錢を非常に喜び、
心から歓迎する風が見える。

 彼等は先天性の愛錤家で、銀貨を見た時のウレしさうな顔つきは、また特別である。
 ポンと投げ出された銀貨の顔を見ると、支那人は、丸で別人のやうになり、
必らずニタリと、顔の相格を崩して、心から嬉しさうな風が見えると共に、
眼の色がギロリと光る。

 何んだか猫が、魚を狙び當てたやうた有様が、アリアリと見られる。

 また支那人は、銀貨の眞偽を確めるめに、一々これを叩いて見る癖があるが、
一圓銀貨を、ポンと机上に投げつけて、チーンと響くその余韻を聞く時の、
それはそれは嬉さうな彼等の顔は、トテも外では見られない図であり、
金錢に執著心の強い彼等を知るものは、思はずゾッとさせられるのである。
  
 
二圓に負けろ
 彼等は金錢に特に敏感であるのに、
一方に於いては、或いはまた餘り金錢に敏感である爲め、
錢を見たら、勘定が解らなくなるのではあるまいかと、思ふことさへも屡々ある。
支那人は勘定高いくせに、禅坊主めいた茶人味がある。
   
 いま假に五圓と七圓と八圓の骨董品をヒャかしたとする。
私がこれを四圓と、五圓と、六圓と、合計十五圓に負けさせようとしても、
決して負けるものではないが、
この場合、一圓銀貨を、ゾロリ十三枚出して、品物を引っ抱へて行くと、
彼等は金は欲しいし、負けたくはないし、
思案の揚げ句、眼の前の銀貨に眠が眩んで、
十五圓にも負けられたいと頑張った品物を、十三圓でオーライと遣るのである。
何んと妙な心理の民族ではあるまいか。

 『明日の百圓よりか、今日の一錢』と云ふこともあるが、
彼等の心理状態は、これを眼のあたり體験した人でなくては、釋然たり得ないものである。
 
 支那の一口話に、死者が水を呑みながら、指を二本出す。
上から救助船が三本出す。
『三圓出せ、助けてやるぞ』『イヤ二圓に負けろ』と云ふ場面があるが、
咋今これに類似の實例は、イクラでもある。
 
 私もイクラ支那人でも、マサカそんなことはあるまいと考へて居った一人であるが、
現に上海のバンド(河岸)で、瓜形の板や、舢板(シャンパン)や、舫子(ホウヅ)が、
渡船などの溺れた者の宿の廻り集まって、
水の上から、救助料の談判をして居るのを、時々見たことがあり、
成るほど水死の間際まで
まで、金の談判をし、
救助料が決まらなけりや、引上げないのだなと、ツクヅク感心したことがある。
 
 
賣國
 日露戰
爭の時、法庫門で、或る百姓が、金をシコタマ腰に巻き付けて、逃げ惑ひながら、
遂に井戸に陥ち込んだ。
 他の百姓が『五十圓出せ、助けよう』と談判をしたが、
トウトウ談判不調に終って、彼は哀れにも、水死したと云ふ實話がある。
  
 金錢欲を通り越して、金錢に執着をすることは、愛錢の極であるが、
支那人には、相當の知識階級でも、金の問題になると、国の爲めにも、人の爲めにも、
鐚錢一文すら出さないのが普通である。

 これは愛國を高調する彼等有識階級と交際しつつ、
ツクヅク我々の體験させられる實例であり、
まことにイヤな思ひ出であるが、

彼等の愛國や、愛民は、やはり利欲の範囲をでないのであることを、
私は屡々満喫させられ、痛感させられた一人である。
 
 従って支那人は、金が欲しさに、
事の祕密を特ち出したり、政府の物を、費ったりすることは、
別に罪悪とは考へないやうで、皆一廉の知識階級が、平気でこれを遣って居る。
 
 否、金故に、國利、國權を売る政治屋の絶えないばかりか、
二元、三元の金で、自分の妻、妾に、窃かに春をヒサがせのが、チョイチョイある。

 これは何れの國でも、教育のないものには、絶無ではない現象であるが、
支那人は相常の地位あり、産を持ちながら尚これを遣るのであるから、
全く恐入つて終ふ。
 金にさへなれは、支那人は何んことでも遣ると見て、間違いないのである。
  
 
火事場の水
 彼等が利欲にかけて抜け目がないことは實に恐るべく、全く三嘆させられる。
南方では、木材家屋が多い為め、家事も相當火の手が早いが、
上海や、杭州では、火事場にセッセと水を運んで、一桶三錢、五錢に売って居る男がある。

人の生死の境に、金で水を賣るヤツも、賣るヤツだが、
不気でこれを見てゐ
るヤツも、見てるヤツだと、云ふ感想が禁じ得られない。
 
 だから金にさへなれば、十仙やれば、柳の鞭で類つべたを叩かせる、
などと云ふのは、支那人では能くある例である。
  

 ハルピンで、友人が、車夫が生意気だと、
トウトウ腹を立てて、イキナり横っ面を一つ喰はして、叩き賃だと、
十仙投げ出したところが、十仙になるのなら、
こちらも一つ叩いて呉れぬかと、反針側の頬つべたを指さしたと云ふ、
嘘のやうな實話があるが、成るほど支那人に有りさうなことだと、
思はず小膝を叩かざるを得ない。

 警察官吏の腐敗せることは、賄賂の項に於いて述べるが、
地獄の沙汰も金次第。

 監獄は、金のないヤツは歡迎されない。
また未決監は、金の有りさうなヤツを繋いで置く所で、
まだ官憲
との搾取取引をの談判の決まらない、金のありさうなヤツが、
取引の決まるまで、繋いで置かれる所だと見てよい。
 
 斯う云ふ譯だから、
支那の司法制度、警察制度などは、これまた金錢欲を離れて、
観察の出来ないものである。
 
 上海の會審衛門あたりを見て、支那の法備は備われりと考へたり、
治外法權撤去すべしと考へるのは、西洋人達の大間違ひである。
 アレは外國人に見せるめの裁判所であって、
外國人に見せる爲めの監獄であって、
ホントウの支那監獄は、モトモト酷いものである。
 
 英人エー・イー・リリアスの『南支那の彩帆隊』と云ふ本の中に、
香港の英國監獄の記述があるが、
アレを更に酷くしたやうなものが、眞相である。

 またさらに見逃がし得ないことは、
支那の警察は何かと口實を設けて、金の有りさうなヤツを警察に拘留し、
その釈放料を搾るのが、本業であると見てよい。
併しこれ等のことは、また別に述べることにする。
 
 斯くて政治家に搾られ、兵隊に搾られ、土匪に搾られ、響察官に搾られる國民が、
何にして金を貯蔵し、知何にして貧乏な風を装ふべきかと云ふことに、
苦心するのは、無理からぬことであり、気の毒なことでもある。
 
 このやうにして支那人をヒネくれさせ、猜疑心や、責任回避や、利己本位たらしめたことは、
當然以上の當 当然である。

 だから彼等が率直でないのと、利欲に強いのはで、當然で、
如何なる場合にも駆け引き遣ることを忘れない。

 和手の顔色を見て、一元のものも、二元と云ったりする。
骨董屋の知きは、百元、二百元と云ひ出すが、
客の方で買び度くもないやうた風で、根気よくこれをネギると、
トウトウ二元、三元に負けて終ふ。

 これはタトヒ五元でも、八元でも、
少しでも餘計に収入があれば、それだけ天佑であると
、彼等は考へて居るが爲めであって、
品物そのもの、實際的価値が、幾何であるかは、
彼等の問ふところではないからである。
 
 骨董以外の他の如何なる商品でも、最近の最新式大商店を除く外は、
一割、二割の掛け値のあるのが通常で、
然うかを思ふと、反對に客の面子を立てて、負ける場合なども色々あり、
駆け引き多い民族である。

 以上の習慣は、常習的であって、
為めに田合人は、往々汽車賃を値切ったり、
郵便切手代を負けろと云ふやうな珍話を、沢山に製造し、
支那人のなごやかなユーモア的半面が窺はれるが、
一面支那人が、如何に金錢欲敏感であるかと云ふことと、
到るに處に掛け値、駆け引きがあることに感心させられるのである。
 
 だ
から普通支那では、品物を買ふには、
成るべく、欲しくも
ないやうな顔をせねばならぬ。
売らなけりや、買うて遣らないぞと云ふ態度で、
一度門口まで出て終ふ必要がある。
斯んな時アワてて、後から呼び止められても、
『負けるなら仕方がない。
 要らないものだが、買って量遣かはすか』と云ふ態度が入用で、
實は、喉から手が出る程しい場合にも、この態度を厳守することが、大切である。

  
俥屋 

 外交交渉などにも、
この種の駆け引きが、屡々必要なる手段として、
行はれるのだから叶はない。

 例へば支那の俥に乗ることは、馴れないものには、確かに一苦労である。
最初に俥の値段を決めて置かないと、金を遣る時には、決まってユスリを吹きかける。
 
王なす汗を流して、イキセキ切って駆けるのを見ると、
日本人はツイ気の毒になって、五仙のところも、七仙遣り度くなる。

 すると彼等は、その七仙を、イキナリ大地に投げつけて、
十仙ヨコせと、高飛車に出るのが常である。
彼等の心理から云へば、五仙のところを、七仙も呉れるからには、
この男は金特か、土地不案内か、俥の相場を知らないか、それとも馬鹿であらう。

 何れにしてもこの際、
取れるだけ取るべしと考へてイキナリ七仙を投げつけて、
十仙ヨコせと云ふのである。

ロシア人も
『支那人に白歯を見せるな、笑顔をするな』と云って居るるが、
これは至言である。
 
 支第人はすぐ増長するから、
支那人に對するには、苟しくも哀憫の心を起してはならぬ。
七仙、八仙は遣りたいところを、
心を鬼にして、先づ五仙やり、ものの一町もついて来たら、
その時にさらに一仙やる。

まだ足りなければ、矢張りついて來るから、
また半町も行った時に、いま一仙を投げてやる。

この辺が大體同情心の境目である。
俥屋は後に殘した俥と、前に行く客とを、平々に眺めながら、
ゾロゾロ俥の方が心配になると、そこでヤッと諦めて、
後へ歸ると云ふのが常態である。
 
 日本人の心理から云へば、
コンな可袁想なことを仕たくもないが、
然うでもしなけりや、彼等は何處までツケ上るのか、
分らないのだから、致方がない。
 
 
親善論 
 能く世上では、ワンポツ親善論を唱へる人がある。
ワンボツとは、上海に於ける黄包車(人カ車)のことである。
ワンポツに一仙づつ、定価よりも餘計に遣ることは、
やがて彼等をして日本人を理解させ、日支親善が、それから芽生えて來るといふ見解なのである。

 私も、支那に最初來たころは、
この心持で、この主義にも、衷心同感だった一人である。

 社會的にも、階級的にも、平等なる支那人に對しては、
大總統も、ワンポツも、一視同列で扱って善い。
 だから先づワンポツ階級と、親善になることは、
やがて四億の民と、親善になることであると、私は考
へて居たのである。

 ところが四億の民が、皆ワンボツ階級だと、私が考へたごとは、
今でも眞理であり、毫も間違ひでないが、
この増長限りない漢民族に、
親善を求めようと考へたことは、明かに私の誤算であったことが分った。


 そこで近来私は、私の支人待遇法を改正して居る。

 それは先づ俥屋に、私が正當だと考へる定額だけ遣る。
然して若し彼れが、文句を云うた時は、黙ってその中から、一仙を取戻す。

 さらに文句を云ったら、また一仙を取戻す。
尤もこれは日本租界でしか出来ぬことであるが、
兎も角も斯うすると、ワンポツは、日本人に対しては、ツケ上りや、頑張りは、結局自分が損をすることを、
ハッキリ認識することになる。


 斯くして四億のワンボツに、
日本の取るべき態度と、ワンボツの踏むべき途を、理解させることが出来る。
白刄を咽喉に擬して、白刄か、金かを理解させることが、
四億のワンボツに對する、情味ある裁決であらねばならぬと、
私は考へるやうになった。
 
 話が妙な方へ脱線したが、
漢民族の金錢欲と、駆け引きを、研究することは、
やがて我が國對支外交の踏むべをを、見つけることに、なりはすまいかと、考へて居る。
 

金故に 
 さらに蛇足であるが、
支那では、旅行中でも、自宅の使用人にでも、如何なる支那人にで
も、
金の所在を見せることは、禁物であり、生命掛けである。

 日本の強盗は、白刃を突き付けてるけれども、
支那の強盗は、イキナリ殺して置いて、ポケットに手を入れるのが、常套手段であり、
常人でも、人を毅すことは朝飯前で、
極めて殘忍なことを平気でするから、気をつけねばならぬ。
 
 総ての階級の支那人に對して、金の所在を見せると云ふことは、
何等かの手段で、金を取られるか、
生命までも危険に導くものであることを、心に刻んで置かなければならぬ。

 大正九年歐洲戰爭の時、
北京を追び立てられた一ドイツ人は、十七年間育てあげた、仔飼の親愛なる支那人ポーイから、
出發の前夜に殺された。

 それは抽出にあった、タッタ四百圓餘りの有金をサラって、逃げんが爲めなのであった。

 また河南の鄭州で、一フランス人の妻であった某日本人は、
多年家事一切を委せてあったそのボーイの爲めに、
偶ま主人の不在中に、見るも無慙な殺し方をされて、
ポーイは、豫め目星をつけて置いた簟笥の有金二百圓と共に姿を隱して終った。
 
斯んな例は、枚擧に遑ないほどで、徳川時代の講談ものでも読むやうな感がする。


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