日本の心

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大東亜戦争の責任は我にあり 東條英樹 「宣誓供述書」(全文)その13 十一月五日の御前會議及其の前後 

2023-12-23 12:05:40 | 東條英機  

                          パル判事の碑文 (靖国神社)


東條英機 宣誓供述書 


              東條英機 
(ウィキペディア)

11月5日の御前會議及其の前後

 

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 前に述べた通り私が組閣の大命を拝受したとき
天皇陛下より平和御愛好の大御心より前に申した通りの「白紙還元」の御諚を拝しました。

 依て組閣後、政府も大本営も協力して直ちに白紙にて重要国策に対する検討に入りました。
10月23日より11月2日に亘り縷々連絡会議を開催し、
内外の諸情勢に基づき純粋に作戦に関することを除き、
外向、国力及び軍事に亘り各般の方緬より清朝審議を重ねました。

 その検討の結果米側の10月2日の要求を斟酌して、
先ず対米交渉に関する要領案を決定したのであります。

 是は後に11月5日の御前会議決定となったもので
其の内容は法廷証第七七九号末段と略ぼ同様と記憶します。

 

   84

 次で此の対米交渉要領に依り日本お今後の国策をいかに指導するかに付
更に審議を尽くし最後に3つの案に到達したのであります。

 第一案は新たに検討を加へて来たる対米交渉要領に基づき日米交渉を続行する。
而して其の後の決裂に終わりたる場合に於ても政府は堅忍自重するといふのであります。

 第二案は交渉をここで打切り、直ちに開戦を決意しようというのであります。  

 第三案は対米交渉要領に基きて交渉を続行する。
 他面交渉不成立の場合の戦争決意を為し、作戦の準備を為す。
 そして外交による打開を12月初頭に求めよう。
 交渉成立を見たるときは作戦準備を中止する。
 交渉が決裂したときは直ちに開戦を決意す。
 開戦の決意は更めて之を決定するのであります。

 

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 以上各案について少しく説明を加へる必要があります。
 第一案について言へば米国の12月2日の案を其のまま受諾することは出来ぬとうふことは了解できる。
又従来の米国政府の態度より見て今回の対米交渉要領、
よりするも外交交渉に依る打開といふことは、
米国に於いて其の態度を変更せざる限り或は不可能かも知れぬ。
 
即ち決裂となることなしと保証できぬ。
 
 然し縦令決裂に陥りたる場合に於ても直ちに米英と戦争状態に入ることは慎重なる考慮を要する。
それは我国としては支那事変は既に開始以来4年有余となるが、而も未だ解決を見ぬ。

 支那事変を控えて更に対米英戦に入ることは、
日本の国力より言ふも、
国民の払う犠牲より言ふと、之を極力避けねばならぬ。

 今は国力の全部を支那事変の解決に向けて行きたい。
故に日本は外交決裂の場合に於ても、直ぐに戦争に入らず、臥薪嘗胆再起を他日に期すべきである。
 
 次の理由は国民生活の上よりするも、
亦支那事変遂行の途上にある今日、軍需生産維持の点よりいふも、
今日は至大なる困難にある。

 而して最も重要なる問題は液体燃料の取得である。
これさへ何とか片付けばどうにか耐へて行けるものではあるまいか。
それ故人造石油を取上げ必要の最小限の製造に努力しようではないか。
それ故人造石油を取上げ必要の最小限の製造に努力しようではないかと言ふことでありました。
  
 此の案に対する反対意見は
国家の生存に関する物資は米英の封鎖以来致命的打撃を受けて居る殊に液体燃料に於て然りである。
もし此の儘推移すれば、就中、海軍と航空は2年半を出でずして活動は停止せられる。
之は国防上重大なる危険である。
支那事変の遂行もために挫折する。
 
 人造石油の問題を其の設備の急速なる増設により解決し得るならば之は最も幸いである。
依てこの点に関し真剣なる研究を為した。

 その結論は日本はその1ケ年の最小限の所要量を400万噸とし、
之を得るためには陸海軍の軍需生産の重要なる部分を停止するも
4年乃至7年の歳月を要するとの結論に到達した。
 
 此の期間の間は貯蔵量を以て継がなければならぬのであるが、
斯の如き長期の間貯蔵量を以てつないで行くことは出来ぬ。
 
 そうすれば国防上重大なる危険時期を生ずる。
且つ軍需生産の重要部分の停止といふことは、
支那事変遂行中の陸海軍としては、之を忍ぶことは出来ぬ。

故に此際堅忍自重、臥薪嘗胆するならば日米交渉の継続中作戦上の準備を進めて行けば宜しいではないか。
寧ろ、かくすることに依り米国側の反省に資することも出来る。

又、斯くして置けば開戦決意の場合にも何等作戦上支障がなくなるのではなかといふのであります。

 

  87

 第三案、即ち交渉を継続し他面交渉不成立の場合戦争決意を為し作戦の準備を為す案の理由は
前記第一号二案を不可とする理由として記述したものと同一であります。

 

  88  

 連絡会議に於ては結局第三案を採ったのでありますが、
決定に至るまでの間に一番問題となつたのは前記第一案で行くか、
第三案で行くかといふ分かれ目でありました。

 11月2日午前2時に一応第三案に決したものの出席者中の東郷外相、賀屋蔵相は之に対する賛否は留保し、
翌朝に至って両人共第三案と決した同意して来たといふ経過でありました。

 

  89 

 此の案に付いては更に連絡会議に於ては第三案の主旨に基き
今後の国策遂行の要領を決定し必要なる手続きを経て後に
1941年(昭和16年)11月5日の御前会議で更にこれを決定しました。
これには私は総理大臣兼陸軍大臣として関与したのは勿論であります。

 これが11月5日の「帝国国策遂行要領」といふのであります。
此本文は存在せず提出は不能であります。
此の要旨は私の記憶によれば次の通りであります。
 (弁論側証二九四六号)  

 第一、要領は現下の危険を打開自存自衛を完うするため対米英戦を決意し、
別紙要領甲乙両案に基き日米外交交渉に依り打開を図ると共に
その不成立の場合の武力は発動の時期を12
月初頭と定め陸海軍は作戦準備を為す。  

第一 尤も開戦の決定は更めあらためてする。乃ち12月初頭に自動的に開戦となるわけではない。
第二、独伊との提携強化を図り且つ武力発動の直前に泰との間に軍事関係を樹立する。
第三、対米交渉が12月初頭迄に成功せば作戦準備を停止する。 
 といふのであります。

 右の中第一項に別紙として記載してあるものが前記証第七七九号末段である甲案乙案であります。
之を要するに我国の自衛と権威を確保する限度に於て甲乙の二つの案をつくり
以て日米交渉を進めようとしたのであります。
 
 その中の甲案とといふのは
9月25日の日本の提案を基礎とし
既往の交渉経過より判断して判明したる米国側の希望を出来るだけ取入れたる最終的譲歩案であって
慎重なる3点につき譲歩しております。

 其の要旨は法廷証第二九二五(記録二五九六六)にある通りであります。
 
 乙案といふのは甲案が不成立の場合に於ては
従来の行きがかりから離れて日本は南部仏印進駐以前の状態へかへり、
米国も亦凍結令の廃止其他日本の生存上最も枢要とし緊急を要する物資取得の最小限度の要求を認め
一応緊迫した日米関係を平静にして、
更めて全般的日米交渉を続けんとする者であります。
 其の要旨は法廷証一二四八号にある通り出会います。

 

  90

 右深刻なる結論を1941年(昭和16年)11月2日午後5時頃より
参謀総長、軍令部長と共に参内しました。

 その際天皇陛下には吾々の上奏を聞し召されて居られましたが、
其の間陛下の平和愛好の御信念より来る御心痛が切々たるものがある如く
其の御顔色の上に拝察しました。 
  
 陛下は総てを聴き終られ、暫く沈痛な面持ちで御考へでありましたが、
最後に陛下は
「日米交渉に依る局面打開の途を極力尽くすも而も達し得ずとなれば、
 日本は止むを得ず米英との開戦を決意しなければならぬのかね」と
深き御憂慮の御言葉を洩らされまして、

 更に
「事態言ふごおくであれば、作戦準備を進むるは止むを得なからうが、
 何とか極力日米交渉の打開を計って貰ひたい」 との御言葉でありました。
   
 
吾々は右の御言葉を拝し恐懼した事実を今日も静かに記憶して居ります。
 斯くして11月5日の御前会議開催の上更に審議を尽くすべき御許しを得たのでありましたが、

 私は陛下の御憂慮を拝し更に塾考の結果、
連絡会議、閣議、御前会議の審議の外に、
更に審議検討に手落なからしめ陛下の此の御深慮に答ふる意味に於て
11月5日御前会議に先立ち更に陸海軍合同の
軍事参議官会議の開催を決意し、
急據其の御許しを得て11月4日に開催せらるる如く取り運んだのでありました。
 
 此の陸海軍合同の軍事参議官会議なるものは
1903年(明治36年)軍事参議官制度の創設せられてより初めての事であります。
  



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