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大東亜戦争の責任は我にあり 東條英樹「宣誓供述書」(全文)その21 俘虜處罰法、空襲軍律、泰緬鉄道の建設 

2023-12-25 17:32:11 | 東條英機  

                                      パル判事の碑文 (靖国神社)
 
    
東條英機 宣誓供述書 

 
              

俘虜處罰法
 

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 俘虜処罰法は1943年(昭和18年)3月に改正せられました。
(法廷証一九六五号英文二九頁以下)改正の理由は二つあります。

其の一つは右俘虜処罰なるものは明治38年(1905年)に制定せられたものでありまして、
明治44年(1907年)制定の現行刑法は以前の罰則の種類及刑名を用ひて居ります。 

 二つは俘虜処罰法は日露戦争當時制定されたものでありますが、
今次の戦争に於ては日露戦争當時と異なり、
俘虜の民族も複雑であり国籍もいろいろで
殊に人員数は比較にならぬ程多数で事柄が複雑多岐となつて居ります。
それ故これが管理取締に一段の改正を加ふる必要に迫られたのであります。

 

 134 

 今、俘虜処罰法改正内容の重なるものを述べますれば次のようであります。
 
 第一は俘虜監督者に対する暴行又は反抗の罪、
   多数共謀して為す逃走の罪、及宣誓違反の罪の規定を整備致しました。

 第二は新たに俘虜の多数集令、
   暴行脅迫俘虜監視者に対する殺傷脅迫、
   侮辱及不服従の行為を目的とする結党の各行為を罰する規定を設けました。

 右等は孰れも寿府条約準用の趣旨に基くものであつて
条約に抵触するものではないと認めて立案せられました。

 

空襲軍律 

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 空襲の際、陸戦法規違反の行為ありたる者に対する取扱いは
 陸密第二一九〇陸軍次官の依命通牒に規定して居ります。
 (法廷証一九九二号)此の通牒の動機は次の通りであります。

 1942年(昭和17年)4月18日「ドーリットル」機の東京地方空襲の際、
国際法規に違反せる残虐行為がありました。


斯くの如き私人に対して行われたる残虐行為は
既に国際北上の戦時重罪行為とせられて居つたことは言ふを俟らませぬ。
   
 斯る行為を将来に防止することは国内防衛上特に緊急な利との要求が起こりました。
又二面に於ては将来の空襲に於ては
飛行機搭乗員に対する憎悪心より現地軍隊の過酷なる虐殺を取締ることが極めて重要なりと考えました。

 之がため裁判に附しその行為が真に国際法規に違反せりや否や十分審議したる後、
処理すべきことが必要になりと考へました。


 以上の見地に基き1942年(昭和17年)7月に此の通牒が発せられ他のであります。

 此の通牒を基礎として同年8月には支那派遣軍総司令官の名に於て
「敵航空機乗員処罰に関する軍律」なるものが制定せられて居ります。
  (法廷証一九九一)

 此の規定は陸戦法規慣例、空襲法規案を集成したもので
新たなる規定と言わんより寧ろ今までの規定の原則を表現したものであります。

 

  136

 1942年(昭和17年)4月18日内地を空襲し、
国際法に違反して残虐行為を為した搭乗員に対する処罰は
前項の軍律に照らし上海に於て設定した法廷で全員8名に対し死刑を宣告致しました


 その執行については予め命ぜられたところに依り現地より大本営に報告して来たのであります。
参謀総長はその判決通りに全員に対し死刑の執行を為すよう陸軍大臣に協議して来ました。

 私は陸軍大臣として豫て天皇陛下の日頃の御仁茲の聖慮を拝して居りますから、
内奏の上、その内5名については減刑の措置をとつたのでありました。

 

泰緬鉄道の建設  

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 泰緬鉄道建設の目的は在「ビルマ」日本軍隊への補給の目的と
泰國及「ビルマ」両国間の交易及交通の便に供すると畏怖にあります。
 敵潜水艦の海上場交通の破壊は特に陸上交通を必要としたのであります。

 此の鉄道は参謀本部の命令に依り建設せらるることになりました。
私は陸軍大臣として参謀総長の建設命令の協議に応じ之に同意を與へました。

 本鉄道の建設に當り労務の関係上得陸軍大臣の統括下に在りし俘虜の使用については
私は同意を與へたのであります。
本鉄道は戦線より遥か後方に在り又その付近に當時何等作戦行動はなかつたのであります。
 
 即ち本鉄道建設の作案は「ヘーグ」条約
並に寿府条約に俘虜の労務として禁ぜられて居る作戦行動とは認められず、
又此の地方は南方地域一帯の通常の地域であつて不健康地ではありません。
 且つ日本軍隊も俘虜其他強健な人種同様に多数之に使役せられたものでありまして、

 本鉄道建設は俘虜の労務として禁止せられた不健康又は危険なるものとして
国際水準を超えた労務なりと攻撃せらるべしとは考へて居りませんでした。
 

  138

 本鉄道建設作業の指導は直接には参謀総長に於て為されたのでありますが、
私は陸軍大臣として俘虜の取扱に関し統括者たるの行政上の責任を持つて居りました。

 本鉄道建設に従事しました俘虜の衛生状態及取扱方につき不良なる点がありとの報に接し
1943年(昭和16年)5月、濱田俘虜管理部長を現地に派遣し
その観察を為さしめました又医務局ゆおりも尋問軍医を派遣しました。

 なほ俘虜の取扱につき不當の点のあった中隊長を軍法会議に附したこともあります。
なほ鉄道建設司令官を更迭したことも曾て証人若松只一中将の証言した通りであります。

 

俘虜処理要領及び俘虜収容所長に與へた訓示 

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 曾て証人田中隆吉は1942年(昭和17年)4月下旬の陸軍省の局長会報に於て
上村俘虜管理部長申出であった、
俘虜処理要領(法廷証一九六五号英文三〇項末段以下)に決裁を與へたこと
並に此の俘虜処理要領が俘虜に強制労働を命ずるものであることを証言致しましたが、
之は非常なる間違いであります。

 此の俘虜処理要領は強制労働については何等命令も為されず、示唆も與へて居りません。
之は本要領の文章が之を示しています。
右証人の陳述は右証人の独断的解釈
であります。

 俘虜労務規則(法廷証一九六五英文十四)が示すように
将校たる俘虜はその発意に基き労務に服する道が開いてあります。
又此の要領は局長会報に於ても審議したものではなく又議決したものでもありません。
上村俘虜管理部長の起案したものに私が決裁を與へたものであります。

 右要領も俘虜収容所長に私が與へた訓示(法廷証一九六二号、一九六三号)も
共に俘虜を労務に使用することに言及して居るが強制労働を命じたものでなく、
又之に依り過酷なる労務を強ひたものでもありません。
 又、検察官は俘虜に関する法令(例へば法廷証一九六五号のA英文記録一四四七五)に於て
用ひられたる「軍事」と言ふ日本語の解釈を誤りたるものと考へられます。

 右法証英文31頁に次の如く記載して居ります。
『白人俘虜は之を我が生産拡充並に「ミリタリー・アフエアーズ」に関する労務に利用する如く
 逐次朝鮮、台湾、満州、支那に収容し云々』と、
「軍事」と云ふ文字を直訳すれば「ミリタリー・アフエアーズ」とも言へますが、
ここはより広き意味に用ひられて居るものでありまして、
戦争遂行に関係して来る事柄を広く包含します。
 
 例へて申しますれば、
戦時に於て軍人及一般人民の被服に関係する事柄はやはり「軍事」であります。
石炭採掘も、「セメント」事業も、米の漂白も此の中であります。
即ち奢移品の製造、玩具の製造等の仕事に対しても戦時に必要な仕事は之を「軍事」と云つて居るのであります。



       



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