日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

四王天信孝著『猶太思想及運動』附録第2 英帝国主義の秘密政治機関と見られるフリーメーソン(實證)

2021-09-10 11:35:29 | 英帝国ユダヤ・フリーメイソン


      四王天信孝著『猶太思想及運動』

附録第2 英猶帝国主義の
   秘密政治機関と見られるフリーメーソン



五 猶ー英帝国主義の秘密政治機関と見られるフリーメーソン(實證) 

  英國貴族とユダヤとがフリーメーソンによって緊密に結ばれてゐることは實際政治の上に影響を持つのである。千八百十三年に於ける二大組合の統合以来フリーメーソンは猶=英帝国主義の最も恐るべき最も有力武器となった。これを確める幾多の證拠がある。

 英國フリーメーソンの援助によって反國家革命を欧州大陸の諸國に起こさせ戦争迄勃発て諸民族の力を弱めた。奈翁戦争の直後英國は西班牙革命によって之を弱らせ西領殖民地を奪ひ取り、西班牙國内殊にジブラルタルに自國の勢力を強化した。英國フリーメーソは秘密諜報部員となつてコムネロスと云ふ西班牙秘密結社と連繋をとっていた。

 千八百二十二年にはコムネロスは結社員七萬人を数え西班牙全土に細かい網を張ることができた。
 ルイ14世のフランスもフリーメーソン及びスペインのフリーメーソン式秘密結社の革命煽動で脅かされるに至った。
千八百二十二年には欧羅巴の大國はヴェロナに會議を開催してスペイン問題を解決する必要に迫られた。併し此の會議は満足に解決できなかったので、フランスは千八百二十三年に西班牙の軍事占領を餘儀なくされた。

 フランスは此れによつて英國が煽動する革命騒ぎが自國領土に及ぶことを阻止したのである。フランス軍がスペインを占領すると、時の英國外務大臣カンニングは佛―西戰争に就いて公式声明を出した。


 之に対処する一策は、フランスに対して戰争をすることである。また他に一つ策がある。それはスペインを競争者のどちらが手に入れても無駄になる様にすることである。それは寧ろ無駄と云ふよりは有害にするので、取った方が損をする様にするのだ。予は右の最後案を取ったのだ。諸君はフランス軍がスペイン領に侵入してカデイクスを封鎖するのを傍観せねばならなかった苦痛はあったが、その代わりに我々は代償を獲て居ると思はぬか。予はスペインを別の角度から観た。予はスペインと印度とを観たのだ。

 予は印度地方に新しい世界を起こすことに呼び掛けてバランスを取った。
予はフランスにその侵略の有らゆる結果を任せた。予はスペイン侵略の代償を次の様に考えた。フランスの思う儘にさせるとその内重荷扱ひにし之を手放さなくなる。之が西班牙問題に對する予の考えである。

 予はこの國の無限の力に思ひを及ぼす時戰争を恐れざるを得なくなる。予は闘争に参加する為に彼の旗下に馳せ参ずるものは、不平分子と時局を憂へる總ての有識者、善かれ悪かれ彼等の祖國の現状に満足してゐない總ての人々であることを知っている。

 此ゝる状態を考えると予は益々心配が募るのである。
 それは人類史上未だ見たことのない所のより恐る可き權力が大英國の手の中にあるからである。併しこの偉大な力を持ってゐることは宜しいが、之を以て巨人の如く暴政になり勝であるのだ。此の力を所有することは吾々に安全感を與へのである。そして吾々の仕事はその力を使う機會を求めてはならぬのである。但し一部分小出しに使うこと及び双方の大袈裟な人々が彼等の仲裁者を敵に廻はす様なことが無い様に注意を促すに足る程度に使ふのは止むを得ない。

 吾々の邦の有様は詩人が若い風の神へ譬へられる。

   アエオルスは此くて彼の森の中に座を占めて、
   笏を手にして、人々の心を柔げ、彼等の怒りを鎮めた
   若しそうしなかったならば、
   海も陸も際しなき大空も、
   束縛を解かれた物體の如く、
   空間を微塵に帰せしめたであらう。


 即ち之が予に戰爭の再来を怖れさせた理由であって、この理由は實は憶くするの反對であり、無力の反對なので或る。若しこの理由が對立する主張によって行動する人々に、吾々の力を用ふる時の来る前に理解されてゐるならば、それは大變結構なことである。吾々は久きに亘って忍辱の鎧を着るであらう。

 予は、戰爭の狂奔を促すよりは、吾々の信仰と國民の名を損はぬ限り殆ど凡ての事を我慢するであらう。その戰爭と言ふ奴は吾々が手の中に鞭を持ってゐて、その狂乱が誰の上に落ちるかは知ってゐるが、その損害は如何なる點で止まるか判らぬけれども之を惹起することに拍車をかけることは出来るのである。

 此の英國外務大臣カンニングの公式聲明を読んで見れば、此の當時に於いて既に欧羅巴を左右する仲裁者の位置に立ち、その判断によって欧羅巴諸國民は引廻されることを感じてゐたことがわかる。


 英國は前述の場合、欧羅巴大陸に軍を進める必要は絶対に持たなかったのである。それは人類史上曾て之に匹敵するものを見なかった様な、武力以上の怖るべき力を持ってゐたからである。この力はいつでも用ゐ得るものである。その助けに依り、即ち英國は、その掌中にある秘密結社に依って凡て勝ち得るので、常に時代の主となってゐられた。

 西班牙のフリーメーソン組合はその國の歴史の中に哀れむべき役割を演じたのであるが、それは第十八世紀に英國人が創立したのであることを茲で指摘するのは無益ではない。

 如何に此等の秘密結社が西班牙國家に反對し、革命的であったか就いては、フランスの有名な歴史家で政治家であった所のシャトー・ブリアンが書いてゐる。

 千八百三十八年發行の著「ヴェロース會議」第一巻第三十八頁に於いて、フェルジナンド七世統治下に於いて、西班牙フリーメーソンがやった役割に就いて次の様に記述しった。(千八百二十年、二十二年の内乱戰中のこと)

 アルグュエレスとヴィルデスが属していフリーメーソン結社の外、コムムネロスが興ってきた。シャルルカン時代に於ける、記録と人名を遡って見ると、彼等は、“コムムネロ騎手”と呼ばれ、自由廟堂のチャンピオンと自称した。
 彼等は宣誓一つによってある種の原則に背いた場合には彼等は王やその継承者迄有らゆる人を裁き、宣告し、死刑執行をやることに乗り出した。その宣誓は恐るべきもので、殺人は共通の權利であった。此等の秘密結社は法律で保護され、公けのクラブから支持された。


 英國外相カンニングがヴェローヌ會議後、西班牙」に對する闘争の為の武器としてフリーメーソンを使ふこと脅迫した後で、この脅迫は英國親分等の手で事實となって現はれた。凡そ此等の事柄は「フェルジナンド七世治下の西班牙」と云ふフランスの著述家クエスチーン侯爵の著書四巻の中に書かれている。 

 此の書は手紙の形式になってゐるがユダヤ作家ハインリッヒ・ハイネの手紙には、クュスチーン侯爵は革命の状況を英國フリーメーソンが西班牙に仕掛けたものと書いてゐる。

 それには英國の秘密諜報部と英國フりーメーソンと西班牙革命家並びに千八三十年七月佛國革命當時の革命闘士との関係が現はれてゐる。前記の手紙がユダヤ人ハイネに送られたのは、ハイネが千八百三十年七月のユダヤ=フリーメーソン革命に闘士であったからである。

 侯爵の記述は英國秘密諜報部が英國フリーメーソンと共に工作した事實を確めた貴重な文献である。侯爵の書にある英國殖民地軍の一将校で秘密諜者ボイドはフリーメーソンに採用されて間もなく秘密諜者になったことを明らさまに告城自してゐる。

 侯爵
はこの英國諜者でメーソンたる将校はカデイクスの総督新に告白してゐる。侯爵はこの英國諜者でメーソンたる将校はカデイクスの總督暗殺に参加して居るやの嫌疑をかけられてゐる。 即ち茲に該間諜の告白を擧げると、クユスチーンの著書の第三巻第二百二十七貢ハイネの手紙の中に次の事がある。

 

・・・西班牙海岸に停泊した時にはタンジエ港まで尚十二浬あった。船長は帆を上げる迄には潮が順潮になるのを待たなければならぬ。それは夜の十時以前には来ない。その止むを得ない停泊中に、予は今日を世界殊に吾が邦を攪乱しつゝある革命政治、人道政治の秘密に触れる機會を掴み得た。アフリカ海岸を通過してフランスの事柄に就いて此かる光明を認めなけれはならぬとは夢更ら考へて居なかった。

 吾々を載せた船には外に十二名の船客が居た。タンジエの米國領事、イタリー商人若干、ユダヤ人が一人、貧民若干、印度に居た英國青年将校が一人で之は休暇で欧羅巴へ帰るのであった。

 その男は如何にも近代的な諜者の風格を備えてゐて、吾々を支配し又は支配せんとしてゐる秘密力と聯繋を取ってゐた。ゴブラン織物の職人と同様で、自分は本當は何の仕事をしてゐるのかは判らずに布の後ろで、世界で舞臺で時々上演する人気の集まる出し物の準備をしてゐる様な譯だ。技巧を伴った機械の運動は人を驚かすに足る威力を持ってゐて、無智の観客等が不思議だと叫ぶ程、又職人自身も自分の仕事の結果に驚き入る程に、操作は巧砂に行はれるのである。之から語り出す人物と云ふのは自分が初對面でまあそう云ふ感想を受けた男である。

 吾々が西班牙海岸に投錨したことは前に述べた込べたが、自分が上陸をしょうと希望したことは船客に今横顔を描いた件の英國青年に砂な衝動を與へたようだ。

 彼は自分の提案に強く反對した。提案と云ふのは自分と船長丈の話で彼には関係のない事納なのだ。彼の吾々に向て現はした熱意は吾々を驚かした。此の時にアルジェシラス湾から西班牙の海岸守備兵を積んだ船が一つ出て来た。之を見ると、その英國人は顔色蒼白となって前から懇意らしい船長と何事か低い声で物を言って、船客室とはれるが實は小な穴の様な小室へ降りて行った。聞いてゐると船長はその男に落付けと説き、金の力で王様の方の人々が臨検しない様にすることを約束してゐた。

 此の秘密がいたく自分の好奇心を唆つた。守備隊は臨機をせずに立去ったが船長には何か耳語して行った。そこで自分怪しい英船客に近づいて、非常に簡潔で不完全だが、一時問に亘る彼被との對談で聞き出したことを書いて見ると、
西班牙は之を圧迫する權力者の手で永く支配され得ない。

 君は西班牙語を知ってゐるか、度々スペインへ旅行したか
ー否、自分は曾て西班牙内地を旅行したことは無いが、現在の王が政治を布く爲に英、佛に脱出してゐる凡ての西班牙人に聯絡がある。

ー君は西班牙を怪しげな報告丈で判断するのでは無いか、各國、各色の移住民の言ふ事程信用を措けないものはない。

ーいや、自分は一生西班牙に住んだよりもこの國の政情に通じてゐる。自分は愛蘭生れで、ロンドンの予の友人は自分をフリーメーソンと思ってゐる。彼等は予を西班牙の兄弟の運命に興味を持たせた、自分は予の生涯を人類の利益の立場に打込んだ。自分はフリーメーソンでは無いが、眞面目な教養ある人の信ずる通り、今日のフリーソンは最早何等の政治目的を持ってゐないと信じてゐた。今申上げたことは眞實である。

 若し君の言ふ “人類の利益” なるものが大きな罪過の爲に汚れてゐることを見なかったなら、恐らくその利益なるものを祝福して上げたで有ろう。最近に於いてすら、カデイクツスの総督が暗殺されなことに就いて、西班牙は自由主義の解放者なるものに如材なる希望をかけべきかを悟ったと思ふ。

ー國民の運命に関することなら一個人の生命などは何ですか、自分はそう深く考へはしないが率直にあなたに云ふと、自分は一つ大運命を開拓しようと思ふのだ、若し自分が西班牙に革命を仕でかせば名を揚げ生き甲斐が出る。自分は王様より以上であらう。それは王様は一國民丈に君臨するのであるが、自分は講國民の解放を助けたと云はれて、諸國民は自分に報償を與へるであらう。どうです、自分の主旨は簡単でせう。自分は印度に派遣せられてゐる某聯隊に動務する将校であつた。

  恐らく自分はそこで無聊に苦しで死んだであらうが、自分の友人達の言を信ずれば、世界革命が近づいたと言ふので、その革命で何物かを獲得しようと朧げな希望が胸間を往来した。印度に於いては見物役を言附かつたのであるが、それでは全く消極的な役目であるから之に満足出来なく、休暇を貰ってジブラルタルに着いた。

  西班牙の凡ての兄弟達に紹介状を貰って来て彼等と識り合ひになった。彼等は計画を知らしてれ、何を必要とするかが判ったから自分は彼等の計画の實行に没頭した。ご覧の通り自分の片腕は先きの方が無いし、片腕は神経痛である。・・・・・昨年即ち千八百三十年六月にジブラルタルの兄弟達から任務を受けて巴里に使いした。自分は將軍・・・・の所へやられたら、将軍は即座に三萬法を渡した。

 その金でカディックス及レオン島の事件を準備した。そこを去る時にM君に紹介を依頼したら、将軍はその人を善く知ってはゐるが實の處餘り信頼して居らぬ。併し、一寸思案の後、方法がある。紹介状を小偶の親友で有名な詩人・・・・にやるから、その詩人がM君の所へ連れて行く様にしようと答へた。 

 右の話の中に出て来た名前は皆自分の知り合ひの人なので、その英人の話は信用が出来る様に考へられ、ひどく興味が乗って来た。彼の話は續く、

 詩人・・・・・は將第・・・・・の紹介状を注意深く讀んだ、そこを立去らうとするとM宛の手紙を渡して呉れた。併しその手紙のお蔭で丁寧に接見して貰ったが何にも自分には助けにはならなかった。

 M氏曰く。西班牙は改良の必要はあるけれど大變革をするには時機尚早である。この國に大動揺を與へるとそれはフランスに對して忌むべき反動を起す丈で、フランス人は革命を欲せず動亂は好まない。(此の會話は千八百三十年七月の事件に先っこと丁度一月であることに注意せられ度い)

 吾々は内閣の更迭と若干の憲法改正を希望する。國王は吾々の要望を容れるであろうし、フランスの平和も久しきに亘って保たれるであろう。
 自分はM氏にお別れするときにはフランスは最早人類進歩の爲に何等望みをかけ得ないと感じた。然るなこの會見の僅か一ヶ月後にフランスに起った革命の際、當のM氏が演じた役割を耳にし時には実に驚き入った。それは自分と話しをした時にはフランスの動揺と云ふ一點を擧げてあれ程強く反對した人であるからだ。

我々の對談を書くことは長くなるから、れから先の話を要紀して見ることにする。

巴里を去りたこの未来の英傑、このドンキホーテ、この人類愛運動の勇士はジブラルタルに戻って西班牙政府に対し砲門を向け、カデイクス事件を用意したのである。彼は總督を暗殺した二人の犯人は直接知ってゐる奴だと告白した。

 彼はその名を擧げなかっが彼自身がその一人だと誇るのではないかと心待も聞いてゐた。彼はジブラルタルとカデイクスとの間を幾度か冒険旅行して西班牙の解放派のの人々に如何にして國外に脱出してアメリカか英國に渡るべきかを教へた。そればかりではなく、彼はクリスピンかフィガロからの堂々たる旅行をしてトリジョスの為に英國巡洋艦アクテオンの艦長グレー大佐を騙した。

 有名なトリジョスと云ふ男は西班牙革命の發當人の一人で政府が彼一人を怖れることは、叛徒全體と同じ位と云はれる程であった。彼は總督暗殺後急にジブラルタルに逃避することに決したが終にレオン島に着いた。西班牙の捜索隊はハンニバルの様な人道主義犯人を追跡して英國人の家迄調べた。英人達は西班牙警察の重んする形容詞を用いてこの反徒に、王への裏切者の引義しを頑強に抵抗した。


 然るにそうなるとジブラルタルに閉じ込め込められた英國将校等は大陸と交通遮断されそうになることを恐れて稍妥協的になって来た。ジブラルタルの英植民地の人々や守備兵は一切西班牙領土への入國を許さないことにしたので全部が捕虜の様になった。

 ジブラルタル総督はそこで下た手に出て、トリジョスを方逐してマルタ島にやる約東をし、かくてカディックス、セヴィルの王党政権の八釜しい叫を緩和しようとした。


 結局英、西兩側話しの結果グレー艦長がトリジョスをマルタ島に護送する役を引受けた。この報導を聞いた英人の家族達はここ数年は西班牙側との交通遮断を覚悟してゐたのでホット一息ついた。
〔註 百年後に起った天津に於ける英租界封鎖の事情と相通ずるものがある〕

 陸路はカデイックス総督の死後から四カ月の閉鎖されてゐたのだから、西班牙の脱走者達がジブラルタルから追ひ出される迄は再會することは出来ないで筈であった。トリジョスが出發する時には西班牙のアルジェシラスの官憲は凱歌を擧げ祝賀の使者は右往左往に行き交うた。

 ジブラルタルの總督も西王フエルジナンドに自己の謙譲の態度を認めさせる爲、王の敵を方遂したと云ふ手紙を出した。ジブラルタルに居た西班牙領事もその事實を認め報告を出した。ジブラルタルと西班牙の交通はすぐ恢復した。兩國民は先を爭って巡洋艦アクテオンの出港を祝った。
 今迄の船の出帆の時に、かく海岸に歓聲の上ることは無かった。愈抜錨すると人々は重荷を卸した気分になつた。英西兩國民は鎖で縛られていたのであって、アクテオン艦が出港の為錨を捲くことは鐡鎖を斷ち切る様な気がしたであらう。


 扨ではこのアクテオン艦は果して誰を載せて行ったらうか、トリヒョスか・・・・・謎を解かうではないか、軍艦が運び出したのは英國青年士官が使っていた手下の者が誤って入れて仕舞った何にも知らない冤罪者であった。常に總べての政治家を拵へる人が、スペイン政府から虞れられてゐた勇者に可成り善く似た人相を持ち、又替へ玉旅行などに相當適任の人を見付けた。


 ジブラルタル巡査は半ば買収され、半ば共鳴し、半ば誘惑され脅迫されて、眞班員が家から出て港まで行く間にすり替へられるのを見逃した。そして眞犯人は平然家に帰って隠れて居るし、偽物も平気でアクテオン艦上の旅を続けたのである。マルタ島に着くと偽物はグレー大佐に狂言の報告をするでろうが、艦長は悪くは扱ふまい。
 唯ジブラルタルニにこの政事的の誤魔化しの仕事を報告するだろう。此の報一び西班牙に擴がるとそれから騒々しくなるが、その頃、トリジョスは別の反乱軍を指揮して警察の手配を尻目に地方を暴らし廻るであろう。或いは死んでゐるか単純にジブラルタルに隠れて居て見當たらないか之等は思うに無益のことでは無かったろう。

 その奇怪な英人は陰謀咄で自分を退屈させなかったが、旅行の目的をも打明けた、彼はタンジェルに行って西班牙同同志の為にモロッコ國王の援助を願いに行くのであった。それを冗談と嘲けらずに聞かれたい。


 事實はこうだ、フェルジナンド王の人民でルミと云ふのが西班牙警察の有らゆる捜査を免れ、艱苦と危険を突破してモロッコ王の船で欧羅巴から脱出てきた。船の乗組員は莫大な金力のお蔭で彼を歓迎した。彼は之で大丈夫と思った。
 然るに西班牙人は海岸まで追い詰めて来た上、船の上甲板までも上り、萬國公法にはお構ひなしに強力を以て取押へて行った。それからグルナードに移されてやがて殺されそうである。

 熱心な自由主義の英人は今度トリジョスを護摩化さなかった。そのトリジョスがタンジュに赴いて人類愛に燃ゆる西班牙革命の1人が今や死に瀕してゐることを回教徒の其の地方の總督パシヤに訴へ、モロッコ王の權力を発動してその生命を救わんとするので、海賊船は今之に保護與へてゐるのだ。

人の知る如く阿弗利加北岸のモール人等は人命には餘り重きを置かないし、吾々もアフリカ君主に願う熱的英國青年の任務をも尊重出来ない。ジブラルタルの海峡が右の様な活溌な陰謀の巣窟となり、政治的燎原の火元となって他日兩大陸を炎で輝かしめる様ななことが考へられたであろうか、自分としては此の旅行間にはそんな革命の苦労などとは全く別の事を考へる積りであったのだ。

 自分はアフリカ海岸に今日迄自分が好んで否認して来た秘密政權などが存在すると云ふ的確な證拠を發見しようとは思ひも寄らなかったのである。

 英人ボイド君の従者は主人よりも一層不安そうに見えた、主人のピストルに弾丸を込めて船室近くを行きつ戻りつしてゐた。
そして時々、且っ長く船長と低語した。陸地の方から何か物音がすると蒼くなるのが目につくが、吾々の提灯の薄い光で何か変った物が見える時には一層蒼くなり方がひどかつた。


 その男は西班牙の水夫で、英語を話した。此の六ヶ敷ひ旅行中主従の問に色々な機會に交はす言葉を盗み聞きをしてゐると、この獰猛な面構への、シャガレ聲の、皮膚の厚い赤焼けした、西班牙人通有の小さいキャシヤな併し荒い、黒い、筋張った手を持った男はカディフクス總督暗殺犯人の一人に相違無いと思はれた。
 吾々は此の船中で奇しくも、当代稀に見る大政治史犯の首謀者及實行者と同船してゐるのであった。自分はその英人に嫌悪を感じて遠ざかって終わった。』


 右クスチーン侯の記録を読んでゐると、フリーメーソンンの組織した千八百三十年のスペイン及フランス革命の血なまぐさい中心に引込まれた。此の紀録から見ると千八百三十年七月スペイン革命及びフランス革命は英國フリーメーソンが眞の挑發者張本人であったことが明らかである。そしてフリーメーソンが英國の秘密諜報部のやる如く英國フリーメーソンが暗い計画を實行する爲に用ゆる有力な方法であつた。
 併し之等の活動の背後には英國政權が後盾となって英國の政治的利益を収める爲に、フリーメーソンを使ってゐたのである。ヴェロース會議の後に英國外相カンニングのやった演説は之を立證して餘りある。

 歴史的研究の後、吾々は次の結論に達するのである。

 英國の高級貴族、王属、国王迄初期以来フリーメーソンの目立った首領であつた。
フリーメーソンはユダヤ界と緊密に結ばれてゐるものであり、又今日と雖フリーメーソンは英國に於いてはその紋章は純ユダヤ象徴から出来上がってゐるから、英國フリーメーソンは英國上層部とユダヤ界との第三の連接棒であって、第一の血液関係、第二の商業其の他業務関係と共に英、猶を繋ぐものである。

 英国政府は英帝国を保存し、必要の場合には之を發展せしめる為に、最も恐るべき秘密政治武器としてフリーメーツソンを使用してゐる。
 十四世紀の初めのスペイン革命と同じく、又クユスチーヌ侯の記録によれば、千八百三十年七月のフランス革命も英國フリーメーソンの仕事であったと同様に、又千九百十四年~十八年のを世界戦爭も主として英國王エドワード七世、英國フリーメーソン首領、ベルグラード、パリ、ローマ、ペトログラードなどの政府筋フリーメーソン関係の働きが善く行ったからである。 

 墺匈國皇儲夫婦のサラエウオに於ける暗殺が大戰の直接原因であり、それはフリーメーソンの仕事であった事は的確に立證されてゐる。

 現在の戰争の勃發もユダヤーフリーメーソンー英國の力に動かされたのである。現在の英國に於いては英國のものと、ユダヤのものと、フリーメーソンのものとは、区別がつかない。この三要素は今日英國を支配する上層階級の不可分な一體をなして恰も一つの単位をなしてゐるかに見える程になってゐる。

 ユダヤの血、ユダヤの資本、ユダヤ精神、及びユダヤ式フリーメーソンが英國の上層貴族の中に餘りにも善く巣を喰らって、之に由て英國は英國の國民政策を實行し得る状態に有る。

 現在の戰争は英國の死活問題で無いに拘わらず、専ら英國から起こってゐるのを見れば、この情勢の裏には暗黒なユダヤ、フリーメーソン的の勢力が潜んで、それのみが反ユダヤ反メーソンの獨乙を崩壊することに一生懸命になつて居ることが見透かせのである。

 チャムバーレン以外の何人も之を公然白状したものは無い。彼は常に英國はヒットラリスムを破壊する為に戰ふことを強調し繰り返して居るのだ。
 してヒットラリストと云ふ語によつて強力な英國人等は第一にドイツの反ユダヤ主義と解する、又ドイツ國民のフリーメーソンに對立する駆引きのない態度をもヒツトラリスムと呼ぶのであろう。

 この暗黒なユダヤ、マッソニックの勢力が反ユダヤ反マツソニック獨乙及その同盟者イタリーの粉壺に最大の関心を持してゐると同様に、波蘭國家の不可侵は彼等に取っては生死の問題で或る。何となれば膨大な波蘭のユをヤ人口資源は絶えず西欧諸國のユダヤの血を更新し、そして之等の國々のユダヤ社会が涸渇しない様に保存して置くからである。

故に英國及英國人はユダヤ・フリーメーソンにとってはその目的達成の道立てである。

猶太が幾年以来かかって達成に努めた計画と云うものは英國のものとは全然違うのである。英國は将来のユダヤ世界征服運動の踏切臺の様なものに過ぎない。
 併し英國のフリーメーソンは又猶太にとつては便利なプラットフォルム以外の何物でも無いのである。そのプラットフォルムはフリーメーソンが英國の手足を使って各國を革命の混乱に導く為のもので、その混乱は他日ユダヤ人の指導する世界革命に至らしめ、その世界革命に至らしめ、其の世界革命は終にユダヤ世界王國を出現せしめる為である。 


六、新欧羅巴より排斥されるフリーメーソン
 ユダヤフリーメーソンの暗黒計画の大敵は獨乙のフユーラーたるアドルフ・ヒットラーである。彼は獨乙國内にユダヤの勢力を挫折した如くフリーメーソンの凡ての組織を破壊した。

 伊太利フアッシストの首領ムッソリーニも亦同じことをやつた。フランコ将軍のスペインも亦も反ユダヤ反フリーメーソンになつた。匈牙利に於ても数年来フリーメーソン結社は禁止された。
 こんな風だからユダヤーフリーメーソンが之以上欧州で顛落せまいと又失った勢力を取戻そうと思ふならばドイツ帝國と決戦を交へなければならぬ。

 それが千九百三十九年九月三日に終に英國の對獨宣戦布告で始まった。英國はフリーメーソンの一流國であるから、之が對獨行為に出るのは宿命的のことである。
(英國には今日四十六萬人のフリーメーソンが居る、フランスには五萬人しか居らぬ)

 其の間武力戦の方はユダヤーフリーメーソンや、そのお裾持の王侯貴族等の考へ及ばなかつた様な状態に進展して仕舞った。フリーメーソン結社員マッサリックやベネシ及び其の盾持ち等の作った人工的モザイク國家チエツコスロワキヤは最早無くなった。波蘭と佛蘭西は敗北した。

 それと共にいろいろな剣がへし折られ英國そのものが節が痛んで来た。故に猶太及びユダヤーフリーメーソンは欧州で著しくその地歩を失った。欧州諸國は新秩序を取らうとしつつあつて、新秩序は反ユダヤ、反フリーメーソン的になつて来る。各國は英國が各國内でユダヤーフリーメーソンに由って振って来た勢力は不幸なものであつたことを認識し、正當な帰結に達したのである。

 獨乙大帝國(ボヘミア、モラビアを含む)波蘭、羅馬帝國、西班牙、葡萄牙、匈牙利に於いては、フリーメーソンは禁止された。千九百四十年八月十四日にはクロアチアに於いて、九月初めには和蘭に於いてはフリーメーソンは解散された。羅馬尼にも最早秘密結社の働く餘地はなくなった。

 ブルガリヤのフリーメーソンは自発的解散を宣言した。但し之は政府に睨まれない為の作為的の手段かも知れなかつた。九月始め首相グラボースキーは之が処置に就いて委員を任命し、結社の建物は之を没収して國家の所有とし、慈善事業に用ゆる。ペタン元帥の佛國フリーメーソンには如何ともならなくなつた。

 諾威ではフリーメーソン結社は解散した。即ち欧州新秩序の機構内ではフリーメーソンは段々経済生活から除外され出した。此の排斥は他日欧州全體に及ぶであろう。

 獨伊枢軸の最後の勝利になればフリーメーソンのおもたる支持者である所の英國と云ふ城砦が欧州人祝福の中に滅亡するであろう。そこで始めて穏健、賢明なる新秩序の下に、フリーメーソンの煽動とユダヤの金で攪乱され、革命された中から新しい平和な幸福な、そして自由な欧羅巴が生まれ出るであろう。
 (セルヴィス・モンディアル千九百四十年十月號)


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