
石原莞爾 『戦争史大観』 第三篇 戦争史大観の説明
第七章 現在に於ける我が国防
第二節 我が国防
現時の国策即ち昭和維新の中核問題である東亜連盟の結成には、
根本に於て東亜諸民族特に我が皇道即ち王道、
東方道義に立返る事が最大の問題である。
国家主義の時代から国家連合の時代を迎えた今日、
民族問題は世界の大問題であり、
日本民族も明治以来朝鮮、台湾、満州国に於て他民族との協同に於て
殆んど例外なく失敗して来たった事を深く考え、
皇道に基づき正しき道義観を確立せねばならぬ。
満州建国の民族協和はこの問題の解決点を示したのである。
満州国内に於ける民族協和運動は今日まで遺憾ながらまだ成功してはいない。
明治以来の日本人の惰性の然らしむるところ、
一度は陥るべきものであろう。
しかし一面建国の精神は一部人士により堅持せられ、
かつ実践せられつつあるが故に、
一度最大方針が国民に理解せられたならばたちまち数十年の弊風を一掃して、
東亜諸民族と心からなる協同の大道に驀進するに至るべきを信ずる。
この新時代の道義観の下に、
世界最終戦争を目標とする東亜大同の諸政策が立案実行せられる。
しかしそれがためには
我が東亜の地域に加わるべき欧米覇道主義者の暴力を排除し得る事が絶対条件である。
即ち東亜(我が)国防全からずして、東亜連盟の結成は一つの夢にすぎない。
東亜連盟の結成が我が国防の目的であり、
同時に諸政策は最も困難なる国防を全からしむる点に集中せらるる事とならねばならぬ。
国策と国防はかくて全く渾然一体となるのである。
いわゆる国防国家とはこの意味に外ならない。
東亜連盟の結成を妨げる外力は、
1 ソ連の陸上武力。
2 米の海軍力、これには英、ソの海軍が共同すると考えねばならぬ。
であるからこれに対し、
1 ソ連が極東に使用し得る兵力に相当するものを備え、
かつ少なくもソ連のバイカル以東に位置するものと同等の兵力を満州、朝鮮に位置せしむ。
2 西太平洋に出現し得べき米、英、ソの海軍力に対し、
少なくも同等の海軍力を保持せねばならぬ。
陸軍当局の言うところによれば極東ソ軍は30個師団以上に達し、
約3千台の戦車及び飛行機を持っている。
それに対する我が在満兵力は甚だしい劣勢ではあるまいか。
この不安定が対ソ外交の困難となり、
また一面今次事変の有力な動機となった。
而して日ソ両国極東兵備の差は僅々数年の間にこんな状態となったのである。
全体主義的ソ連の建設と自由主義的日本の建設の能力の差を良く示している。
ナチス政権確立以来数年の問に独仏間の軍備の間に生じた差と全く同一種類のものである。
我らは一日も速やかに飛躍的兵備増強を断行せねばならぬ。
アメリカ最近の海軍大拡張はどうであるか。
海相は数は恐るるに足らぬ。
独自の兵備によってこれに対抗し、断じて心配ないと言うているし、
また一部南進論者は3年後には米国の製艦により彼我海軍力に大きな差を生ずるから
今のうちに開戦すべしと論じている。
しかし更に根本的の問題は、
我らは万難を排して
ソ連の極東軍備およびアメリカの海軍拡張に対抗せねばならないことになる。
ソ連が極東に30師団を持って来れば我が軍も北満に30師団を位置せしむべく、
ソ連戦車3千台なら我も3千台、
また米国が6万屯の戦艦を造るなら我もまたこれと同等の建艦を断行すべきである。
そんな事は無理だと言うであろう。
その通り我が国の製鉄能力は今日ソ連の数分の一、
米国に比しては更に著しく劣っているのは明らかである。
しかし造るべきものは造らねばならぬ。
断々乎として造らねばならぬ。
この一歩をも譲ることを得ざる国防上の要求が
我が経済建設の指標であり昭和維新の原動力である。
この気力無き国民は須からく八紘一宇を口にすべからず。
3年後には日米海軍の差が甚だしくなるから、
今のうちに米国をやっつけると言う者があるが、
米国は充分な力がないのにおめおめ我が海軍と決戦を交うると考うるのか。
また戦争が3年以内に終ると信ずるのか。
日米開戦となったならば極めて長期の戦争を予期せねばならぬ。
米国は更に建艦速度を増し、
所望の実力が出来上るまでは決戦を避けるであろう。
自分に都合よいように理屈をつける事は危険千万である。
我が財政の責任者は今次事変の直前まで、
年額2、30億の軍費さえ我が国の堪え難き所と信じていた。
然るに事変4年の経験はどうであるか。
日本が真に八紘一宇の大理想を達成すべき使命を持っているならば
ソ連の陸軍、米の海軍に対抗する武力を建設し得る力量がある事は天意である。
これを疑うの余地がない。
国防当局は断固として国家に要求すべし。
この迫力が昭和維新を進展せしむる原動力となる。
しかしてかくの如き厖大な兵器の生産は宜しく政治家、経済人に一任すべく、
軍部は直接これに干与することは却って迫力を失う事となる。
国防国家とは
軍は軍事上の要求を国家に明示するが、
同時に作戦以外の事に心を労する必要なき状態であらねばならぬ。
全国民がその職分に応じ、国防のため全力を尽す如き組織であらねばならぬ。
以上陸、海の武力に対する要求の外更に、
3 速やかに世界第一の精鋭なる空軍を建設せねばならない。
これは一面、
将来の最終戦争に対する準備のため最も大切であるのみならず、
現在の国防上からも極めて切要である。
ソ連が東亜に侵攻するためにはシベリヤ鉄道の長大な輸送を必要とするし、
また米国渡洋作戦の困難性は大である。
即ち極東ソ領や、ヒリッピン等は
ソ、米のため軍事上の弱点を形成し彼らの頭痛の種となるのであるが、
その反面、ソ、米は我が国の中心を空襲し我が近海の交通を妨害するに便である。
それに対し我が国は有利なる敵の政治、経済的空襲目標もなく、
敵国に対し、死命を制する圧迫を加える事はほとんど不可能に近い。
即ち彼らは片手を以て我らと持久戦争を交え得るのに対し、
我らは常に全力を傾注せねばならぬ事となる。
持久戦争に非常な緊張を要する所以である。
この見地から空軍の大発達により
我が軍も容易にニューヨーク、モスクワを空襲し得るに至るまで、
即ちその位の距離は殆んど問題でならなくなるまで、
極言すれば
最終戦争まではなるべく戦争を回避し得たならば甚だ結構であるのであるが、
そうも行かないから空軍だけは常に世界最優秀を目標として
持久戦争時代に於ける我らの国防的地位の不利な面を補わねばならない。
ドイツ空軍は第二次欧州大戦の花形である。
時に海上に出て、時に陸上部隊に、水も洩らさぬ緊密な協同作戦をする。
真に羨ましい極みである。
我が国の国防的状態はドイツと同一ではなく、
ただちにドイツの如くなり得ない点はあるであろうが、
極力合理的に空軍の建設を目標として着々事を進むると同時に、
航空が陸海軍に分属している間も一層密接なる陸海空軍の協同が要望せられる。
この頃そのために各種の努力が払われているらしく誠に慶賀の至りに堪えない。
器材方面では既に密接な協力が行なわれているであろうし、
また運用についても不断の研究によって長短相補う如くせねばならぬ。
例えば、東ソ連の航空基地は満州国境から何れも(西方は別として)余り遠くなく、
しかも極東には有利なる空爆目標に乏しいのであるから、
対ソ陸軍航空部隊は軽快で特に速度の大なるものが有利と考えられる。
海軍は常に長距離に行動せねばならない。
かくの如き特長は互に尊重せらるべきだと信ずる。
海軍機が支那奥地の爆撃に成功したとて、
陸軍機がただちにこれに競争する必要はない。
陸海軍の真の航空全兵力を戦争の状態に応じ一分の隙もなく統一的に運用し、
陸海軍に分属していても
空軍の占める利益をも充分発揮し得る如く全部の努力が払われねばならない。
恐らく今日はそうなっている事と信ずる。
防空に関し最終戦争のために20年を目標として根本的対策を強行すべき事を主張したが、
今日はそれに関せず応急的手段を速やかに実行せねばならぬ。
第一の問題は火災対策である。
木材耐火の研究に最大の力を払い、どしどし実行すべきである。
現に各種の方法が発見せられつつあるではないか。
消防につけても更に画期的進歩が必要である。
またどうも高射砲等の防空兵器が不充分ではないか。
これには高射砲等の製作の会社を造り急速に生産能力を高めねばならぬ。
総て兵器工業は民間事業を特に活用するを要するものと信ずる。
各種会社、工場等は自ら高射砲を備えしめては如何。
そうして応召の予定外の人にて取扱い者を定めて練習せしめ、
時に競技会でも行なえばただちに上達する事請合いである。
弾丸だけは官憲で掌握しておれば心配はあるまい。
有事の場合必要に応じてその配置の統制も出来る。
航空部隊を除く防空はなるべく民間の仕事とした方が良いのではあるまいか。
しかし防空全般に関しては今日以上の統制が必要である。
防空総司令官を任命(成し得れば宮殿下)し、
これに防空に任ずる陸海軍部隊および地方官憲、民間団体等を総て統一指揮せしめる。
持久戦争であるから上述の軍需品の他、
連盟の諸国家国民の生活安定の物資もとも
に東亜連盟の範囲内で自給自足し得る事が肝要である。
即ち経済建設の目標は軍需、
民需を通じて、統一的に計画せられねばならない事は言うまでもない。
アメリカでさえ総ての物資は自給自足をなし得ないのである。
最少限度の物資獲得の名に於て我らの力の現状を無視して
いたずらに外国との紛争を招く事は充分警戒を要する。
戦争は最大の浪費である。
戦争とともに長期建設と言うも、言うは易く実行は至難である。
ドイツの今日あるはあの貧弱なる国土、
恵まれざる資源に在ったとも言える。
即ち被封鎖状態が彼らの科学を進歩せしめた。
資源もちろん重要であるが、
今日の文明は既に大抵の物は科学の力により生産し得るに至りつつある。
資源以上に重要なるものは人の力であり、科学の力である。
日、満両国だけでも資源はすばらしく豊富にある。
殊にその地理的配置が宜しい。
我らが科学の力を十二分に活用し、
全国力を綜合的に運用し得たならば、
必ずや近き将来断じて覇道主義に劣らざる力を獲得し得るであろう。
鉄資源としては日本は砂鉄は世界無比豊富であり、
満州国の鉄はその埋蔵量莫大である。
精錬法も熔鉱炉を要しない高周波や
上島式の如き世界独特の方法が続々発明せられている。
石炭は無尽蔵であり、
液化の方法についても福島県下に於て実験中の田崎式は必ず大成功をする事と信ずる。
その他幾多の方法が発明の途上にあるであろう。
熱河から陜西、四川にわたる地区は世界的油脈であると推定している有力者もあると聞く。
断固試掘すべきである。
その他必要な資材は何れも必ず生産し得られる。
機械工業についても断じて悲観は無用である。
天才人を発見し、天才人を充分に活動せしむべきである。
国家が生産目標を秘密にするのは一考を要する。
ソ連さえ発表して来た。
国民の統制完全であり、
戦争目的第一であるドイツは機密としたが、
日本の現状はむしろ勇敢に必要の数を公表し、
国民に如何に彪大な生産を要望せらるるかを明らかにすべきであると信ずる。
国民の緊張、節約等は適切なるこの国家目標の明示により最もよく実現せらるるであろう。
今日のやり方は動ややもすれば百年の準備ありしマルクス流である。
理論や機構が第一の問題とせられる。
いたずらにそれらに遠慮してしかも気合のかからぬ根本原因をなしている。
どんな事があっても必ず達成しなければならぬ生産目標を明示し、
各部門毎に最適任者を発見し、
全責任を負わしめて全関係者を精神的に動員して生産増加を強行する。
政府は各部門等の関係を勇敢親切に律して行く。
そうすれば全日本は火の玉の如く動き出すであろう。
資本主義か国家社会主義か、そんな事は知らない。
どうでも宜しい、無理に資本主義の打倒を策せずとも、
資本主義がこの大生産に堪え得なければ自然に倒れるであろう。
時代の要求に合する方式が必ず生まれて来る。
昭和維新のため、革新のための昭和維新ではない。
最終戦争に必勝の態勢を整うるための昭和維新である。
必勝せんとする国民、東亜諸民族の念力が自然裡に昭和維新を実行するのである。
この意気、この熱意、
この建設は自然に世界無比の決戦兵器をも生み出す。
即ち今日持久戦争に対する国防の確立が自然に将来戦争に対する準備となるのである。
第三節 満州国の責務
ソ連が東亜連盟を侵す径路は3つある。
第一は満州国であり、
第二は外蒙方面より蒙疆地方への侵入、
第三は新疆方面である。
その中で東亜連盟のため最も弱点をなすものは第三であり、
最も重要なるものは第一である。
満州国の喪失は東亜連盟のためほとんど致命的と言える。
日華両国を分断しかつ両国の中心に迫る事となる。
満州国は東亜連盟対ソ国防の根拠地である。
東亜連盟が直接新疆を防衛する事は至難であるが、
満州国のソ領沿海州に対する有利な位置は
在満州国の兵備が充実しておれば間接に新疆方面をも防衛することとなる。
この大切な満州国の国防は、
日満議定書に依り日満両国軍隊共同これに当るのである。
満州軍の建設には人知れざる甚大な努力が払われた。
これに従軍した人々の功績は満州建国史上に特筆せらるべきものである。
しかるに満州軍に対する不信は今日なお時に耳にするところである。
たしかに満州軍は今日も背反者をすら出す事がある。
しかし深くその原因を探求すべきである。
満州軍の不安は実に満州国の不安を示しているのである。
満州国内に於て民族協和の実が漸次現われ、
民心比較的安定した支那事変勃発頃の満州軍は、
恐らく最良の状態にあったものと思う。
その後事変の進むに従い漢民族の心は安定を欠き、
一方大量の日系官吏の進出と経済統制による日本人の専断が、
民族協和を困惑する形となり、
統制経済による不安と相俟って民心が逐次不安となって来た。
この影響はただちに治安の上に現われ、
満州軍の心理をも左右するのである。
満州軍は要は満州国の鏡とも見る事が出来る。
支那事変に於ける漢民族の勇敢さを見ても、
満州国が真にその建国精神を守り、
正しく発展するならば満州軍は最も有力なる我らの友軍である。
若し満州軍に不信ならば満州国人の心理に深く注意すべく、
自ら満州国の民心を把握していない事を覚らねばならぬ。
満州国の民心安定を欠く時は共産党の工作が進展して来る。
非常に注意せねばならない。
これがため共産党の取締はもちろん大切であるが、更に大切なのは民心の安定である。
元来漢民族は共産主義に対し、
日本人のように尖鋭な対抗意識を持たない。
防共ということはどうもピンと来ぬらしい。
彼らは共産主義は恐れていない。
故に防共の第一義は民心を安定し、
安居楽業を与える事である。
多くの漢人に対し
共産主義の害毒を日本人に対するように宣伝をしてもどうも余り響かないらしい。
共産主義が西洋覇道の最先端にある事を明らかにし、
国内で真に王道を行なえば共産軍は大して心配の必要なく、
民心真に安定すればスパイの防止も自然に出来る。
民心が離れているのに日系警官や憲兵でスパイや謀略を防がんとしても至難である。
満州国防衛の第一主義は民心の把握であり、
建国精神、即ち民族協和の実践である事を銘心せねばならぬ。
かつて昭和12年秋、
関東軍参謀副長として着任、
皇帝に拝謁の際、
皇帝から「日系軍官」の名を無くして貰いたいとの御言葉を賜って深く感激したことがある。
これは今日も遺憾ながら実現せられていない。
私としては誠に御申訳ないと自責しているのである。
複合民族の国家では各民族軍隊を造る事が正しいと信ずる。
即ち満州国では日本人は日満議定書に基づき、
日本軍隊に入って国防に当るのであるが、
それ以外の民族は各別に軍隊を編制すべきである。
現に蒙古人は蒙古軍隊を造っているが、
朝鮮軍隊も編成すべきである(一部は実行せられているが、大々的に)。
回々(イスラム)軍隊も考えられる(これは朝鮮軍隊ほど切実の問題ではない)。
軍隊は兵器を持って危険な存在だから、
言語や風俗を異にする民族の集合隊は適当と言えぬ。
日本人が漢民族の軍隊に入って働くのを反対するものではない。
しかしそれは漢人の一員たる気持であらねばならぬ。
皇帝が日系軍官の名称を止めよと仰せられた御趣旨もここにあると拝察する。
諸民族混住の国に於て官吏は日系、満系、朝鮮系等のあるは自然であるが、
軍隊は各民族軍隊を造るのであるから、
漢民族の軍隊の中に「日系軍官」なる名称の有せらるるは適当でない。
田舎の満州人警察の中に少数の日系警官を入れて指導する考えらしいが、
この日系警官が満州国不安の一大原因となっているのは深く反省せねばならぬ。
他民族の心理は内地から出稼ぎに来た人々に簡単に理解せられない。
警官には他民族の観察はほとんど不可能であり、
また満州人警官の取締りも適切を欠く。
満州国内匪賊の討伐は実験の結果に依ると、
日本軍を用うるは決して適当でない。
匪賊と良民の区別が困難であり、
各種の誤解を生じ治安を悪化する虞が大きい。
満州国の治安は
実に満州軍が主として匪賊討伐にあたるようになってから急速に良くなったのである。
満州国内の治安は先ず主として満州軍これにあたり、
逐次警察に移し、
満州軍は国防軍に編制するようにすべきである。
国兵法の採用により画期的進歩を期待したい。
有事の日は、日本陸軍の主力は満州国を基地として作戦する事自明であるが、
その厖大な作戦資材、
特に弾薬、爆薬、燃料等は満州国で補給し得るようにせねばならない。
満州国経済建設はこれを目途としている事と信ぜられるが、
その急速なる成功を祈念する。
糧秣その他作戦軍の給養を良好にするため北満の開発が大切であり、
北辺工作はその目的が多分に加味されている事は勿論である。
しかし日本軍自体もこの点については更に更に明確な自覚を必要とする。
ソ連が五個師団増加せば我もまた5個師団、
10個師団を持って来れば我もまた10個師団を進めねばならない。
それには迅速に兵営等の建築が必要だが、
今日までの如き立派なものでは到底間に合わない。
幸い青少年義勇軍の古賀氏の建築研究は着々進んでいるから、
これを採用すれば必ず軍の要求に合し得るものと信ずる。
浮世が恋しい人々は現役を去るが宜しい。
昭和維新のため、
東亜連盟結成のため、
満州国国防完成のため、
我らは率先古賀氏のような簡易な建築を自らの手で実行し、
自ら耕作しつつ訓練し、
北満経営の第一線に立たねばならぬ。
新体制とか昭和維新とか絶叫しながら、
内地式生活から蝉脱出来ない帝国軍人は自ら深く反省せねばならぬ。
我ら軍人自ら昭和維新の先駆でなければならぬ。
それがために自ら今日の国防に適合する軍隊に維新せねばならぬ。
北満無住の地は我らの極楽であり、
その極楽建設が昭和の軍人に課せられた任務である。
(昭和十六年二月十二日)
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