五辻の常夜灯(いつつじのじょうやとう)は、慶応元年(1865年)5月に京都の千眼講(柳谷観音楊谷寺へ参拝する団体の一つ)によって立てられた石灯籠です。 . . . 本文を読む
ここ「真龍寺(しんりゅうじ)」は、麒麟山真龍寺と称され、天平20年(748年)、行基菩薩の開基と伝えられています。弘仁年間(810年~823年)、弘法大師の高弟真如法親王がここに住し、大門・鐘楼・経堂その他21坊を建立したと伝えられていますが、応仁の乱(1467年)で焼失しました。 . . . 本文を読む
西国街道は、京都の東寺口から西宮へ向かう江戸時代からの幹線道路で、別名「山崎通」とも呼ばれています。京都から大阪(大阪市)を経由せずに西国へ向かう重要なルートであり、幾多の人や物が行き交ったばかりでなく、駆け抜けていった時代の軌跡もであります。 . . . 本文を読む
薩長同盟を締結させた直後の慶応2年(1866)寺田屋に宿泊していた坂本龍馬は伏見奉行所配下の捕り手に囲まれます。この時、危機を察知したお龍により、命を救われた龍馬は、しばらく伏見薩摩藩邸にかくまわれていましたが、右手の傷を癒すためここ寺田屋浜から三十石船に乗り、お龍とともに、九州の霧島へと旅立ったのです。 . . . 本文を読む
茨木市大字安元23にある教誓寺(きょうせいじ 真宗大谷派)の住職であった藤波大超(ふじなみだいちょう)氏は、かって高槻領でキリシタン大名高山右近の支配地域であった、千提寺・下音羽地区には江戸時代、キリシタンが潜伏していたのではないかと疑問を持っていました。 . . . 本文を読む
京都の八幡がごぼうの産地であったことと、ちょうどこのあたりで天然鰻のいいものが捕れたというところから、川のものと里のもののおいしいものを取り合わせて作られた料理だと言われています。 . . . 本文を読む
この五輪石塔は重要文化財に指定されており、高さは6.08m、幅2.44mに及ぶ日本最大規模のもので、下から地輪、水輪、火輪、風輪、空輪といいます。刻銘がなく、造立の起源が不明であるためか、この大石塔にまつわる伝説は様々であるそうです。 . . . 本文を読む
江戸時代、「枚方宿」は、淀川を行きかう客船・三十石船の中継港となるなど、京都と大阪を結ぶ交通の要として栄え、三十石船の乗客を相手に「餅くらわんか、酒くらわんか」と声をかけた商売舟は「くらわんか舟」と呼ばれ、枚方の名物になりました。 . . . 本文を読む