
まだ山際の空に、暮色の残り香を留めるような時刻だった。
葦の葉陰に小さな光が灯った。
「あっ、あそこにも」と半時ばかり、川辺の草叢に灯る明かりは、緩慢にその数を増してゆく。
今年の発生数は、控えめに思えた。
ところが8時を廻った時刻から、それが爆発的に増した。
葦原の先にひらけた闇から無数の光が湧き上がってくる。
闇の奥で発光する点が、次第にその点滅の周期を同調させ、
無数の光が、チカチカチカ…何かの意志を持ったかのように同時点滅を繰り返す。
光のシグナルに魅入られていると、
川辺の其処かしこで、光の飛翔が始まっていた。
ふぁ~風花が舞うように、闇の虚空を青い光が、いくつも放物線を描いて流れてゆく。
熱を持たない蛍の光を「冷光」と呼ぶらしい。
そして、その発光物質は、ルシフェリン。
初夏の風物詩である源氏蛍(ゲンジボタル)の光の輪舞ほど、儚い命を全うするための幽玄な姿を知らない。
特に日本の蛍(ゲンジボタルとヘイケボタル)は、稲作文化に近い場所に棲息するため日本人の情緒に訴えたようだ。
それに引き替え、陸生のヒメボタルや海外の蛍は人里離れた深い森の中に発生するので、
滅多に人の眼に触れるような存在でなかった。
オスがメスを呼ぶための集団同時明滅と呼ばれる光のシンクロ現象にしても、
求愛行動の先に目的を果たし、力尽きそのまま川面を流れる最後まで
光り続けるという儚い命の終焉の姿に、
唯、ただ惹かれる…
その他にも川辺に棲息する幽けき命たちを拾ってみました。
最近、川が少しきれいになった所為かほたるが帰ってきた。
単に川蜷が育ちやすい環境ができたのかもしれない。
今年は梅雨入りと言っても、まだ涼しい。
我が家の近所の川のほたるもそろそろ・・・
自然の中に生き物、植物、人間と共生を是非望みたい。
私もお遍路の最中に何処かで、この日に当たっているので、記憶の片隅に残っているはずなのに、
今一つはっきりしません?
6月15日は、愛媛県内だったのに過去の記事に当たっても見当たらない?
蛍を見られる環境は、本当にずいんぶん回復しましたよね。
松山市近郊でも何カ所か、蛍の発生する場所があります。
でも、そのほとんどは地域の人々(小学校を中心とする活動が多い)による
蛍が棲息できる川辺の環境回復の成果です。
ある場所では、遡る川底にずっとカワニナが見られました。
一度壊した環境は、そのままでは元には戻らないということだと思います。
特にゲンジボタルは里山という環境で生態系を維持してきた生き物です。
その里山が一次産業の衰退で急速に荒廃していますから…
以下にコウノトリ再生プロジェクトから一部抜粋です。
次々に新しい農薬を開発して使わなければなりません。経済的なコストが大きいだけでなく、環境のコスト、水質悪化など、
周囲の環境への広汎な影響により社会が負担しなければならないコストは、
十分に認識されないものの、きわめて大きいものになっています。
現在では、害虫を殺すため、ネオニコチノイド系の農薬が広く使われています。
「さとやま」からアカトンボが消え、ミツバチなど植物の受粉に役立つハナバチ類がいなくなるなど、
昆虫相への多大な影響が疑われています。
TPP交渉の参加で、農業の効率化が叫ばれています。
表面的には綺麗な水の川が戻ってきても、
その水面下ではメダカやトンボやカエルのいない環境になるかもしれません?
いわゆる都市の親水公園や人工渚と同じ整備された不毛な自然です(汗)
最後の画像は、アザミの綿毛状の種子です。
花が終わった後、この種子を風に乗って飛ばし子孫を残します。
植物の生存のための戦略の美しい旅立ちの瞬間です。
黄昏の光に虹色に輝いていました。