2011.3.11.14:46.未曾有のカタストロフィーが列島を襲った。
その時刻私は、雪の石鎚山、前社ヶ森から夜明峠へ至ろうとしていた。
地殻の変動から、わずか数分で巨大なエネルギーが波動となって
太平洋沿岸を襲う。高さ15mの壁となって次々と沿岸の街を呑み込んでゆく。
一万を越える生命の声が渦巻いた瞬間、私は雪上で何を感じていただろう?
地震の第一報を聞いたのは、とっぷり日の暮れた19時過ぎだった。
未曾有の災禍として歴史に刻まれた2011.3.11.
それ以降、世界の秩序を大きく変えたグランドゼロ9.11と共に
想像を絶するカタストロフィーの瞬間を目撃した私たちは、
2011.3.11.以降、変わらざるを得ない。
2011.3.11.私は何をしていたか…
数多の命が奪われた瞬間、私は脳天気にも雪山にいた。
とてもじゃないが、そんな日のブログ記事をあげることは出来ないと思った。
災禍の実態が次第に明らかになるに従って、
これは歴史に刻まれる一日だと確信した。
そんな日に私は日常を逸脱した場所にいた…ブログが日記ならば、
歴史的な災禍の一日、私が何をしていたか記録に残すのも面白い。
振り返れば、その日は不思議な一日だった。
そして3.11は、ちょうどブログ開設一周年目の日。
前日から今回の山行は迷っていた。
少し寒の戻りはあったものの、快晴の日が続いた。
雪山撮影の条件としては、ほとんど良い要素のないコンディションといえる。
それでも、今回の日程を決めたのは、
ずっと待っていた雪山の星空撮影の残り少ないチャンスだったから。
気温が上昇する雪解け前に、それも月明かりに浮かぶ雪景色と星空を
一緒に撮影できる月齢の頃に…という限られた条件を満たす日は、もう数日しかない。
逡巡の朝、私の背中を押したのは何だったのだろう?
成就社境内のライブカメラは3/2以降、故障して作動していない。
山の気象状況を確認できないままでも出発したきっかけが、今となっては思い出せない。
予想通り朝から快晴。気温もどんどん上昇。
ロープウェイを降りても、黒々した冬木立とぬかるんだ雪道が続く。
成就社を前にして風に乗って白い薄片が飛んで来る。
木立の枝に残る雪が飛んできたのだろうと思った。
ところが山門を前に多量の雪片が舞い始める…えっ?雪が降っている。
快晴の空に舞い落ちる雪に、なんとも不可思議な違和感を覚えた。
白石旅館のIさんの話では前夜は吹雪いていたと言う。
平地は、ずっと晴れ続きだったのに、山には雪が降り続ける。
昼食後、支度をして山門を潜ったのは午後1時頃。
八丁坂の下りには雪が溶けて露出した土の地面さえ見えた。
白く覆う霧氷の気配もない枯木立が続く。
標高を上げるに従って、雪面は固く締まりアイゼンのキックステップも快調。
前回の蟻地獄のような雪との格闘が嘘のような順調なペース。
金曜日の今日は、誰も山へ入っていないと聞いている。
先行者のトレースなど無くても、
雪面のコンディションさえ良ければ、なんの問題もない。
さて前社ヶ森から夜明峠の間、何を思い、何を感じただろう?
さっぱり思い出せない。
雪面のコンディション以外、何も頭に去来しなかったように思う。
夜明峠から見上げる山上は世界が一変した。
そう二の鎖から上は、山の様相が(天候が)ガラリと変わる。
黒々した枯木立は、真白き峰へと。
但し、今回は快哉の声もなく淡々と先を急ぐ。
午後4時前に二の鎖下へ到着。
今夜は星の撮影のため、小屋に泊まる予定。
しかし雪に埋まった小屋を掘り起こし、扉を開けるまで一時間を要した。
装備を解いて、やっと落ち着く。
夕食後、前夜の寝不足から、コクンと眠りに落ちた。
携帯のコール音で目覚めた。
深い闇の底から這い上がったような覚醒前、私は何を視ていただろう?
この昏睡の時間帯の記憶の断片が、ちょっと怖い…思い出したくない。
覚醒へと呼び覚ました電話から、その日の災禍を知った。
もう、これから先の記述は、あまり意味がなさそうだ。
あの日の記憶を改めて思い起こし書き綴ることで、
何やら得体のしれない不快なものに行き当った…
今日は、これまで。
ランスケさん、今更ですがブログ続けてくださいね
数ある中で、唯一共感できるさじ加減が丁度かな?(旨く言えませんが)
今は愉しんで撮ることを一番に
両親は勿論、重い病にかかった親友との時間を大切に刻んでいきたいと思います
福島の原発が、ついに制御出来ない最悪の事態。
今度は新潟方面でも地震速報。
このカタストロフィーは、いったい何処まで辿り着くのでしょう?
3.11の石鎚山行、こんな災厄の渦中では、なんの意味もないので
没にするつもりでした。
でも何かが、引っ掛かるので記憶を辿って書き始めてみました。
う~ん、でも嫌なものに行き当っただけでした。
やっぱり書くべきじゃなかったかも知れない。
こんな個人的な不快感は不謹慎なだけでした。
misaさん、でも本当に怖いのはこれからかもしれません…
人間が開発をしすぎた、つけが回って来たのかもしれない。
テレビを点けると何度も同じシーンが流れる。マスコミの取材にも心が冷え込む。
ランスケさん、個人的な不快感は誰もが持っています。
事実を書き込むことは、自分にとってのことだから、誰に遠慮もいらないと思います。
心の持ちようだと思うのですが・・・
私にとっても2011.3.11は忘れ得ぬ日となりました。横浜にいる孫の5歳の誕生日でした。停電の中、ケーキも無くお祝いをした夜でした。
それでも孫は孫なりに地震のこわさ、震災に遭った人たちの苦しさを実感していたようです。
人それぞれ、心の問題だと思います。
ランスケさん、思い詰めないでください。
素晴らしい写真、感性あふれる文章、期待しています。
せっかくのお孫さんの誕生日だったのに、
たいへんなサバイヴァル脱出劇となりましたね。
都市は便利なようで、自然災害に見舞われると、
その脆弱さをさらけ出します。
(東京に20年間住んで、私も幾度も体験しました)
エネルギー効率が良いと原子力に頼りすぎたツケが露見しましたね。
以前から何度も言われてきたことですが、
地震列島の日本では、原発はリスクが高過ぎます。
これを機会に、本当にエネルギー政策の転換を図ってもらいたいものです。
(早くから自然エネルギーへの転換を図ったドイツに
20年遅れているといわれています)
毎日TV報道を見続けています。
失った家族を瓦礫の山から探すお父さんの漏らしていた言葉が
耳に焼き付いて離れません…
「ちくしょう、ちくしょう…」
母を失ったとき、私も自分の不甲斐なさ後悔の念から
同じ言葉を吐き続けていました。
なんとも辛い春ですね…
今週末はお彼岸です。
今、上林のユキワリ○○ゲが満開ですし、ブログに書いた三坂遍路道の花も確認してきました。時間がないので、今回も三坂峠に車を置いて花だけを探してきました。どちらかと言えば水場に近い場所に咲いている花のイメージ、そこは乾燥した地形だけに、私の見間違いだったのかと思いつつの確認してきました。
1~2輪ですが、咲いている花がありました!
小さな群生が、そこそこに確認できました。ここは標高が高いから少し遅れて見頃になりそうです。
東北地方、こんなに酷い災害に見舞われても、暖かくなれば何事もなかったように福島の三滝桜も咲くのでしょう。迅速な復旧支援を願います。
早速、出かけて来ました。
撮影した画像と春を告げる花を集め、
私なりの被災地へのエールです。
明日はお彼岸の墓参りに。