誰にもわからない あなたにも気付けない秘密
ただ一人きり I Cry 声をあげて I am crying...
加藤ミリア「I Cry」より...
先々週だったかな、待っていた「外に出たい」と云う気持ちが湧いて来て散歩に出掛けた。2日出掛けてみたが何となく不安で、物悲しい気分になったので止めてしまった。それから2週間弱の今朝出掛けてみた。行く場所は決まっている。中規模の公園で片道1km弱。
その公園では引き蘢るまで彼此4年程ゴミ拾いや雑草取り、自分で出来そうな簡単な公共物の補修、地域猫の餌やり(不妊手術済み)、捨て猫の里親探し、エトセトラ...やって来た。それらは仕事をしていない罪悪感からで、少しでも社会貢献をして恩返しをしようとする気持ちであり、ボランティアである。
私的な事で問題を抱え込み、気分転換に外に出ようと今朝公園へ出掛けた。公園への行きすがら、地域猫2匹に餌を与え、食べ終わるまで待つ。1匹は「ミミ」と名付けて避妊手術もしてある。もう1匹はオスの茶トラで「まだ名前はない」「去年生れたばかりで、当年とつて一歳だ」...まだ一歳にはなっていないが、生まれた時は一番臆病で、餌で誘っても近付きやしない。が、生き残った最後の1匹。去勢したいが事情があり去勢費用が捻出出来ないでいる。
公園に着いたら四阿(あずまや)に向うが、四阿の手前に無惨な姿の木製ベンチが放置されていた。
溜息ひとつ...。
これは刑を当てはめると刑法第二百六十条の器物損壊等にあたり、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。と相成る。
木製ベンチは結構重量があり、恐らく復数人の犯行だろう。公共物は税金で作られた物。皆の財産であり、悪戯で壊すなら私物にしなさいと強く思う。自由は無制限ではなく、責任がついてまわる。法を犯したのだから罪を償いなさい。或いは元通りに直しなさい。壊した者はフラストレーションを発散出来ただろうが、私は落胆し、フラストレーションが溜まった。強い憤りを覚える。
私がフラストレーションを発散したら、誰かにそのフラストレーションが向う事は良く判っている。故に、理性を重んじ、極力自欲を押し殺して来た。常に、自分の言葉が、行動が、他人様に与える影響を考えつつ生きて来た。それがどれ程の重圧かも知っている。
自分が外因であろうと内因であろうと痛みを知っているからこそ、他人様の痛みも判る。
自分が立派だと言い張るつもりは毛頭ない。むしろ、自分が生きている事で他所様に迷惑を掛けるのが恐いと思っている。故に、このBlogのサブタイトルにソクラテスの言葉を引用している。
もう中学生になり、会う事も殆ど無くなってしまったが、その子等が小学三年生の頃から、公園で遊び相手になり、見守り、飴を与えて飴の包み紙はゴミ箱にと道徳を教えて来た。市ではゴミのポイ捨て禁止条例が可決され、科料でなく罰金と云う重い罰則を設けた。その後、市内の公園からゴミ箱・灰皿が撤去された。理由はこうだ。市外の住人が生ゴミ等のゴミを公園のゴミ箱に捨てるから。市のゴミ収集は今の処無料だが、近隣市は有料化されている。
子供達にゴミはゴミ箱にと諭す事が出来なくなり、暫くは持ち帰っていたが、次第に飴を買う事もやめる様になった。灰皿があればそこに吸い殻を捨てる人もポイ捨てする様になり、私のボランティア活動も負担が増した。市はポイ捨てに対し罰金を課したが、ゴミ箱を撤去し増々罪人を増やした。生ゴミ等を捨てに来る者こそ罰を与えるべきだ。
一部マスコミが鳩山邦夫(元)法務大臣に対し、死刑執行数をあげて「死に神」と罵ったが、法律は執行しなければ「絵に描いた餅」でしかないし、その効力も失われる。市のポイ捨て禁止条例も執行された例を聞いた事がないし、警官すらそう云う条例がある事すら知らなかったりする。科料は犯罪歴にならないが、罰金は犯罪歴になる。
ベンチの壊された公園は市が管理者である。器物損壊は親告罪であるから、市が被害届を出すのが筋であろう。市に写真を添付しメールを打った。