Tosh!'s Blog

ただ生きるな善く生きよ(ソクラテス)

陽炎

2011-08-12 09:08:55 | 人生

渡り鳥になって 貴方の気持ちを抱いて飛ぶわ
「どこへ行くの?」かって 見たことのない空を見せるわ...
鬼束ちひろ「陽炎」より...

先のエントリで人間は無欲になれないと申しました。更に、無欲は死人同然だとも申しました。人間には欲が存在する故に、言葉のレトリックではありますが、無欲になろうとするのも欲であります。それは「欲」と云う言葉の定義が表裏一体であり、使い方・考え方如何に依って良くも悪くもなるからです。個人的に欲と云う言葉を少々蔑視している故に私は自欲を表に出さない様に押し殺してきました。

【欲】ほしがること。自分のものにしようと熱心に願い求めること。また、その気持ち。不足。不満を満たしたいと願う。と辞書にあります。

生理的な食欲や、向上心と云う意味に於いての意欲は無くしてはなりません。その他は概ね私利私欲を意味するものが多く、そう云う意味に於いて個人的には欲を捨てています。私の信念である見返りを求めない「愛」、「お互い様」のバランスが崩れます。

実際、人一倍仕事を熟(こな)して来ましたが、給与に関して他人よりも低額でも文句を言ったことがありません。幸い家庭を持っていませんので、家族の為に稼がなくてはならない状況にありませんでしたから、低額でも文句を言われること無く、私自身が生活出来れば良かったのです。

故に、「うつ」になったのも、欲を、欲から生まれる感情を理性で押し殺してきましたから、自己犠牲を厭わず自尊心、又は自己愛を何時の間にか無くしてしまったのが原因です。「うつ」になるのは自尊心・自己愛を満たされないから、それが原因の人も居ます。人それぞれ精神構造は違いますからケースバイケースです。

個人的には欲を蔑視していると申しました。セクシャル、パワー、モラル等々のハラスメントを行う人は、私が蔑視する欲が強く、自尊心を傷つけられるとプライドが許さず怒濤の如く怒りまくり、自己愛に溺れ相手を傷つけます。見返りを求め「愛」を強要し、「お互い様」の概念が無く謝罪する気持ちもありません。そこには理念も論理もありません。

逆に理念や論理から外れる言動をする人、ヒステリックな人はハラスメントを平気で行う事を容易に想像出来ます。国政の場である国会に於いて、人格攻撃する言動は後を絶ちません。人格攻撃は立派なハラスメントです。只の野次ではありませんし、相手に対し「資質がない」なる言葉を発言する資質がありません。曳いては国民の為の政治を行う理念すら持ち合わせていません。バイアスの掛かったマスコミの記事等を引き合いに出し質問する事も理念・論理的思考を出来ていない左証です。それは地方議会でも、会社でも学校でもあらゆる集団論争で行われています。

学校と云うワードで何時も思う事は、生徒が警察沙汰になった時に謝罪するのは学校側。学校でも道徳教育は行われますが、本来は親の教育責任です。道徳教育を瑕疵した保護者も謝罪すべきです。憲法に於ける教育の義務は「教育を受けさせる義務」を親に課しており、「教育を受ける権利」を履行する為に国・自治体が学校を用意しています。教育の義務の本質を歪め学校に教育を丸投げするのは保護者の責任を果たしていません。モンスターペアレンツとは正に学校が教育を全て引き受けるものだと勘違いしています。それを諭し、正せずにいる学校側もまた情けなく、教育の本質を理解しているのかなと怪訝に思います。

さて、私事ですが、仕事と云うのはお客様の代わりに労働を提供する事であり、その見返りに報酬を頂く訳で、報酬を頂くからにはお客様を不愉快にしてはならず、満足して頂く為にはプロフェッショナルに徹するべきだと思いますし、それを信念に組み込んでいます。私が購入する物も、その製品・サービスを通して、それに携わる人々の心意気を感じる製品・サービスを好みます。それが一般的に高かろうが安かろうが値段は問いません。心意気を感じるか否かの満足度が基準です。

残念な事に、仕事に対しプロ意識を持って、製品・サービスを提供する気概を持った人が減って来た様に感じます。会社や団体・組織に属する事で形骸化し、保身が全てを支配してしまうのでしょう。保身もまた自尊心・自己愛の高さ所以であり、バランスを欠いた「お互い様」の精神がありません。

以前、私が無駄・ロスの低減を計ろうとして上司に計画を提案したら「自分達の仕事が無くなる」と拒否されました。所謂、組織防衛です。私自身も確かに迷いはあります。SF映画「アイロボット」や「マイノリティリポート」「スターウォーズ」等では無人で車やロボットを作ります。そうなれば、人間は何をすれば良いのだろうと...。PIXERの「WALL・E」の様に太って歩く事さえ出来ない人間になってしまうのか?

然し乍ら、人間は創造物を具現化する力を持っています。Creationする力はまだまだ尽きません。保身や保守であるならば、それは何れ破綻します。安定と云う幻想に囚われていると右肩下がりになるのは、人間の欲求を満たさないからです。故に製品・サービスは変化し続けますし、競合他社(者)と競走します。

安定と云う幻想の枠に囚われ、見た事のない世界を創造出来なければ、安定すらありません。陽炎や水滴で光が歪む現象を追求し説明出来なければ、アインシュタインの相対性理論に於ける空間の歪みによる時間のズレも認識出来ないでしょう。

誰しも知っているであろうGPSは今やカーナビに留まらず、携帯電話にすら搭載されています。然し、アインシュタインの特殊相対性理論・一般相対性理論に依る、衛星と地球上に於ける時差の修正が行われている事はご存じない方も多いでしょうね。位置情報は三角測量(三次元測位)の原理を使っている事はご存知かと思います。GPSには原子時計が使われていますが、時差が生じ補正をしているのです。原子時計の特性なのか相対性理論なのか議論の別れる処なのですが、私は後者だと思っています。

夜空を眺めるその瞬間に目に映る星々の光は、その光を発した年代はそれぞれ違うのです。ひょっとすると見ている星はもう存在しない星かもしれません。光の先にその星があるのではなく、もっとズレた位置に存在するのかもしれません。陽炎の如く...。