一度だけ君がくれた 手紙を読み返したら
気付けなかった寂しさが降ってきて
ごめんねとつぶやいても もうどうなる訳でもなく
切なさがギュッと胸をしめつける
Ah 僕が戦場に行っているその間 君はもう違う誰かの腕の中
そして僕は一人...
Mr.Children「ゆりかごのある丘から」より...
「うつ」の酷い時には音楽を流しっ放しにしていても、歌詞など耳に入らない。「うつ」を悟ってからは歌詞の意味を感じる様になって来た。体調も良くなって来たし、服用薬の効き目も違う。確かに、「うつ」になる原因を理解したが、自尊心のバランスをどう保つかは試行錯誤せざるを得ないとも言った。
前エントリで、自分の言動が他人様に与える影響を常に考慮していると記した。逆に他人様の言動もまた私に影響を与える。昨朝の公園のベンチの損壊を見た私はショックを受けた。肩を落とし、帰路に着く時には意気消沈し、「やっぱりこんな世の中は嫌だ」と思うと同時に、そんな世の中に私自身が加担していないかと自問自答した。勿論、意見や行動を起こす前に悪い頭で熟考するが、自信が持てなくなり不安が湧き起こる。
前エントリをポストした後、過去に計画(輪番)停電について、すっかり騙されていた自分に気付き、夜まで再検証していた。私が犯した罪は、計画(輪番)停電を一つの根拠として反原発と早計に唱えるなと発言した事である。計画(輪番)停電は東電・官僚・マスコミの策略だった。経験の浅い政府もそれに乗っかっていた。それを見抜けなかった私も無能である。「うつ」の酷い時期だったとは言い訳にもなるまい。
反・脱原発に対する意見はこのブログでも述べているし、それはブレてはいない。
再検証していた過程で、4月25日に行われた原子力安全・保安院と東電の海外向けプレス記者会見に於いて、海外プレスの出席者が誰一人居ないYouTube映像を見つけた。私はその頃は酷い「うつ」状態だったので、ブログもTwitterも全てのコミュニケーションツールを遮断していた時期なので知らなかったが、震災直後からの会見等を暫くは観ていたので、全然不思議とも思わない。嘘が次々バレていたからね。
お陰で、遠ざけていた薄汚い裏社会?真実?をまざまざと見る事となり、今朝は胸が苦しく、「生きる意味」と云うワードをググっていた。そこに答えがあるとは思っていない。不安感を共有出来る何かを求めていたのだろうと思う。生命の生死は自然の摂理であるが故に生きる為の意味など無い。と、最後にはそこに辿り着く。
タイトルは「閑雲野鶴(かんうんやかく)」にしたかった。余生はそうしたい。その為にも、「うつ」を治し、社会復帰し、その資金を得なければならない。水が出て、凍えない土地に移り住み、自給自足の生活をしたい。
再生可能・自然エネルギーと云うが、自然からエネルギーを人間様が奪うと、その分比例して、そのエネルギーで生きている他の生命体がダメージを受ける。言葉のレトリックでしかない。水力発電でもダムを造る事で下流の生態系をエネルギーを人間様が横取りする分、生命体が減ったではないか。太陽光でも風力でも同じである。
愛知県蒲郡市の市長が「三陸は歴史的にも被害が散見され、明治、昭和にも津波があった。先人達も造るなと言って来たのに、家が立っている方がおかしい」と発言し、物議を醸しそうだと報道があった。どちらも知恵がない。被災地の映像を見て思ったが、比較的鉄骨構造の建物は倒れず残っていたりする。ならば、高床式の高層ビルにでもすれば良い。下層は駐車場にでもして、被害を抑えることは出来る。高台の山を切り開いてまた自然破壊するのかい。海岸線をもっとコンクリートで埋めて高い堤防を築くのかい。
鎌倉の大仏は皆良くご存知かと思う。今は丸裸だが大仏殿が津波で流されたと記載されている。現在は海外線から1km強だろうか。よく、歴史を学んで名武将の武勇伝になぞらえる人がいるが、歴史を学んだのなら同じ過ちを犯すなと言いたいものだ。
私の住居は5階建てで川沿いにある。川の氾濫を懸念して、それだけではないが5階に決めた。1階は店舗スペースだが入居者が居らず、2店舗を住居に改装した際に大家さんから1階に移らないかと言われたが断った。それ以前に道路が冠水し見廻りの消防車すらエンストしたのを見ている。
何度もこのブログで言っているが、メリット・デメリットは表裏一体である。メリットばかりに気を取られてデメリットを担保することを忘れてはならない。そう云う意味でも蒲郡市長の言葉も左程間違っているとは思えないのである。家を建てたのは自分の意思であろう。自分の意思で建てておき乍ら、被害、つまりデメリットを行政になすり付けるのはお門違いであるし、そう云う被災者がいないのは立派である。そんな立派な被災者に温かい言葉を贈る配慮がないと云う意味に於いては蒲郡市長の言葉は辛辣である。
天皇陛下が被災地を訪問された際には膝をついて被災者を労っていたが、東電の役員・社員は膝をつきもせず立った侭、詫びの言葉を放った。胸ぐらを掴んでぶん殴れば良い。軽犯罪に問われても国民皆が庇うだろうさ。