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【351】ゲートが開いた・解剖医学事典

 ミラー氏【11】の前で、わずかに透けた肌色の壁面が、胞子に覆われた遺骸を引きずりながら次々と動いて、登録されたミラー氏の指紋どおりの迷路を形作っていく。本人ならば目をつぶっていても通り抜けられるだろう、というわけである。ミラー氏は細長い迷路を歩きはじめた。壁の所々に貼られた、母探しのチラシや思想的に偏った檄文や〈野生のかわいいもの〉【173】のポスターなど、知られざる自分の一面を眺めながら、行き止まりに突き当たることなく軽やかに足を進めていく。出口が近づいてくると、白衣を着た鬼のような男が前に立ちはだかった。解剖医学事典、第三版だった。鬼に見えたのは顔筋が剥き出しのせいだ。ミラー氏の嫌いな時間が始まろうとしている。解剖医学事典はX線を放つ眼と超音波を発する鼻でミラー氏の体をなめ回すように眺めながら「表皮! 真皮! 皮下組織! 筋膜!—— 」などと人差し指を振りながら甲高い声で点呼しはじめた。「 皮神経! 前頭筋! 口輪筋! 胸鎖乳突筋! 舌骨下筋 !」自らに掲載されているすべての名称と照らし合わせ、そこから漏れる異物を検知しようというのだ 。「腹直筋鞘前葉! 長内転筋! 縫工筋! 太股四頭筋 !」役員たちの待つ会議室【356】に入るためには仕方がないのだが、いささか退屈だった。ラジオでランナーの鼓動でも聞きたいところなのだが、持ち込みは固く禁じられている。「顔面動脈! 顔面静脈! 浅側頭動脈! 浅側頭静脈!」第二版のときのように解剖されるよりはましだと自分を納得させるしかない。「総頸動脈! 内頸動脈! 鎖骨下動脈!——

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