僕は通勤中、信号無視の大型トレーラーに轢かれ、意識不明の重体で救急搬送されたそうです。
救急搬送されたのは間違いないんですが、搬送された本人の僕は覚えてませんから、
意識が戻った後、うちの奥さんからその話を聞いて、僕がびっくりしたくらいです。
でも、意識が戻ってみると体が思うように動かないし、地下鉄の中みたいな音がするし
なんだこれ?!どうなっちゃんだ!?僕死んじゃうのか!!??っていうかんじで
その時の気持ちは覚えてないですけど、たぶん軽いパニック状態だったと思います。
人間の脳くんはうまくできているんですね。
だって、事故の瞬間のことを思い出したら、たぶんPTSD(だったかな?)になっちゃうから
そういうショッキングなシーンは、思い出さないようにできてるみたいですね。
あ、ここで言う「脳くん」は、中島恵子先生の著書で良く出てくる脳みそのキャラクターです。
このブログを始めたころ、たぶん「脳」とか「脳みそ」みたいな表現をしてたと思うんですけど
そんな単純な臓器じゃないって、だんだん気が付いてきたから、「脳くん」って呼ぶようにしたんです。
でも、僕が大型トレーラーに轢かれたことで、脳くんも大けがしたんですけど
脳くんを守ってる、からだくんは直接衝撃を受けてるから、それこそ大けがしてたんです。
だから、意識回復してから、いろいろ気が付くことがいっぱいあるから
それを一つひとつ、家族や、看護婦さんに僕が言うんですけど
高次脳機能障害の僕は、自分がどういう状態だか説明しようと思っても
症状を説明する言葉が思い出せないから大変でした。
それで、意識回復してからすぐに、というわけではないんですけど、僕にとってはそういう感覚でした。
実際、意識が回復したのは、事故に遭ってから約1か月半後で、転院したのはその半月後でした。
転院したのは、高次脳機能障害者の支援に力を入れている病院でしたから
転院してからすぐに、メモリーノートをつけるように指導してくれました。
そのメモリーノートには、朝昼夕飯のメニューを書くようにしてました。
だけど、それを書くようになってから気が付いたことは、食事を見てもその名前を思い出せなくて
食べてみても、味がわからないし、においもわからないんです。
このときは、「あれ?、これ、なんだろうな~」みたいでのどかななかんじでしたよ。
結局、歯医者で、抜歯するときに打つ麻酔を打たれたみたいに、口の中が痺れてるから
口の中の感覚はないけど、全く味がしないわけではないんです。
においも同じで、全く感じないわけじゃないけど、何のにおいだかわからないんです。
こんなかんじで、いろんな症状がわかってきて、僕は、症状てんこ盛り障害者だってことがわかっていきます。
だから、退院してから、奥さんと近所の公園に歩く訓練に行ったりしてたんですけど
僕は、猛烈な悪臭を感じることはなかったから、それは良かったのかなとも思ったりしたけど
気が付かないで逃げないから、危険なんだなってことがわかりました。
美味しい食事を作るのも食べるのも好きだったから、退院してからいろんなところに行ってみましたが
まず分かったことは、熱いのと冷たいのが猛烈に敏感になっちゃったから、食べるのに物凄く時間がかかったし
いざ食べてみると、味がしないんです。
だから、僕の味覚障害は、何かしらの味は感じることはできるけど
美味しいものに限って、味が感じないっていう非常に厄介なものでした。
だから、味覚障害のリハビリではいろんなところに行きましたが、
結局は食べ方の訓練ができただけだったのかな・・・。
包丁をうまく使えなくなっただけでも大変でしたが、
この味覚障害は、僕の趣味をまた一つ奪って行きました。
だって、お料理のレシピに、調味料の量を、大さじ1とか小さじ1とかじゃなくて
少々とか適当ってありますよね?
僕はこういう味見をしながら料理を作っていくことができなくなったんです!!!
だって、調理中だから熱いし、味の違いが判らないから味見もできないっていうことで
僕が事故前にやってたお料理も難しくなりました。
だから、そういう障害も、てんこ盛り障害のほんの一部なんですけど頑張るぞ!!!!
今日は脳くんお休みの日にしたんだけど、僕がブログ書いてる横で
うちの奥さんが、ぐーすかぴーって寝てます。
うちの奥さんは、こんなど根性系障害者の面倒をみるために、大好きだった仕事を辞めてくれたから
疲れてるんですよね!
そうですよね?!って書いたところで、なんだか寝返り打ち始めたぞ?
あ、でも、また寝ちゃったみたいだな、zzzzzzzzzzzってかんじで・・・・。
救急搬送されたのは間違いないんですが、搬送された本人の僕は覚えてませんから、
意識が戻った後、うちの奥さんからその話を聞いて、僕がびっくりしたくらいです。
でも、意識が戻ってみると体が思うように動かないし、地下鉄の中みたいな音がするし
なんだこれ?!どうなっちゃんだ!?僕死んじゃうのか!!??っていうかんじで
その時の気持ちは覚えてないですけど、たぶん軽いパニック状態だったと思います。
人間の脳くんはうまくできているんですね。
だって、事故の瞬間のことを思い出したら、たぶんPTSD(だったかな?)になっちゃうから
そういうショッキングなシーンは、思い出さないようにできてるみたいですね。
あ、ここで言う「脳くん」は、中島恵子先生の著書で良く出てくる脳みそのキャラクターです。
このブログを始めたころ、たぶん「脳」とか「脳みそ」みたいな表現をしてたと思うんですけど
そんな単純な臓器じゃないって、だんだん気が付いてきたから、「脳くん」って呼ぶようにしたんです。
でも、僕が大型トレーラーに轢かれたことで、脳くんも大けがしたんですけど
脳くんを守ってる、からだくんは直接衝撃を受けてるから、それこそ大けがしてたんです。
だから、意識回復してから、いろいろ気が付くことがいっぱいあるから
それを一つひとつ、家族や、看護婦さんに僕が言うんですけど
高次脳機能障害の僕は、自分がどういう状態だか説明しようと思っても
症状を説明する言葉が思い出せないから大変でした。
それで、意識回復してからすぐに、というわけではないんですけど、僕にとってはそういう感覚でした。
実際、意識が回復したのは、事故に遭ってから約1か月半後で、転院したのはその半月後でした。
転院したのは、高次脳機能障害者の支援に力を入れている病院でしたから
転院してからすぐに、メモリーノートをつけるように指導してくれました。
そのメモリーノートには、朝昼夕飯のメニューを書くようにしてました。
だけど、それを書くようになってから気が付いたことは、食事を見てもその名前を思い出せなくて
食べてみても、味がわからないし、においもわからないんです。
このときは、「あれ?、これ、なんだろうな~」みたいでのどかななかんじでしたよ。
結局、歯医者で、抜歯するときに打つ麻酔を打たれたみたいに、口の中が痺れてるから
口の中の感覚はないけど、全く味がしないわけではないんです。
においも同じで、全く感じないわけじゃないけど、何のにおいだかわからないんです。
こんなかんじで、いろんな症状がわかってきて、僕は、症状てんこ盛り障害者だってことがわかっていきます。
だから、退院してから、奥さんと近所の公園に歩く訓練に行ったりしてたんですけど
僕は、猛烈な悪臭を感じることはなかったから、それは良かったのかなとも思ったりしたけど
気が付かないで逃げないから、危険なんだなってことがわかりました。
美味しい食事を作るのも食べるのも好きだったから、退院してからいろんなところに行ってみましたが
まず分かったことは、熱いのと冷たいのが猛烈に敏感になっちゃったから、食べるのに物凄く時間がかかったし
いざ食べてみると、味がしないんです。
だから、僕の味覚障害は、何かしらの味は感じることはできるけど
美味しいものに限って、味が感じないっていう非常に厄介なものでした。
だから、味覚障害のリハビリではいろんなところに行きましたが、
結局は食べ方の訓練ができただけだったのかな・・・。
包丁をうまく使えなくなっただけでも大変でしたが、
この味覚障害は、僕の趣味をまた一つ奪って行きました。
だって、お料理のレシピに、調味料の量を、大さじ1とか小さじ1とかじゃなくて
少々とか適当ってありますよね?
僕はこういう味見をしながら料理を作っていくことができなくなったんです!!!
だって、調理中だから熱いし、味の違いが判らないから味見もできないっていうことで
僕が事故前にやってたお料理も難しくなりました。
だから、そういう障害も、てんこ盛り障害のほんの一部なんですけど頑張るぞ!!!!
今日は脳くんお休みの日にしたんだけど、僕がブログ書いてる横で
うちの奥さんが、ぐーすかぴーって寝てます。
うちの奥さんは、こんなど根性系障害者の面倒をみるために、大好きだった仕事を辞めてくれたから
疲れてるんですよね!
そうですよね?!って書いたところで、なんだか寝返り打ち始めたぞ?
あ、でも、また寝ちゃったみたいだな、zzzzzzzzzzzってかんじで・・・・。