ど根性系障害者は頑張って生きていくぞ!!!~高次脳機能障害その他症状てんこ盛り障害とともに~

交通事故で負わされた高次脳機能障害等とともに3年ぶり復職できたけど、次の目標を探しながらまだまだ頑張る奮闘ブログです。

3回目のお正月

2012年12月31日 11時14分28秒 | 日記

 僕は信号無視野郎の大型トレーラーで3年ほど前に轢かれたけど、生きてた。

 3年前のお正月は、意識はなかったけど病院で迎えてたのかな?

 あ、違う違う、意識はなかったけど、一時帰宅してたらしいんだ。

 だから、僕みたいな人が、僕の自宅で正月を迎えたらしい。



 それから、意識がなかった僕を高次脳機能障害じゃないだろうか、ってことで
病院スタッフさんと奥さんが頑張ってくれて、僕は県リハに転院した。

 入院期間中はもちろん頑張ったけど、退院してからも外来通院でリハビリを頑張り続けた。

 夏ころ、主治医の了解を得てから、運転免許センターで、高次脳機能障害者としての検査を受けた。

 そしたら、頑張ってリハビリを続けたからかもしれないけど、合格した。

 運転免許証は、何の条件も付けずに、そのまま運転しても大丈夫、ということになった。

 検査を受けて合格した、ってことを免許証に書いてくれるのかな、と思ったけど
免許証に何か書くときは、条件付きの時だけなんだそうだ。

 2回目のお正月は、症状がかなり回復して迎えることができた。

 このブログも始めてたし、カペラくんを運転することができるようになってた。

 でも、まだ、復職は見えてこなかった。



 明日、3度目のお正月を迎えることになる。

 おとといまで、このブログのタイトルは、
「目指せ、復職!やるぞ、リハビリ!~高次脳機能障害からの復帰~」だったんじゃないかと思う。
 
 元旦は、このブログのタイトルの目標は、まだ達成できてないけど
休職命令が発令された期間は今日で終わる。

 だから、明日からは休職命令が出されていないから、事実上、復職のお正月だと思う。

 これは、御用始めの辞令交付式で、確定することなんだけど・・・。



 健常者のころから、ど根性系で正義感が強かった僕は、高次脳機能障害の脱抑制で正義感が強化された。

 2年ほど前、僕は、自分の脱抑制を、「KY症候群」と呼んでいた。

 これは医学用語でも何でもない。僕が付けた名前だからだ。

 と言うのは、僕は、その場の空気を読めないで、変なことをよく言ってたらしいから・・・。

 でも、それから半年くらいたったころだったかと思うけど
県リハの臨床心理士さんが、僕の脱抑制を「イノシシ攻撃」と名付けてくれた。

 正義感の塊になった僕は、悪い奴を見つけると、すぐに注意しに行くから
その様子が猪突猛進だったので、高次脳機能障害者にもわかりやすく教えてくれたんだと思う。

 だから、「イノシシ攻撃」も医学用語ではない(と思う)。



 僕が、自分の復職のリハビリのために始めたブログだけど、いろんな仲間が増えて行った。

 僕の復職だけじゃなくて、人間として回復していくことを助けてくれた仲間だ。

 記憶障害で名前を思い出すのが難しくなってるから、思い出せない人がいると思う。

 だけど、思い出せない人がいる、って認識してることで許してほしいと思う。

 礼さん、ともさん、Blueさん、

 それから、たむたむさん、こたぱんさん、埼玉のBlueさん、だふっちさん、

 それから、よっちゃん、JUNさん、としゅとしゅたん、

 ツイッター、アメブロも始めたから、まだまだ、たくさんいたと思う。

 コウジ村のみんなも、復職先のみんなも 

 ホントにみんなありがとう!!!!



 僕の勤務先では、僕は初めての高次脳機能障害者の復職です。

 だから、高次脳機能障害者は仕事ができるんだ、ってことを証明するためにも頑張ります!!



 今日は、高次脳機能障害で休職中の公務員としての大みそかです。

 明日から、高次脳機能障害者の公務員としての新しい人生が始まります。

 頑張っても無理なことはあると思うけど、これからもよろしくお願いします!!!

 ど根性系障害者は頑張りますよ!!!!!!!




 やぎさんも、ありがとう!!

 まだ誰かいたはずなんだけど、思い出してます(汗)。
 

思い出して良いことと、良くないこと、それがわからないのが記憶障害の辛いところ

2012年12月30日 21時16分01秒 | 日記

 僕は3年前の通勤途中、信号無視野郎に轢かれた。

 でも、その半年前、ひき逃げにも遭っている。

 ひき逃げされた時、犯人は救急車を呼んでから逃げた。

 その犯人はバカだから、救急車を呼ぶとき、わざわざ名乗ってから逃げた。

 僕はその時の賠償金で、限定解除してカワサキの大型バイクを買うつもりでいた。

 でも、信号無視野郎に轢かれて障害者にされたから、バイクにはもう乗れなくなった。

 これは、僕にとって、思い出したくない過去のこと。

 年明けから復職できることになったから、嬉しいはずだった。

 でも、きょう大掃除してて、そんな過去のことを思い出させることがあった。

 新品のL.L.Beanの防寒着がクローゼットの中から出てきた。

 奥さんが、「あれ!これ新品だよ!」って言って、僕に見せた。

 僕は、なんで新品の防寒着があるのかわからなかった。

 でも、クローゼットの中から、色違いのL.L.Beanの防寒着が出てきた、ボロボロの・・・。

 それは、ひき逃げされた時に着てたからボロボロだったんだ。

 でも、賠償金で、色違いの防寒着を買った、ということを思い出してきた。

 ひき逃げされた時、僕は救急搬送されたけど、健常者のままだった。

 だから限定解除して、大型バイクに乗るつもりでいた。

 あのとき、奥さんは、「もう2度とバイクには乗るな」って言ってくれてたんだよな・・・。

 僕は、奥さんが言うことは聞かないで、バイクに乗り続けたんだ。

 あのとき、バイクに乗るのはやめておけば、信号無視野郎に轢かれることはなかったんだろう。

 僕は奥さんから、「ひとのいうことを聞かない」ってよく言われてたんだよなぁ・・・。

 今日は、大掃除してたつもりなんだけど、いろいろ思い出してた。

 ようやく思い出したこと、それは思い出さない方が良かったことだった・・・。





 おとといまでのお試し出勤で、僕が事故前にやってたもの、それが僕の机の引き出しからいっぱい出てきた。

 それは、僕の職場の許認可事務の要綱とか事務処理要領だった。

 なにやら、関係する法律の解説までまとめてある。

 それを読んでてよくわからないことがあったから、後輩くんに教えてもらってた。

 そしたら、その要綱は僕がつくったものなんだそうだ。

 僕の事故後に入った新人くんも、それで勉強したんだそうだ。

 年明けから復職することが決まった僕は、それが自分がつくったものなのに、理解できなかった。

 でも、一所懸命に思い出していくうちに、いろいろ思い出してくるものなんだな、というのがわかった。

 「思い出さなきゃよかった」っていうことが多いのが、記憶障害の辛いところだ・・・。




 そんな辛い気持ちの時に、このブログの新しいタイトルとか考えてた・・・。

再スタートのブログ、まだ思案中です

2012年12月29日 23時57分41秒 | 日記

 復職後のタイトル、まだ思案中です。

 目指せ、幸せ!ってのは当たり前だよね。

 僕自身が、奇跡の生還だから、当たり前もいいのかな?

 とりあえず、高次脳機能障害はリハビリを継続することで、回復し続けるんだよなぁ・・・。

 目指せ、回復!っていうのも、当たり前すぎるし・・・。

 う~ん、でも、これって嬉しい悩みだよなぁ。

 まだ、お休み始まったばっかりだから、脳くんもお休みさせてあげよ、っと。

 では、おやすみなさ~い!

 zzzzzzzzzzって、まだ寝てないよ(笑)。

一足早いお年玉!!!

2012年12月28日 22時09分54秒 | 日記

 僕は、信号無視野郎に轢かれても死ななくて、3度目のお正月を迎えようとしている。

 そんな僕にとって、今日は、お試し出勤の最終日。



 昨日の、何とか審査会のあと、審査結果がわからなくて、僕は上司に文句言ってました。

 「何で、そんな不安な状態で正月休み迎えさせるのよ~!!!!!」って・・・。

 そしたら、今朝、上司は、人事部局に確認に行ってくれてたみたいでした。



 昨日は、めんどくさい障害者の部下になっちゃってごめんなさい、って心の中で思ってたんだ・・・。

 「何で高次脳機能障害は、こんなに気分の浮き沈みが激しいの?」って心の中で反省してたんだ・・・。
「って、おい!!!全然反省してないじゃんか!!!!!」って心の中では、良い僕と悪い僕が言い合いしてるんだよね!



 話を元に戻します。

 なんとなんと、今日のお昼前、人事部局から上司のところに電話があって、僕の「復職」が決定したんだって!!



 僕の上司は、「本人に伝えてもいいですか?」って聞いてくれたんですって!

 そしたら人事部局は、言ったそうです。

 「これは特別扱いなんだけど、あくまでも、『内示』ということで、伝えても構わない」と・・・。



 僕の上司は、一所懸命仕事してるふりしてる僕の肩をたたいて、手招きしました。

 僕は、上司の席のそばの椅子のところまで、ひょこひょこ歩いて行きました。

 そしたら、上司は僕に、「大きな声では言えないけど、復職が決定したよ」って言ってくれました。

 上司が、「大きな声じゃ言えないから」ってことで呼ばれたのに、僕は、大きな声で繰り返してました。

 「え~~!! 大きな声じゃ言えないけど、復職が決定したよ、ですって~~!!!!!」と・・・・。

 言った後に、「大きな声で言ってしまった」と、小声で僕は言いました。

 こういうのは、「注意障害」なのかな?



 でもでも、僕が、「あ~、この日が来るのをどれだけ待ってたことか!!!」って思ってても言わないんですけどね。

 僕にとっては、ものすごくうれしいお年玉だな!!

 ってことで、心配して待っててくれてる、こういち兄さんに電話しました。

 「こういち兄さん!!僕、復職が決まったよ!!」って開口一番に言いました。

 相手がだれか確認しないで言ってるところが、ダメだったかな?って思ったら違ってました。

 「おい、こうじ、俺はお前に、『人事部局の悪口は言わないでおとなしくしてろ』って言ったよな?!」とこういち兄さん。

 僕は、「うん、言われた・・・」と、ちょっと弱った声で言いました。

 「さっき、お前の上司から電話があって、昨日すごかった、って言ってたぞ!!!」と、こういち兄さん。

 僕は、「言っちゃいました!ごめんなさい!!」と早々に謝ると、
こういち兄さんは「まあ、いいよ!復職決まったんだってな!!おめでとう!!!!」と言ってくれました。

 やっぱり、同じ経験をしてきてるから、嬉しさもよくわかってくれてるんだな、って思えて嬉しかった。

 ということで、来月、落ち着いた頃に一緒にメシでも食おうか、って言ってくれました。

 
 ホントに、このブログ始めたのは、この日が来るのを待ち焦がれて始めたんだよな、って思ったら
今日は、このブログを始めてから888日目なんですって!!!!

 信号無視野郎に轢かれたバイクのナンバーが「222」だったから、ゾロ目に縁があるんですね、僕。



 ってことで、今日は、高次脳機能障害その他症状てんこ盛り障害者は、職務命令を受けました!!

「仕事始めの日は、辞令交付式があるから、スーツ着用で出勤するように」と、部長から嬉しい職務命令!!!!



 今日は、そんな記念すべき日だけど、言いたいことがウマくまとまらないから、とりあえず、ご報告で~す!!!




僕はいつまで、「お試し」され続けるの? なんで?! 納得できない!!!

2012年12月27日 22時45分02秒 | 日記

 今日は、お試し出勤、第61日目だけど、実質的な最終日だと思ってた。

 午前中は、産業医さんとの面談があって、午後は、何とか審査会があるから。

 「休職命令」っていう分限処分されたころ、今年の夏だったな。

 僕は、「なんで、高次脳機能障害も知らない産業医と面談しなきゃならないのよ?!」って思ってた。

 だけど、こういち兄さんに、「人事部局の悪口を言うのはやめて、おとなしくしておけ」って言われた。

 だから、毎日おとなしく、お試し出勤をやり続けて、産業医さんを否定するようなことは言わないようにした。



 午前中の面談で、お試し出勤を続けてきたことで、仲良くなれた(ような気がした)。

 面談の最後に、「高次脳機能障害者の復職の先駆者として頑張れ!」って励ましてくれたから・・・。

 これに感激して、高次脳機能障害の感情失禁で、僕は号泣しちゃった・・・。

 すべてうまくいくと思ってたのに・・・。



 午後は、非公開の何とか審査会があった。

 僕の上司が5人くらいの審査員から尋問を受けてるようなかんじだったらしい。

 なるほど、そんなの公開できるわけないよね。



 でも、3か月もお試し出勤させておいて、その審査結果は教えてくれないんだって、今日は・・・・。

 はぁ?何なのよ、それは!?

 別に僕の上司に責任があるわけじゃないけど、何とか審査会から帰ってきた上司に言った。



 このお試し出勤も前に、僕の主治医と職場でいざこざがあった。

 主治医は、僕が土木技師だから、力仕事をするものだと思っていたらしい。

 だから、デスクワークなどいわゆるお役所仕事を軽作業だと思ってるから
休職命令が発令される前に、「勤務可能だが、軽作業が望ましい」と診断してくれた。

 それを人事部局は、『役所の仕事は、軽作業じゃないから、「勤務不可能に訂正」するように!』と要求したらしい。

 主治医はこれが不愉快だったらしく、いつも「あたしのハンコがほしいだけなんでしょ!」と言っていた。

 そのたんびに僕は、「ごめんなさい」って謝ってた・・・。

 何で僕が謝らなきゃいけないのさ~!?っていつも思ってたなぁ・・・。

 その僕の勤務先に対して不愉快に思ってる主治医は、今回の診断書に物凄いこと書いてきた。

 「勤務可能だが、軽作業で周りのサポートが必要」って断言しちゃった。

 僕にとって、主治医は神様なんだから、神様の気を損ねちゃダメ!ってよく言ってたっけ、勤務先に・・・。



 何とか審査会から帰ってきた上司が、僕に状況を説明してくれました。

 その中で気になったのがあったんです。

 何とか審査会の審査員が、「勤務可能だが、軽作業で周りのサポートが必要」ってことは・・・って言うと
「まだ復職は早いんじゃないか?」って聞いてきたらしいんです。

 僕の上司はそういう質問は想定していたから、こう答えたそうです、
「スコップもって作業やったり測量したりという土木技師の仕事はできない、と言うことです」と・・・・。

 時間はかかるけど、健常者以上の土木作業はできるよ!!!って僕は思いましたけど
上司がそんなこと言えるはずもないでしょうから、ここはぐっと堪えました。

 でも、なんですぐに審査結果教えないのよ!!

 なんで出勤扱いにしない「お試し出勤」を3か月もやらせといて、審査結果も知らせないなんて!!!
って思いながら、もんもんとした状態で、お正月休みに入るわけです。

 これで、あけましておめでとう!なんてこと言えないよ!!



 この3か月頑張ってきた、お試し出勤。

 何で、その結果をすぐに教えないの?

 明日もお試し出勤あるんだけど、明日教えてくれるのかなぁ・・・。

 いやいや、そんなことより、これが最後のお試し出勤になることを祈るしかない!!!!



 でも、やっぱり納得いかないなぁ・・・。