僕は信号無視野郎の大型トレーラーで3年ほど前に轢かれたけど、生きてた。
3年前のお正月は、意識はなかったけど病院で迎えてたのかな?
あ、違う違う、意識はなかったけど、一時帰宅してたらしいんだ。
だから、僕みたいな人が、僕の自宅で正月を迎えたらしい。
それから、意識がなかった僕を高次脳機能障害じゃないだろうか、ってことで
病院スタッフさんと奥さんが頑張ってくれて、僕は県リハに転院した。
入院期間中はもちろん頑張ったけど、退院してからも外来通院でリハビリを頑張り続けた。
夏ころ、主治医の了解を得てから、運転免許センターで、高次脳機能障害者としての検査を受けた。
そしたら、頑張ってリハビリを続けたからかもしれないけど、合格した。
運転免許証は、何の条件も付けずに、そのまま運転しても大丈夫、ということになった。
検査を受けて合格した、ってことを免許証に書いてくれるのかな、と思ったけど
免許証に何か書くときは、条件付きの時だけなんだそうだ。
2回目のお正月は、症状がかなり回復して迎えることができた。
このブログも始めてたし、カペラくんを運転することができるようになってた。
でも、まだ、復職は見えてこなかった。
明日、3度目のお正月を迎えることになる。
おとといまで、このブログのタイトルは、
「目指せ、復職!やるぞ、リハビリ!~高次脳機能障害からの復帰~」だったんじゃないかと思う。
元旦は、このブログのタイトルの目標は、まだ達成できてないけど
休職命令が発令された期間は今日で終わる。
だから、明日からは休職命令が出されていないから、事実上、復職のお正月だと思う。
これは、御用始めの辞令交付式で、確定することなんだけど・・・。
健常者のころから、ど根性系で正義感が強かった僕は、高次脳機能障害の脱抑制で正義感が強化された。
2年ほど前、僕は、自分の脱抑制を、「KY症候群」と呼んでいた。
これは医学用語でも何でもない。僕が付けた名前だからだ。
と言うのは、僕は、その場の空気を読めないで、変なことをよく言ってたらしいから・・・。
でも、それから半年くらいたったころだったかと思うけど
県リハの臨床心理士さんが、僕の脱抑制を「イノシシ攻撃」と名付けてくれた。
正義感の塊になった僕は、悪い奴を見つけると、すぐに注意しに行くから
その様子が猪突猛進だったので、高次脳機能障害者にもわかりやすく教えてくれたんだと思う。
だから、「イノシシ攻撃」も医学用語ではない(と思う)。
僕が、自分の復職のリハビリのために始めたブログだけど、いろんな仲間が増えて行った。
僕の復職だけじゃなくて、人間として回復していくことを助けてくれた仲間だ。
記憶障害で名前を思い出すのが難しくなってるから、思い出せない人がいると思う。
だけど、思い出せない人がいる、って認識してることで許してほしいと思う。
礼さん、ともさん、Blueさん、
それから、たむたむさん、こたぱんさん、埼玉のBlueさん、だふっちさん、
それから、よっちゃん、JUNさん、としゅとしゅたん、
ツイッター、アメブロも始めたから、まだまだ、たくさんいたと思う。
コウジ村のみんなも、復職先のみんなも
ホントにみんなありがとう!!!!
僕の勤務先では、僕は初めての高次脳機能障害者の復職です。
だから、高次脳機能障害者は仕事ができるんだ、ってことを証明するためにも頑張ります!!
今日は、高次脳機能障害で休職中の公務員としての大みそかです。
明日から、高次脳機能障害者の公務員としての新しい人生が始まります。
頑張っても無理なことはあると思うけど、これからもよろしくお願いします!!!
ど根性系障害者は頑張りますよ!!!!!!!
やぎさんも、ありがとう!!
まだ誰かいたはずなんだけど、思い出してます(汗)。