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遠野なんだりかんだりⅡ

遠野の伝承芸能・民俗・歴史を書きたい時に思いついたままに

紫波町郷土芸能祭へ 前編

2024-02-20 14:24:08 | 郷土芸能

先週金曜日は検査の予約に矢巾町まで。

予定では3月中にひとつ検査をし4月にもう一つ受け、その後、状況説明のはずでした。

ところが混んでいるようで最初受けようとしていた検査が5月になったことで、

検査の受け方が前後逆になり、説明はそれ以降になりそうです。

検査が伸びたぶん体重管理も少し先延ばしできそうな感じになったことから、

矢巾町に行く途中の紫波町郷土芸能祭へ出撃してみました。笑

 

この芸能祭は60回になるそうです。

イメージする紫波町の芸能は、遠野で観たことがある山屋の田植踊や南日詰の大神楽。

さて、今回の出演団体はと云うと、

 

最初は星山神楽さん

 

神楽別当家に大正時代の獅子頭があり、当時から親しまれていたと推察されるようで、

昭和6年に大迫町の大償神楽さんに正式に弟子入りしてから始められ、

昭和40年代に一時途絶え、昭和62年に復活。昨年伝承90周年記念神楽大会を開催とのこと。

 

演目は八幡舞。流石に90周年を迎えただけあって、素晴らしい舞でした。

ちなみに紫波町の神楽は3団体で、大神楽が4団体。

 

続いて、宮手鹿踊さん

紫波町には5つのしし踊りが伝承され、この日その全てが出演と云うことで

足を運んだ次第。

先ほど神楽と大神楽の数を記しましたが、このしし踊りの他、剣舞1,田植踊5,さんさ5

と、バランス良く様々な芸能が伝承されているようです。

 

紫波町のしし踊りは全て幕系しし踊りで、この宮手鹿踊さんは、

源義家が阿部貞任攻略のため、陣ケ岡に立ち寄った際、一頭の大鹿が現れ、

義家軍を道案内したことで勝利。その祝宴で将兵たちが鹿の様子を

真似て踊ったのが始りと伝えられる。その後盛衰が繰り返され、明治29年に矢巾町の

耳取の鹿踊りから伝授を受け、現在の宮手鹿踊りが確立される。と配布資料にありました。

 

盛岡・矢巾系しし踊りに見られるさんさ同様の一八。

 

女鹿狂い

 

袴に地下足袋、お尻には大口

遠野のしし踊りには、大口はありません。

 

遠野のししの後ろについてのいるのは流し

仙台藩領でも盛岡藩領でも、ほとんどが大口を付けており、宮古と山田、釜石では

付けていない団体もあります。遠野と同じように流しは釜石・宮古にも見られます。

太鼓系では見せるために意匠的に優れた流しになっていますが、

遠野系の流しは、伝承当初の名残りとして用いているのでは?と思っています。

今では、背中のかんながらで見えないことから、流しを付けないししも見かけます。

 

笛は篠笛のようです。

笛を使用するほとんどのしし踊りでは篠笛のようですが、遠野では神楽笛に近いもの。

この笛の音程とリズムの違いが、其々のしし踊りの差にも。

 

続いて、春日流紫野鹿踊りさん

江戸時代の正徳年間(1711~1716)に紫野の三右エ門家に徳丹村から嫁が来た。

当時から両家の農作業等では互いに行き来あり。

徳丹村に伝わる鹿踊を三右エ門家の若い衆たちが見真似て、紫野にも鹿踊が生まれた。

その嫁が「女鹿踊由来」の巻物を持ってきて、それを写したのが「紫野鹿踊来広記」。

 

ここのは町内の他の鹿踊りとは異なり、太鼓は踊らない。扇踊りがあることや、

掛け唄の調子から遠野地方のものと同系と思われる。と資料にありました。

 

と云うことですが、遠野と同系と云われても、どう答えればよいのか・・・。

 

袴姿で、お尻には大口

どの団体の演目にも女鹿狂いが入っており、これは県北にもあるようなので、

メインとしての共通認識があったのだろうと思います。

遠野では神社例祭などのお祝い事では、争う内容なので敬遠されます。

盛岡藩領に伝わる多くは幕系しし踊りで、遠野人は自分達のが主流だと思いがちですが、

それは全く逆で、独自に変化したのが遠野のしし踊りなんだと思っています。


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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
ころんでも (yamaneko)
2024-02-20 19:52:27
検査延期でも、ちゃんと郷土芸能補給しているところは續石(さすが)です!(笑)
返信する
八起 (笛吹)
2024-02-21 08:29:53
yamanekoさんへ
昨年は大転倒したので、これからはせいぜい小転倒ぐらいで済むようメンテナンスしたいと思っています。
何事も気から整えないと・・・と考え、精神的に良いと思うことを実行しているろころです。笑
返信する
シシオドリ考 (阿部)
2024-02-21 09:20:40
民俗芸能は、自分の古さを強調するあまりとんでもない由来が多いですね。もういいんじゃないかな、しがみつくのもね。巻物だって記載された年号が果たして本当かも定かとは言えないし、公式文書になんだかのエピソードが書かれていない限り信ぴょう性は薄くなりますね。権現頭があったからってその年代に舞があったかも定かではないですね。発表会などでいわゆる由来を語るときは考えないとね。っていつも思ってます
返信する
繰り返し (笛吹)
2024-02-21 13:55:48
阿部さんへ
Aさんが調べた結果1500年となり、後年Bさんがその後の資料等を基に1600年だったと発表します。
考察の過程を含めてBさんの1600年が正しいだろうとおおかたが判断していたのにも関わらず、
その後の人がたまたま見た資料が1500年説のものだとすると、古い資料のものが正しいと勘違いすることがあります。

遠野でも、500年以上も前に遠野へ攻撃をし、敗退した勢力が伝えたという芸能があります。後年の村史には、500年以上前の説は無く、山向こうの隣村に若い者(実名)が奉公に行っていて覚えたものが伝えられたとあります。
しかし、現在、由緒を説明する時には、500年以上前の説を採用しています。

研究者によって様々な事実が明らかになっている現在、その事実を基にした説明があっても、そろそろ良いのでは・・・。(;^_^A
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