遠野なんだりかんだりⅡ

遠野の伝承芸能・民俗・歴史を書きたい時に思いついたままに

第12回 遠野市郷土芸能共演会 其の四

2023-11-23 16:10:22 | 郷土芸能

昨日は天気が良かったので、お昼前後に、外出。相手も天気に誘われたようで留守でした。

そして、今日は、これまた良い天気。親戚の見舞いがてら4号線方面へドライブ。

 

そんな天気の良い朝は今月前半までは早朝散歩でしたが、今は昼散歩に変更。

1時間ぐらい歩くのがベストですが、お昼だと30分弱。

何とかしなければ・・・カロリーの消費量が足りないと思っていたら、

同級生から、ウォーキング気分が味わえる動画を紹介してもらいました。

本当に歩けなくなる真冬には、上手に活用してみようと思います。(;^_^A

さて、引っ張ってきた共演会も最後です。

 

午後最初の小倉神楽さんが終わり、青笹しし踊りさん。

9月の六神石神社のお祭りは途中で帰ってきたので、まともに観るのは

今年はこれが最初で最後になります。いつもは、この青笹と板沢さんの踊り納めが

勤労感謝の日辺りだったので、最後の踊りを撮る機会がまだあったのですが、

青笹はこの日、踊り嘉兵エのお墓参りで終了。板沢もこの日が踊り納めだったようです。

 

演目は「庭ほめ ほか」です。

出ました「ほか」笑

 

訪れた所を祝福する「庭ほめ」の後、「膝立て、山の神、廻り入端」となり、

ししと刀かけが組になって闘う様を表現と説明文にありました。

 

その後、徐々に柱がかりに入ります。

 

この日は私と同い年の4人組のうち、二人の姿は確認。

創立50周年まで参加されていた諸先輩同様に、もう少し頑張ってほしいものです。

 

ししとの闘いの後は、共存の様子を表現し、五穀豊穣の踊りです。

この辺りの「よいさか さっさかさ~」の掛け声が大好きです。笑

 

ステージ用に作られたこの踊りの構成は、演目のつなぎ方が上手だと思います。

 

青笹しし踊りさんの市外のステージでの様子は動画に出ています。

ステージ最後のお客さんからの拍手の様子をご覧ください。笑

 

トリは山口さんさ踊りさん

古屋敷会長が、伝えられた経緯などを説明。今回初めて、踊りを伝えた兄嫁さんの

名前が「はな」さんだとわかりました!笑

 

現在の踊り手は未就学児から大人まで30人ぐらいで活動中とのこと。

 

この日は大人中心だったようです。

 

今年の遠野まつりのポスターは、さんさ踊りがメインということで、

宮守町の下郷さんさ踊りでした。

 

市内で活動しているさんさ踊りは、この2団体の他、

上郷町の森の下さんさ踊りさんと上宮守参差踊りさんです。

他に上郷町の平野原と綾織町の砂子沢、達曽部の大川目にさんさ踊りが

あることになっています。が、活動している姿を私は目にしたことがありません。

 

復活の際は、ぜひ、ご一報ください!

かつて100以上の郷土芸能があった遠野、今、活動しているのは60団体ほど。

それでも県内では、多い方だと思います。一番ではありませんが。

折角、引き継いできたんだから、もう少し、頑張ってみましょうね~!

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第12回 遠野市郷土芸能共演会 其の参

2023-11-22 08:38:47 | 日記

今回の郷土芸能共演会、午前中は八幡神楽さんと長野獅子踊りさんが終わった後、

休憩時間があり、その間に出演団体との交流がホワイエで行われ、次のようなコーナーも。

 

返礼品と書いていますが、いわゆる出演団体へのお花。

2、000円以上のお花にはタオルなどのお返し。

それ以下の場合は、別な場所に支援だけのお花ポストがあるようでした。

全部の団体にお花を出したら、入場料徴収の場合より高くなるかもしれないので、

支援したい団体、感動した団体といった感じで、其々の判断で。笑

これで難しいのがお花が貰えなかった団体・・・頑張りましょう~!汗

さて、其の参です。

 

女性の手踊りは、鷹鳥屋甚句の皆さん

 

踊りに先立って、挨拶をしたこの方

SL銀河や県内の滝など、いろいろな分野の写真を撮っている写真家

かつ、

マドロス姿で演芸祭にも出演、はたまた甚句では太鼓。凄い!

 

この日の演目は「石投げ甚句 ほか」とありました。

 

こちらの「ほか」も曲者で、この傘を持った踊りは「ほか」なのか?

と思いながら、見ていました。

パンフレットには最初の手踊りが石投げ甚句で、後の傘を持ったほうがからかさ甚句だと

ちゃんと載ってました。後で確認。笑

 

地域の祝い事などで披露されるということでした。

飲む芸しか無い私は、こういった時に何かひとつでも芸があれば・・・。汗

 

小友町内の出演団体が終わったところで、来月3日(日)は「おとも収穫祭」

小友地区センターが会場で、町内の神楽や獅子踊りもあるようです。

お弁当とひっつみ汁付参加費は1,000円 前売り券は産直ともちゃんで限定100枚。

当日券は1,500円で、入場規制ありとのこと。なかなかユニークなイベントですね!

 

さて、お昼の休憩を挟んで、午後の初めは、附馬牛町の小倉神楽さん

大出早池峰神楽の弟子神楽ですが、いつ伝えられたかは不明とのこと。

昭和24年に大出で神楽道具一切を焼失した際、道具を貸していたのが、この小倉。

 

この日は三人鶏舞

 

昭和30年頃に途絶え、同じ張山のしし踊りのメンバーが神楽に関心を持ち、

平成4年に復活ということのようです。

 

現在は地元以外のメンバーを中心に継承中。

最初に伝えた大出に支障があると小倉が支え、中断した後は同系の神楽が支え

といった感じで、やはり交流は大切ですね。

本田安次氏が遠野に来た昭和7年3月、その28日は上柳からまだレールの敷いていない

軌道敷を歩いて和野に行き、その後、大出に入っています。

そこで胴取りの佐々木安成氏に話を聞き、その晩、始閣佐太郎氏の御子息の尽力で

社務所で大出神楽を見ています。安成氏の話では2,3代前に岳神楽を移したといい、

立派な伝授目録を始閣家に伝えていたが、火事で焼失。

 

その晩は鶏舞、翁舞、三番叟、天女、鞍馬、五穀、獅子舞を演じています。

当時の大出神楽は、昭和24年の再焼失前であり、その時には年寄神楽になっていて、

年壽、蕨折、機織などは途絶えていたと記されています。

ちなみに前年に訪れた岳神楽でも、踊れる人が揃わず年壽、蕨折、機織は望めず、

岳は年寄神楽になったと嘆いている人がいたとあります。

大出も岳も同じような世代交代の時期になっていたのでしょう。

 

明治42年 柳田国男氏が投宿した高善旅館と氏の像。

本田安次氏を遠野に導いたのは佐々木喜善氏の紹介によるところが大きいと

知ったのはこの頃のことです。

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第12回 遠野市郷土芸能共演会 其の二

2023-11-21 09:20:14 | 郷土芸能

昨日、古書が届きました。「遠野の郷土芸能(上巻) 編集 類家英一郎」

今までは図書館に行って必要な部分だけコピーしていたので楽になります。笑

最初のはしがきに、踊りの庭元の話、由来書、刊行文献、町村誌等に記載されているものを

そのまま掲載しました。とありました。

その内容の是非は別だということを忘れないようにしたいと思います。

 

今年の郷土芸能共演会、会場の市民センターのホワイエには、ご覧のような幕。

また、ひっつみ、弁当、和菓子、コーヒーなどの販売などもあり、華やいだ雰囲気でした。

 

2番目は小友町の長野獅子踊りさん

代表の佐藤さん?が、この日の為の練習期間やら、踊りの説明をしました。

こうして一言頂くと、その団体への距離が縮まるような気がします。

 

演目名には「柱がかり ほか」とありました。

 

私のようにシシ踊り関係者以外の人にすれば、「柱がかり」はわかるけど、

「ほか」ってなんだろう?と思います。笑

 

ネットの動画などを見ていると、入端(入葉)、引端(引葉)、誉め、大切、小切などと

テロップ付があったりします。

遠野TVさんが後日、この模様を放映する際、それを関係者から聞いて、つけてくれれば

私なんかは、もっと知ったかぶりができるのですが。笑

仕事を増やすな!・・・失礼しました!汗

 

小友町の柱がかりに付き物の、獅子のアイ~ン!

 

この日の長野の方々は、何か楽しんでいるような・・・

 

ファインダーから笑顔が見えて、こちらも楽しくなりました。

 

3番目は同じ小友町の鷹鳥屋神楽さん

松田さんのお爺さんが昭和15年に復活させ、戦時中中断したが、その後再復活。

大正12年に小友町の長野神楽さんから伝えられた東和町向田瀬系の神楽です。

鷹鳥屋神楽さんは、ここ数年の間にもいろいろありました。

 

弓を持って二人登場なので、八幡舞

 

二人の内、お一人は鷹鳥屋獅子踊りをやっていて、この日の為に練習して出演。

 

これを機会に続けて頂ければ、うれしい限りです!

 

この鷹鳥屋に神楽を伝えた小友町長野(長野獅子踊りの集落)の神楽は、

明治初年に向田瀬から習得し、明治30年頃から約20年間は村内の神社の

お祭りに出た以外は、主として海岸地方に門付旅打ちに行っていたと類家本にあります。

昭和44年の本発刊当時には、神楽をやる人が少なくなって後継者養成に苦労している。

とあり、現在は中断となっています。

こうして小友町内を見ると、獅子踊りは長野から鷹鳥屋・山谷へと町内に伝えられ、

神楽は外山神楽さんが文政年間(1818~1830)に行われていたが、

嘉永年間(1848~1854)に道具を焼失し、断絶となり、以後、明治になるまで

町内には神楽は無かったということになりそうです。

但し、八幡同様に山伏が一座を組んで例祭時に演じたかどうかは不明です。

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第12回 遠野市郷土芸能共演会 其の壱

2023-11-20 16:17:41 | 郷土芸能

11月も下旬、晩秋といった雰囲気になってきた遠野です。

 

赤や黄色い葉も落ち、曇天・雨天と交互に続き、白い物が落ちてくるのも近いかな?

そんな先週土曜日は近所で葬儀。小中学校長や行政区長を歴任された方で、行年100歳。

この方と普段、顔を合わせる時と異なる印象が、附馬牛町大出にあります。

7月18日開催の大出早池峯神社例祭の折、拝殿廻りに飾られる紫色の幕は

平成28年にその方が奉納したもの。

真面目一方のあの方がこんなことをするんだ~!と、最初見た時に驚きました。

その後、昭和50年に大出神楽保存会が発行した冊子を見て、合点がいきました。

それによると、昭和24年以降、鳥舞しかできなくなっていたが48年に復活。

その翌年には、大出で校長をしていたその方の後援によって、子供達のシンガクが

例祭に奉納できるようになったと記されていました。合掌

さて、郷土芸能関連がこんな形で始まりましたが、第12回遠野市郷土芸能共演会です。

 

今年の共演会は、昨年までと趣向が違いました。内容はおいおい。

 

主催者等の挨拶の後、出演団体の方と司会者とのやりとりです。

団体の歴史的な背景、活動状況、演目説明などがありました。

因みに最初は八幡神楽です。

 

法螺貝神楽の異名どおりに演目前後に。

先日来、拙案内所の書類を整理していたところ、読んでいないコピーが。

あの日本民俗芸能研究の第一人者本田安次氏のものでした。

 

昭和6年、氏が石巻中学校の教諭時代だと思いますが、大迫の早池峰神社例祭に合わせて

岳、大償の早池峰神楽を見るために岩手入りをしており、その例祭後、遠野に来て、

多賀神社で神楽を見ています。白拍子姿の美しい舞だったと印象を述べています。

 

翌年の昭和7年3月26日、再び、遠野入り。

翌27日の夜、八幡別当の菊池長福氏に話を聞きます。維新前までは遠野一郷の

法印達が八幡宮に集まって神楽を演じていたことなどを話し、大出派を神道神楽と

呼ぶのに対し、こちらのは山伏神楽と云っていると。

また、昨年の多賀神社の神楽はこの八幡神楽だったと記されています。

 

数日後、六日町の佐々木種吉氏のところに伺っています。

種吉氏のところに八幡神楽の写本があるということで、それを写すのが目的。

その家の神棚には宝来という切り紙の飾りがあり、種吉氏が真似て作ったものだと。

本来は八幡別当の長福氏が配っているものとのこと。

種吉氏は法印廣哉から稽古をつけてもらった人から神楽を習ったということで、

写本は廣哉氏の書き留めたもの。

 

土淵町の野崎神楽は、羽黒派意楽院(長学坊)の系統だと伝えられています。

 

この日の演目は、遠野の山伏系らしく恵比寿舞でした。

沿岸系の神楽同様に魚を釣り上げました。笑

沿岸と遠野との山伏の繋がりを辿ると、慶安5年(1651)までの遠野の先達は、

宮古千徳村の安楽院でした。チームリーダーが閉伊郡宮古の人ということです。

その後、遠野は別にリーダーが定まり、地元の本山派(熊野系)の大徳院になります。

大出早池峰神楽が元禄時代の飢饉で出来かねるようになった際、引き受けたのは

大出村、宿の宝明院ですが、こちらは大徳院と同じ本山派です。

明治に八幡神楽を伝えた上組町蒼前の龍宝院も本山派。

江戸時代の八幡宮は羽黒派良厳院ということで、

都合よく本山派と羽黒派の神楽でわかれるということにはなりません。笑

 

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2023 東和神楽大会後編

2023-11-07 09:22:00 | 郷土芸能

この神楽大会があった11月3日と翌日4日は遠野市では芸術祭

二日間にわたり、舞台発表・展示です。

但し、郷土芸能は19日(日)に別枠で、遠野市郷土芸能共演会として開催されます。

 

神楽大会のあった3日は、時々愛妻が遠野市の芸術祭に参加、

私はフリーということで、何とかの居ぬ間に東和町へ。汗

好きなことをさせて頂いた翌日は、

愛妻・娘の気分転換へのお付き合いということで少し遠出のドライブ。

道路には人の気配は感じませんが、建物内は人がいっぱいでした。

そんな建物内を歩かされ、いつもの散歩以上の歩数となりました。笑

 

さて、神楽大会の後半は岳流石鳩岡神楽さんから

石鳩岡神楽さんは遠野の平倉神楽さんの師匠神楽ということで、市内では

御存知の方も多いと思います。

土沢神楽さんと同じく平成56年に県指定無形文化財に、

平成23年に記録等措置を講ずべき無形文化財として国の選択を受けています。

 

稲田姫 八岐大蛇の話です。

 

実は今回、土沢神楽さんの神楽人からお誘いを受けていたところに、

石鳩岡神楽さんに縁ある方からも・・・。

 

先日、市内某所に用足しに行ったところ、その事務所のカウンターに

東和神楽大会のプログラムが置いてありました。

お聞きしたところ、これに出演する人が、縁あって今、遠野に通っているとのこと。

これで、行かないわけには、いかなくなりました。笑

 

続いて、岳流浮田神楽さん

 

汐汲み

 

遠野では同じ早池峰系で平倉さんと塚沢さんの汐汲みは観ていますが、

東和ではお初でした。

 

衣装の柄や色合いが違うと舞も違って見え、新鮮でした。

 

大償流土沢神楽さん

 

三韓

新羅・高句麗・百済征伐の為に神々を招集。ところが(いそら)という神だけがいない。

そこで竹内宿禰の計らいで御神楽を奏したところ、ようやく現れるという出だし部分。

 

この辺りは征討シーンかな?

 

余計な力が入っていないような動きがすばらしいです。

 

市外の各種芸能の皆さんが、其々の地元神社等で演じているところを

見たことがないので、いつかは観てみたいものです。

 

そして、岳流石鳩岡神楽さん

 

こちらも出だしが女舞で、鐘巻の舞

 

今回は、どこの神楽も荒舞を選んでいなかったのは、もしかして、

記録用に撮影している演目の都合によるものかも・・・?

なんて、思いながら見入っていました。笑

 

鐘の中から出てきたのは鬼面の蛇身

びっくりしたなあ~もう~ 笑

 

もっとびっくりしたのは、法力を使う客僧役。恐れ入りました!

 

最後は早池峰岳流南川目神楽さんの権現舞

権現舞のみの伝承となっているようですが、

続けていることに敬意を表したいと思います。

 

昨年は、このモミジが落ちる前に白鳥の写真も撮っていました。

そしてタイヤ交換をしたのが9日、今年は、もう少し先送りするつもりです。笑

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