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遠野なんだりかんだりⅡ

遠野の伝承芸能・民俗・歴史を書きたい時に思いついたままに

2025 消防演習・南部氏遠野入部行列

2025-04-29 17:02:52 | 地域

前日から強風だった27日(日)は、朝から遠野市消防演習。

上組町を行進して上早瀬川河川敷に移動後、いつもの演習と云う事で、

まずはその行進を撮ろうかと思いましたが、すぐそばに駐車できそうもないので、

河川敷に出撃です。笑

 

9時半、既に始まっていました。

強風対策と云う事か前日まで準備してあったテントは撤去され、県の防災ヘリも無し。

対岸では遠野おぢさんが白い望遠レンズで様子を窺ってました。笑

 

この中に同級生4人。他に見落とした人がいるかもしれません・・・。

髪が有っても無くても、4人とも元気ですね~!健康体が羨ましい限りです。

 

ポンプ操法

 

ラッパ隊には小学生も参加しました。カッコ良かったです!

 

恒例の一斉放水

11時10分過ぎ、ここまで見て移動です。

 

蔵の道広場では、既に南部氏遠野入部行列のセレモニーも後半、

餅撒きに潜り込みました!

市民は消防演習見学にも結構行っていたので、分散した結果、こちらの一般客は少なめ。

 

今年は行列後の郷土芸能共演は無くなり、唯一観られたのは遠野太神楽さん

 

行列の露払い役です。

 

おかめ四方の舞

 

桜撮影に行きたいと思うほど、良い天気でした。

 

誰が乗ってるのかなあと見ると、知っている子。ちゃんと手を振ってくれました!笑

 

八戸市新井田の皆さんも元気に参加です。

 

今年は歩くコースが変わり、とうとう穀町ルートは無しです。

 

ゲストにお願いしてきた若き日の清心尼公と殿様の直義公役は、遠野の人。

駅前の桜は満開で、遠野春まつりにちょうどでした。

 

悪鬼や忌を祓うために先発したのは常福寺と東善寺の僧だったそうです。

東善寺は附馬牛にあった東禅寺とは別で、現遠野小学校付近にあった三ケ寺のひとつ。

 

南部ばやしの衣装を着て、駅前にスタンバイしている保育園児の中に、

同級生のお孫さんがいました。

 

駅前広場では、駅前マルシェも開催中で賑わっていました。

前段でも記したように、今年は午後の郷土芸能共演会は無いので、これで撤収。

 

ところで、気になったことがひとつ。

この行列の持ち物についていた遠野南部氏の家紋は右上、

右下はお客さんに配っていた缶バッチの家紋、

どちらもほぼ同じですが、○の有無が違っています。

左下は明治33年発行の遠野士族名簿に掲載されている家紋

左上はカッパ渕の常堅寺にある南部家から贈られた勢至観音像の箱に描かれている家紋

○無しの右側の家紋はネット等に掲載されている根城南部氏の家紋ですが、

さて、どれが正しいのでしょうか?常々疑問に思っています。


2025 遠野の桜は?

2025-04-28 18:02:28 | 地域

17日に桜の開花をお知らせしてから10日、市内のほぼ全域で満開の遠野です。

 

青空の下で桜を撮りたいと願ってはいるのですが、そんな日は撮りに出かけられず。

 

天気同様に健康もなかなか好転してくれません。

25日の定期検診、三カ月頑張って休酒したのに、肝臓系の数値はほぼ変化なし。

悪化していないので、良かったと考えることもできますが・・・(;^_^A

三か月検診から二か月検診になるので、今後も休酒と適度な運動を頑張ります。

 

健康問題を抱えるせいでもないでしょうが、今年はカメラを持ち出せる日は曇天ばかり。

 

検診の帰りに宮守町鱒沢に立ち寄ると、

 

ここもほぼ満開でした!

 

下組町の卯子酉さん

神社の東南隣では、ひとつ上の先輩が畑仕事に精を出していました。

 

六日町の神明さん、今年は桜の花が少ないようです。

 

翌26日の青笹町の喜清院のしだれ

昨日あたりが満開だったと思います。

 

砂場丁の智恩寺さん

 

満開

 

知恩寺さん境内にあるお稲荷さん

少し前に目を通した遠野物語研究第10号に、明治になり小向姓から昆姓に復姓した

高校時代の恩師の話として、現在の臼井金物店左隣辺りにあった小向氏(90石)の屋敷に

お稲荷さんがあり、その屋敷から別な場所へ引っ越しする際、そのお稲荷さんを知恩寺さんに

預けたとありました。

もしかすると、その時のが、このお稲荷さんなのかもしません。

ここで少し話は逸れますが、2009年に「小原相改唯是」を取り上げましたが、それが縁で

東京の唯是さんとやり取りをしています。

その話の中で、唯是家と小向家、唯是家と山奈宗真の家は親戚関係にあることがわかりました。

その山奈家、もとは奥寺で、その家ずばりかどうかは不明ですが、

昆家と奥寺家もまた親戚関係とのこと。

江戸時代は、その家名存続のために家臣同士での縁組が普通に行われていたようです。

 

26日早朝、一時の青空、旧法務局の桜はピンクのじゅうたんでした。

 

その週末、腰の具合が少しだけ良くなってきた時々愛妻と、相変わらずの日帰り温泉。

この連休期間、子供達の帰省は無さそうだし、天気も良く無さそうなので、

もしかすると夫婦仲良く?近場の日帰り温泉に何度か行って終わるかも・・・笑


2025 遠野でも桜咲く

2025-04-17 14:20:43 | 地域

遠野でも桜が咲き始めました!

 

市内では早咲きの大工町は善明寺さん

 

昨年は11日に咲いたので、ほぼ一週間遅れ。

 

善明寺の十王さんでも、予想が難しい開花です。

5月の連休には葉桜必至かも・・・。

 

善明寺さんが開花となれば、とぴあでも開花。

 

町中では、マルヰ産業ビルの解体が始りました。

都会では、高層ビルの数が繁栄の象徴かもしれませんが・・・。

 

我が家の庭にも春の使者が。


第50回遠野物語ファンタジー

2025-02-17 17:33:53 | 地域

2月も後半、そろそろ確定申告をしなければと思っているこの頃です。汗

 

その2月は初っ端から時々愛妻の都合が合わなくて、一人日帰り入浴の週末です。

8日(土)例の如く花巻の温泉に行くと、サウナ友の会の幹事長と一緒になり、

昼はどこで食べようかということで、話題作りにマルカン大食堂へ。笑

流石に有名なナポリカツやソフトクリームは無理なので、ざるそば大盛。

充分すぎるボリュームでした!笑

 

最低気温が-18℃近くになった翌日9日の猿ケ石川

この上流では三脚にレリーズをセットした本格派のカメラマンが撮影中。

邪魔しないように、シャッターを2回押して、撤収です。笑

 

さて、15日(土)は遠野市民センターで第50回遠野物語ファンタジーでした。

前回観たのは、たぶん40年も前だと思います。

 

開場時間の午後5時半には、どっとお客さんが入場。

ステージと客席の間には、音楽関係スタッフの場所があります。

今年が50回目ですが、第2回と3回目の時に、その音楽関係の席に私も居ました。

昨日何を食べたか忘れても、当時のことは何となく覚えているものです。笑

 

2階から下のホワイエの様子を眺めているのは、宮守町の下郷さんさの方。

最近は芸能団体の多くが、お揃いのTシャツを着ているのを見かけます。

うちでも欲しいなあ~!(;^_^A

 

今回は、下郷さんさの隣りに部屋をとって頂き、こんなものも頂きました。

 

そして、翌16日(日)は、開園10時に入場。土淵町の水光園です。

すっきりした気持ちで午後に臨みたい、そんな気分清めてみました。笑

 

遠野物語ファンタジー最終公演の開場前には、ご覧の人だかり。

凄いものです!

 

超満員の開場では、開演少し前に制作委員会の会長の挨拶が始りました。

 

始まって間もなく、最後尾で観ていると、○○君と声をかける人有り。

暗がりで隣が誰なのかもよくわからない中、ズバッと名前を呼んだのは、

住田町在住で高校時代の同級生K沢さん。部活も一緒でした。

それはそれとして、琵琶演奏と詩吟による幕間のナレーションは、とても感動しました!

 

そして個性的な出演者

後でパンフレットを見ると、見知っている多くの方が表でも裏でも活躍していることに

これまた、びっくしました!

 

第二幕の後半に、出演中の飯豊神楽さん

御神楽(みかぐら)を三人で舞う姿は、遠野三山(石上山、六角牛山、早池峰山)に因んだ

三姫のイメージでの鳥舞なのかもしれない。

なんて思いながら、ステージ脇で観させて頂きました。

 

そろそろエンディング、待ち時間3時間で、出番1分?です。笑

 

終了後は、関係者一同での記念撮影となり、

 

仲町南部ばやし関係者の写真をパチリ!

主力のいない中、よく頑張りました! 大爆笑!


2024 晩秋

2024-11-18 14:53:36 | 地域

昨夜の強い雨で良い感じだった紅葉の見ごろも、周辺の山々では、ほぼ終盤。

 

先週の金曜日、この日を逃すと青空の下では、もう撮れないと思い、毎年お邪魔するこちらへ。

 

緑だった葉が紅くなるのに、ほぼ一日。そして、間もなく上から枯れ始めていました。

 

紅葉の命は短くて・・・

 

これからは霜と強風の繰り返しで、やがて雪。

 

昨年のタイヤ交換とは、ほぼ一週間遅れで本日。

 

日付は前後しますが、先週水曜日の午後は盛岡にて講習会。

午前中には市内に入り、他の用足しを済ませ、時間つぶしです。笑

 

旧盛岡銀行本店 明治44年(1911)完成 

東京駅を設計した辰野葛西建築事務所の作品

ひとつ上の盛岡信用金庫は、昭和2年(1927)、葛西萬司氏による設計。

一般的には東京駅と云えば、辰野金吾氏が有名ですが、事務所としては葛西萬司と共同経営。

その葛西萬司は盛岡藩家老の鴨澤舎の次男として生まれ、同藩士葛西家の養子になります。

 

安くてゆっくりできそうな場所として、もりおか歴史文化館を選択。

県民会館とこことの往復ならヒザも何とかもちそうなので・・・。汗

 

この施設に来るのは、いつも時間調整です。笑

山車まつりは全国的に見られますが、盛岡藩の特徴を上げるなら、音頭あげでしょうか。

江戸時代の遠野の祭りにも、各町から山車が出ていたことが古文書等で確認できます。

現在、山車が無くなっているのは南部ばやしに主役が移った為だと思われます。

 

左の盛岡城の北側(右)に見えるのは文字としては、さかさまで、八戸弥六郎の屋敷。

八戸氏とは遠野南部氏のことです。絵図の敷地内に大きな岩が何個もあった様子がわかります。

現在の岩手県公会堂の敷地周辺。

その東側道路向かいに、八戸頼母の屋敷があります。

頼母は上の八戸弥六郎直義の二男で分家となり、小八戸氏とも云われました。

現在の遠野市附馬牛町の保育園の辺りが遠野の屋敷。

こうして時間をつぶした後は、睡魔と戦いながら講習会でした。

 

そして、昨日は、昨年12月に亡くなった義従兄の一周忌。

 

眠る柳玄寺さんの本堂廊下にあるカゴ、必ず、目が行きます。

その脇の幕には、これまた、よく知るお二人の名前。

 

新型コロナ以降、珍しくなった直会。

今回同様に法事などで、会食ができそうな店を探すのに、苦労する遠野です。

このままだと法事後は、弁当を渡して終わりになるのかもしれません。

今回の会食では、ノンアルコールながら、様々な昔話などもあり、親族のつながりを

再確認できる良い機会となりました。

と、まとめながら、次は私の父の法事。先日、父方の従兄弟たちが集まったばかりなので、

家族だけで行う予定です。(;^_^A

 

ヒザが痛くて歩けなくなった後から、血圧が高めに推移。

受診したところ一週間程度、血圧を測ってみることに。

どこかが良くなれば、どこかが悪くなり、治る前に他も悪くなり・・・。

健康補助関係のCMばかりが気になります。(;^_^A