遠野なんだりかんだりⅡ

遠野の伝承芸能・民俗・歴史を書きたい時に思いついたままに

2023 総集編後編

2023-12-27 19:16:18 | 日記

木曜日まで外回りの予定が早く終わり、年末のこの一日はかなり得した気分。

お陰様で明日は帰省する娘2号を迎えに行けそうです。笑

 

その外回りで近所まで行ったついでに、寄り道してみました。

今年は、あまり郷土史話題を取り上げることなく終わりそうなので、とりあえず。笑

と云いながらで、総集編の後編です。

 

9月、3年中止した仲町南部ばやしが遠野まつりに参加するということで、

準備段階から記録させて頂きました。

仲町の方々だけで準備から芸能まで全てを賄う時代は既に過ぎ、裏方作業を含め、

どの段階でも協力して頂ける人がこんな感じの内容だと、なるべくわかるように

写真にまとめてみました。

 

10日は、こちらも久しぶりの達曽部町八幡神社例祭です。

 

16,17日は、待ちに待った遠野まつり 

当日まで参加人数が心配されましたが、大勢の人達に支えられての参加でした。

 

メイン会場の遠野郷八幡宮には大勢の人、そして各種芸能団体の音が響き渡りました。

やはり、遠野のお祭りはここの境内に一同が会することで、その「らしさ」が出ます。

 

22日、青笹町六神石神社の宵宮夜神楽、そして翌日の例祭。

 

23,24日は宮守町砥森神社例祭

過密スケジュールながら、其々の様子を見に行きました。

 

遠野まつり最終日の晩、関東から祭りに合わせて帰省中の山猫さんとしっかり飲み、

30日には北海道から綺麗な奥さん同伴でS藤君が帰省し、これまた乾杯!

という訳で、お祭りシーズンは飲み会シーズン

この辺りから自重が足りなくなってきたような・・・汗

 

10月、お祭り疲れも癒えた頃の22日は黒森神楽遠野公演

 

3月4日に南回り巡業の一環として遠野八幡宮で行われる予定が、新コロで中止。

その前日3日に合宿突入で、観られないと思ってがっかりした私ですが、

八幡の神様にお力添えを頂いたようで、かぶりつきで見学できました!笑

 

その晩は同じ八幡様境内でしし踊りのライトアップ公演。

 

下旬には、溺れて以来、近寄らないようにしていた猿ケ石川上流へ、怖いもの見たさ。

皆さんが見学に行く場所は避け、少し離れた処で車内からパチリ。

熊が怖くて一人では車外に出られず。汗

 

29日は新しい試みの「教えて!神楽の人」

今回は神楽で、今後は市内の様々な芸能について聞いたり観たり、あれこれと。

続きがありそうな新たなイベントがスタート。

 

11月、3日はこれまた久しぶりに花巻市東和町の神楽大会へ出撃。

10月で高額な薬も終わり、気分も家計もだいぶ楽になりました。

 

と、私が無罪放免となったところで、13日、義従兄がまさかの入院

 

合間の19日には、これまた久しぶりの遠野市郷土芸能共演会

 

12月、3日あれよあれよと云う間に義従兄が亡くなりました。

人の命って、わからないものですね

一人で生まれ一人で死んでいくなんて云う方もいますが、現象とすればそうでも、

実際は誰かに助けられて生まれ落ち、死んだ後は誰かがその始末をつけるもの。

今回も大勢の人の協力がありました。

 

13日、高校時代のブラバンの先生を囲む会に参加

 

そして、今日は外回りをして、閉めと云った感じになりました。

昨年後半から問題が発生し、今年前半は検査、入院、手術、リハビリとなり、

中旬以降は社会復帰したものの・・・

後半になって、切羽詰まり、背に腹は代えられず・・・。

生かされているだけでも、ありがたいと思いつつ、とりあえず後編の終わりです。笑

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2023 総集編中編

2023-12-24 13:35:10 | 日記

クリスマス・イブですね!

未成年の子どもがいないので、特別な日という感じもしませんが・・・笑

 

風薫る5月、SL銀河運行最後の年ということで、GW最初はめがね橋から

 

夜神楽も再開

この間のNHKに飯豊神楽さんが出ていましたね!

 

5日は、いつものように遠野郷八幡宮で、八幡神楽と子供流鏑馬。

しばらく続いた新コロのことを思うと、笑顔が見れる日常がいかに大切か。

 

6日、帰還祝いを兼ねて、家族で7月の同級会会場の下見。汗

 

6月、11日がSL銀河のラスト

めがね橋には、何千人いたかわからないほどの人。感動しました!

 

18日、上郷町日出神社のお祭り

 

25日、大日さんの日枝神社のお祭り

いずれも、新コロ前の状況に戻ったような感じでした。

 

7月、8日は鱒沢の白山神社・鞍迫観音の宵宮へ

 

翌日9日は遠野郷八幡宮に市外の幕系シシオドリの奉納

どこの郷土芸能も、踊りたい!舞いたい!とここ数年思っていたんでしょうね~!

 

15日、延期に延期を重ね、やっと開催した高校同級会

企画した皆さん、参加した皆さん、ありがとうございました!

 

18日、大出早池峯神社の宵宮夜神楽

これまた、新コロ前同様に開催

 

翌日の例祭、上柳しし踊りの姿は無く、お神輿の渡御はありませんでした。

 

8月、お盆は親戚の家での飲食は無く、

 

静かに花火や

 

舟っこ流しを見て過ごしました。

 

26日、これまた中止となっていた上宮守の愛宕神社(宮守観音)例祭と小友まつりが再開。

こうして今年を思い返すと、随分、昔の出来事だったような気がします。

まあ、かなり昔のことは覚えているのに、少し前のことは記憶なし

と云う事が、多々ある年齢になっているのは確かです。笑

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2023 総集編前編

2023-12-23 13:34:52 | 日記

今月2回目の更新で、もう総集編に突入です。汗

 

クリスマスを前にして、今朝は湿った雪降りの遠野。

いつもなら残すところ一週間ともなれば、現業というよりは事務作業主体となるのに、

今年は来週火曜から木曜まで外回り。インフルエンザに気を付けながらもうひと踏ん張り。

 

さて、2023年はというと、

 

1月1日に日付が変わる頃には恒例の遠野郷八幡宮に娘たちと一緒にお参りし、

ひと寝して遠野三山の神社に初詣。

今年の願い事は唯一つ、無事帰還できますように・・・汗

 

その件で1月11日から盛岡通いが始まりました。

 

15日は、廻りにもほぼ雪が無いという珍しいどんと祭となりました。

 

雪が無いままでも良かったのに、25日辺りには猿ケ石川も凍り、

温暖化とは云え、寒さはそんなに変わらないような・・・。

29日には3年ぶりの遠野郷神楽共演会も開催され、今年はお祭りが例年通りに

開催されそうなスタートとなりました。

 

2月、12日には鱒沢神楽初舞、これも3年ぶりでした。

 

その2月には内丸から矢巾に検査する場所が変わり、覚悟ができてきました。汗

 

3月、ひな祭りの日に合宿突入

その日から12日まで食事なし、18日に合宿終了で、5kgスマートになりました。

あれから9カ月、元の体重に戻りつつあるのが問題です。笑

食べれない間はそれほど食べたいと思わなかったのに、

食べられるようになると・・・欲とは恐ろしいものです。

 

社会復帰は家の周りの散歩から始め、24、25日にはC58を見に・・・。笑

折角、タバコを止めたのに、そのぶんが月々の医療費・薬代に消えていき・・・。

 

4月、まだまだ本調子とは云えない状況ながら、週末はこれ。笑

 

いつものように桜咲く!

 

4月下旬、7月開催の高校同級会の打ち合わせを兼ねて、合宿後、初ジンギスカン!

そして、生ビール!・・・生きている「し・あ・わ・あ・せ」を実感。

 

4月29日、入部行列&さくらまつり

こちらも、ほぼ通常バージョンで開催となり、

今年の前半は検査、合宿、経過観察を主体としながら、身体慣らしをしていた時期でした。

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宮守町塚沢 権現様のお預かり

2023-12-15 17:37:29 | 郷土芸能

12月はなかなか更新できず、今年も残すところ半月です。

皆さん如何お過ごしでしょうか?

 

宮守町塚沢にあるこの塚沢神社の北側を走る国道396号線。

その道路を遠野から盛岡方面に走ると、家並みの北側にある山に神社が見えるのですが、

この神社は何と云う神社なんだろう?と興味を持っていたところ、今月3日、

やっと行くことができました。

 

神社の持主さんの家の敷地を通り、少しだけ山登り。

 

なかなか立派です。

 

この日、この建物の扉が傷んできたことや管理する都合などを考慮して、

中に安置してある権現様を地元の塚沢神楽さんがお預かりするということで

 

関係者が会して神事を執り行いました。

 

神事終了後、中の棟札の確認です。

 

明治35年のものが一番古いようです。

 

右から、天乃御中主神御堂上棟、招鎮不動尊九尺堂建立、招鎮荒谷神社多田氏祖霊神

屋船大神社殿屋根改造、 左側から2枚目がちょっと読めないですが、

最後が鳥居を造った時のもののようです。

右から3枚が同じ日付になっており、3枚共この建物に関係しているのか、

他のものも併せてこの日に神事を行ったのかはわかりません。

右から4枚の屋船大神社殿屋根改造の札に棟梁小原要作の名前があります。

見覚えのある名前だと思ったら、2008年に宮守町の砥森神社例祭の折、拝殿内で見た

昭和16年奉納御神鏡の台の彫刻師名が小原要作でした。

 

さて、本題の権現様、片耳が無かったのを修復したと聞きました。

 

裏側には天保15年の他日付と別当名があります。

 

この他に現在、塚沢神楽さんがお預かりしている権現様は2柱

今回、お預かりした権現様と2柱が写る写真の右側のものが似た造りになっています。

 

他に私が見たのは、塚沢神社の別当家の床の間にあった権現様。

昔の広報みやもりの「郷土芸能めぐり」によると、塚沢神楽は寛政年間(1789~1801)頃

から始まり、文政5年(1822)の権現様があり、その広報には3柱の権現様が写っていて

右側のものはそれ以前のものだと記されていました。

今回のものは天保15年(1844)であり、広報の3柱の残りひとつなのかはわかりません。

塚沢神楽の始まりの寛政年間辺りに何があったかというと、そのすぐ前が天明の飢饉。

岳の神楽の興行中に見込まれ、飢饉等で人が無い時は応援に駆け付けたと言伝えられている

ことを考えると、飢饉により里に下りて興行をする中で、塚沢にも神楽が伝えられ、

文政5年(1822)以降の天保の飢饉(1835~1837)にでも、塚沢が岳の応援をしたことが

あったのかもしれません。

と云うことで、

塚沢から戻って間もなく、嫁さん方の従兄が亡くなりました。

 

11月の初旬に顔色が変だから病院に行くよう会った人達から促され入院。

それからひと月で逝ってしまいました。

 

その後、故人の家の緊急を要する物の片付けをして、やっと一息。

故人父方のいとこに、お昼をご馳走になりました!店で食べるのは何年ぶりだろう?

そうこうして、身体の疲れがとれたかどうかのあたりで、今週水曜日は、

 

これでした!

 

46年前?にお世話になった先生を囲んでプチOB会

写真は当時の演奏会のLPレコードです。

参加したのは私の同級生4名の他は先輩方。先輩をたてたり、おろしたりしながら

夜は更け・・・

一番元気なのは、80歳を過ぎた先生でした。汗

ここひと月ほどの疲れもあったと思いますが、流石に今も・・・。

私自身、今年3月に無事帰還できたばかりであることを忘れた訳ではありませんでしたが、

ここのところ、無理をし過ぎている気がするので、自重したいと思います。

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