遠野なんだりかんだりⅡ

遠野の伝承芸能・民俗・歴史を書きたい時に思いついたままに

2024 遠野春まつり

2024-04-28 18:35:20 | 民俗

先週金曜日は、身体の一年点検第一弾!の結果説明でした。点検のメイン項目は異常なし。

ですが・・・・別項目でひっかかりました。涙

 

その日の晩はお世話になっている方々と、これからも一緒に頑張りましょう~!

と云う意味合いで参加したところ、其々の道で頑張りましょう~!

だったことを途中で知りました。世間は狭いので、またどこかで・・・。

 

その後、同級生たちと合流。総勢10人。

 

花を見ない花見ということで日付が変わるあたりまで、喉は嗄れ気味。

ちなみに私はこの日を最後に、数カ月は禁酒となります。頑張ります!

 

そして、昨日は遠野春まつり

昨年までの遠野桜まつりから名称変更です。

 

昨年に続き、若き清心尼公役は近衛はなさん

 

八戸直栄公役は同様に黒木真二さん

 

八戸からは新田の皆さん

開会の出立式ではステージに上がった方々が紹介されているのに、この方だけ紹介無し。

誰なんだろう?と思っていたところ、新田城まつりの会長さん。

これを逆手にとっての会長の挨拶が一番立派でした!

 

出立に先立っての露払い?清め役は遠野太神楽さん

 

昨年同様にオカメ四方の舞かと思っていたら、獅子舞

 

最近、この獅子舞の笛の音取りに挑戦しようかと思っていたのでラッキーでした。

入部行列後は、蔵の道広場で、郷土芸能披露

 

上郷町の板澤しし踊りさん

 

この日のために構成を考えてきたようだったので、ステージ前で撮ろうと

陣取っていたところ、前に机が運ばれ、場所移動。

 

移動した先が失敗で、中央での踊りが撮れず・・・涙

 

望遠で撮れたのは、御礼の投げ草

 

次は、飯豊神楽さん

ポスターには女子神楽とありましたが、ちゃんと男性もいます。笑

 

御神楽

 

三人鶏舞のことです。

 

もう一演目は鞍馬

 

飯豊神楽さんの鞍馬は、鞍馬と俗にいう「くぐりっこ」がミックスされた構成です。

飛び石連休?の最初は、こうして芸能見学に恵まれたスタートとなりました。

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まだ咲いてます!

2024-04-22 17:29:51 | 地域

昨年の今日は、どんな日だったんだろう?と写真のデータを見ると、

 

土曜日で、日中は時々愛妻と花巻の日帰り温泉に行き、夜は同級生たちとジンギスカン。

術後45日目でした。今、考えるとなんと無謀な・・・。

先週の金曜は術後の一年健診でCT。来月13日は内視鏡、それが終われば、一時開放?

 

そんな今年はと云うと、日曜日だった昨日は東和温泉。

一年前と基本的にやっていることは変わりません。

 

そう云えば、昨年、出所してきた翌晩が地元自治会の班長の引継ぎ会でした。

我が家では誰も代わってくれないので、歩くのがやっとだというのに出席。

その自治会、今年は13日には総会があり、自治会長が交代となりました。

震災後、被災地から引っ越して来て、数年後には自治会長を引き受けて頂いた方、

感謝!感謝です!ありがとうございました。

 

12日に開花宣言したのは良かったのですが、曇天続きとなり、

その内に桜だけでなく、カタクリも満開に。

 

JR荒谷前駅南側の桜並木も16日には、既にいい感じ。

岩手日報にも載った場所です。

 

その荒谷前駅南側並木のさらに南側川向こうもいい感じながら、やはり曇天。

 

まだ飽きずに同じ16日、JR遠野駅前の桜もチェック!

どこもかしこも、一斉に春爛漫でした。(過去形)

 

あれからだいぶ経つので、どうなんだろう?と思いながら、昨日の帰りに、また鱒沢へ。

散り始めかと思いますが、青空でした!

 

そこの石碑

 

鱒沢の次に寄った六日町の神明さんと松尾神社

 

今朝の青笹町喜清院

 

枝垂れは見頃のようです。

 

享保5年(1720)に植えられた桜が明治23年(1891)の火災で焼失。

その時の種から育てられたのが、この桜です。市指定文化財。

 

村兵稲荷の枝垂れ、こちらも大木です。こちらは文化財指定無し。

樹齢はわかりませんが、高さなら市内ベスト3には入ると思います。

年月を経て、尚、生き続ける樹木を見ると、もう少し頑張ろう!という気になります。笑

予報では水、木が一部雨マークなので、桜はどうなんでしょう?

いつも、本州では皆さん見飽きたと思った頃に咲く遠野の桜です。

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2024 遠野の桜、勝手に開花宣言

2024-04-12 11:40:12 | 地域

遠野の桜も咲き始めました!

 

大工町の善明寺さん

 

昨日の夕方、見に行った時に、一輪、咲いていたので、先ほど、また確認

間違いなく開花宣言です!

昨年より、一週間ほど遅い感じでしょうか。

 

善明寺さんが咲けば、とぴあも。

とぴあの方が、咲いている数が多かったです。

今、咲き初めなので、4月末から5月の連休では、里は終わり、

山桜が、いくらか見られる感じかもしれません。

桜を見ると、気分も上向きになり、なんだかじっとしていられなくなりますね!笑

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遠野郷しし踊り 其の参

2024-04-09 14:08:13 | 郷土芸能

安心してください、最後です。

⑤太刀振り、ササラ摺り、棒持ち、道化など、ししに付属する踊りの有無を見てみます。

二戸市2/2、一戸町1/1、八幡平市1/1、岩手町1/1、滝沢市0、盛岡市4/4、雫石町0、

矢巾町3/6、紫波町5/5、花巻市2/3、北上市0、奥州市0、野田村0、普代村0、

田野畑村0/2、岩泉町0/5、宮古市0/16、山田町1/2、大槌町5/5、釜石市7/11、遠野市20/20、

他に旧八戸藩領として軽米町1/2、葛巻町0、九戸村2/2、洋野町0、久慈市0

 中断・廃絶しているものを含め、調べられる範囲での数です。但し不明なのは0とします。

 合計54/88に踊りが付属します。

 旧閉伊郡で付属の踊りが付くのは、遠野市、釜石市、大槌町、山田町。一方、岩泉町、

宮古市では踊り無し。また、道化のような役だけが付く例は、盛岡を中心に見られ、

軽米町と一戸町のしし踊りには、明らかに剣舞と思われる衣装で太刀振りが付属します。

 

f8 上郷町 板澤しし踊り 太刀振り

 

 関東周辺の三匹獅子舞や山形・秋田のしし踊りの中には獅子役の他、ささら摺り、道化、

太刀持ち、棒持ち、万灯持ち、花笠などの役があるので、

南部領のしし踊りにこのような付属の踊りがあることは特別ではありません。

 

 

f9 紫波町 二日町鹿踊

 

 享保9年(1724)、伊達領内では「公儀御触御国制禁」と云う御触れにより、しし踊りは

田植踊りと同じく10人を限りとすること。剣舞はしし踊りと人数を同じにすることなどが

定められました。(田植踊りだけは、その後5人に減らされます)

このことが、剣舞としし踊りに大きな影響を与えたと考えられます。

もしかすると江刺の八幡堂系の行山流久田鹿踊のように、しし8+笛1+坊主1=10が基本に

なったものが、笛と坊主が無くなり、現在の太鼓踊り系八鹿踊りのように、

しし8だけに変化したとか、剣舞も踊り手8+笛1+太鼓1=10になったとも考えられます。  

 

また、服飾の上では当初から剣舞には大口があり、ししには無かったものが、人数制限と

衣装替えと出番の都合などから、剣舞が無くなったグループでは大口を付けた

ししだけが残ったとも考えられます。

同じように剣舞との関係がしし踊りの編成に別の影響を与えた可能性もあります。

剣舞が無くなったことで剣舞の太鼓役が残ったことから、ししの太鼓を止め、踊るだけの

ししが分離したとも考えられます。逆に太鼓を付けて踊るししはそのままで、

剣舞の太鼓だけが無くなり、笛だけ別に残った可能性もあります。

 

 

f10 宮守町 坊主役の子供達が付く行山流湧水鹿踊 江刺の久田鹿踊から伝習

 

遠野では、これまでに無くなったり激減した芸能がいくつかあります。

最初に記した遠野古事記の頃には行われていたもので後になくなった剣舞の他、

激減したものに田植踊りがあります。田植踊りが激減したのは昭和以降なので、

しし踊りに影響を与えたとすれば、現在のような小踊りの編成だと思われます。

その中で剣舞に無くて田植踊りにあるものは中太鼓。

中太鼓はf11のように棒を2本持って踊りますが、太鼓という名前があるように

棒は元々はバチです。

また、ふくべ振りは田植踊りだけでなく、念仏剣舞にもあります。

 

 

f11 遠野市小友町 長野獅子踊り 

前列の右から二人の子が、両手に持つのが中太鼓

左から三人が、ふくべ振り

  

 また神楽については、明治以降に一般の人に伝えられるまでは宗教関係者の芸能であり、

その神楽が広く普及するまでの期間を考えると、直接しし踊りに影響を及ぼした可能性は

低いと思われます。

現在の軽米町・九戸村・一戸町のしし踊りを見ると付属する踊りは衣装も剣舞そのもので、

二つの芸能が一つになったように見え、田野畑村の菅窪鹿踊・剣舞のように一つのグループ

が二つの芸能を演じたものがしし踊りに集約されたようにも感じます。

そのような変化が基本となり、集落単位で行われていた田植踊りの要素が加わったのが

遠野郷のしし踊りなんだろうと思えてなりません。

 

以上のことから、三匹獅子舞の変化形を基本として、

(しし+太鼓+笛)+(太刀振り+ふくべ)+(中太鼓)

という構成変化をしながら、現在の形に落ち着いてきたように感じています。

 

 次にししの着物としての袴です。遠野と釜石の一部では股引を付けます。

県内の他の地域では例外はあるものの、ほぼ袴着用です。

また関東から東北地方に広く伝わる三匹獅子舞でも様々な形ですが袴で

ごく一部にズボンも見られます。これらのことから、おそらく遠野でも古い時代には袴着用

だったとかなりの確率で考えられます。袴ではなく股引に変わったことで、

遠野のしし踊りは他に比べて、ししのはげしい動きを可能にしたのかもしれません。

 

f12 釜石市鵜住居町 神ノ沢鹿踊

 

 最後に駒木の覚助が踊りを伝えたという伝承の他に、しし踊りの一部を変えたという

異なる言い伝えもあり、他の幕踊り系しし踊りと大きく違うものとして、

先ほどからの大口と袴、付属する踊りの他に、雰囲気を醸し出すのに十分な量の

かんながらの意匠性もあるのではないかと考えられます。

 

 f13 青笹町 青笹しし踊り ししのお尻付近に青い布が見えるのが流し

 

f14 宮守町 行山流湧水鹿踊 背中の「南無阿弥陀仏」とある部分が流し

 

最後に

太鼓踊り系しし踊りには100%付いている「流し」、遠野のしし踊りではf13の

ような布が垂れ下げられています。

他の幕踊り系しし踊りに、流しを付けている団体がどれぐらいあるのか、

ぜ付けているのか、これもまた興味深いところです。

 

私の処に立ち寄る人達から、そんなことどうでもいいじゃないか!

調べてどうするんだ!と云われ続けています。

しし踊りの踊り本来の伝承についてでもないことを、長々とつぶやいてみました!笑 

結局、何が云いたかったの?と聞かれそうですが、

それも何だかわからなくなってきました。笑

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遠野郷しし踊り 其の弐

2024-04-08 11:19:55 | 郷土芸能

ここ数年日帰り温泉&サウナが、もめずに夫婦一緒にできる唯一のことかも・・・笑

なるべく大きなお風呂で、サウナもあって、出来ればイモ洗い状態にならない処

なんて思いながら行きますが、あまり時間をかけずに行けるので、

 

東和インター降りてすぐのこちらには、一人でも、こっそりと・・・笑

時として遠野人に会うのが難点です。(;^_^A

さて、

其の壱では、遠野のしし踊りに関わりそうな歴史的記述の確認をしました。

今回は幕踊り系しし踊りとその周辺の剣舞について、岩手県の内、旧南部領だった地域を

中心に分布を見たいと思います。

(数字に関する基本資料は「いわての文化情報事典」から)

まずは、①幕踊り系しし踊りの分布状況についてです。

二戸市2、一戸町1、八幡平市1、岩手町1、滝沢市0、盛岡市4(他に太鼓踊り系1)、

雫石町0、矢巾町6、紫波町5、花巻市3(幕踊り系のみ)、北上市・奥州市0(南部藩領

ぶん)、野田村0、普代村0、 田野畑村2、岩泉町5、宮古市16、山田町2、大槌町5、

釜石市11(他に太鼓踊り系1)、遠野市20(幕踊り系のみ。中断・廃絶を除くと15)、

他に旧八戸藩領として軽米町2、葛巻町0、九戸村2、洋野町0、久慈市0  中断・廃絶

ているものを含め、調べられる範囲での数です。合計88(行政区数17/26)

 f3 盛岡市 澤目獅子踊り 袴着用

 

②次に剣舞の分布状況を見ます。

二戸市0、一戸町0、八幡平市2、岩手町1、滝沢市0、盛岡市12、雫石町2、

矢巾町3、紫波町1、花巻市5(鬼剣舞は除く)、北上市・奥州市(旧藩境での区分仕分け

ができず)、野田村0、普代村0、 田野畑村1、岩泉町2、宮古市10、山田町3、

大槌町0、釜石市0、遠野市2(廃絶)、

他に旧八戸藩領として軽米町0、葛巻町1、九戸村2、洋野町0、久慈市4

  中断・廃絶しているものを含め、調べられる範囲での数です。合計51(行政区数15/26)

  ちなみに岩手県内の旧伊達領の内、鬼剣舞を除く剣舞は47。

 

 

f4 住田町 大平梅ノ木剣舞 お尻辺りに付けた模様の施されている四角い飾りが大口

 

 以上から、幕踊り系しし踊りが多いのは遠野市20、宮古市16、釜石市11、矢巾町6、

盛岡(太鼓踊り系山岸獅子踊を含む)・紫波町・大槌町5となり

剣舞が多いのは盛岡市12、宮古市10、花巻市4,矢巾町・山田町3です。

但し行政区割で見ると、しし17/26、剣舞15/26と極端な違いはないようです。

 

次に幕踊り系しし踊りの服飾についてです。

しし頭、幕、かんながら、背中の流し、着物、履物、腰刺しなどがあり、それ以外には、

剣舞の多くで見られるお尻の飾り物として大口f4があります。

これは模様が無い大口袴のお尻側に模様が付くようになり、後にその模様部分だけが独立

した装飾となったものも大口と呼ぶようになったと考えられます。

能衣装では半切りとも云うようです。

また大口の他に羽織を腰に巻き付けた衣装を飾りとしたものも見られます。 

 

③ 大口を付けている幕踊り系しし踊りの分布状況を見ます。

   二戸市2/2、一戸町1/1、八幡平市0/1、岩手町1/1、滝沢市0/0、盛岡市5/5、

  雫石町0/0、矢巾町3/6、紫波町5/5、花巻市2/3、北上市0/0、奥州市0/0、

野田村0/0、普代村0/0、田野畑村2/2、岩泉町4/5、宮古市2/16、山田町0/2、

大槌町5/5、釜石市0/12、遠野市0/20、

他に旧八戸藩領として軽米町2/2、葛巻町0/0、九戸村2/2、洋野町0/0、久慈市0/0

中断・廃絶しているものを含め、調べられる範囲での数です。

但し不明なのは0に入れます。   合計36/89(行政区数12/26)

 伊達・南部領以外の山形県には幕踊り系も三匹獅子舞系のしし踊りもありますが、

大口は無いようです。勿論、関東から福島県(伊達領以外)までの三匹獅子舞系にも

ありません。しかし伊達領内の太鼓踊り系八鹿しし踊りには全てあります。

f5 大槌町 臼澤鹿子踊の大口

 

④ 剣舞の大口使用の分布状況を見ます。

 二戸市0/0、一戸町0/0、八幡平市0/2、岩手町1/1、滝沢市0/0、盛岡市0/12、

雫石町0/2、矢巾町0/3、紫波町0/1、花巻市0/5(鬼剣舞は除く)、

北上・奥州市(旧南部領内での区分がわからず)、野田村0/0、普代村0/0、

田野畑村1/1、岩泉町0/2、宮古市4/10、山田町2/3、大槌町0/0、釜石市0/0、

遠野市0/2、

他に旧八戸藩領として軽米町0/0、葛巻町1/1、九戸村0/2、洋野町0/0、久慈市3/4 

中断・廃絶しているもの、画像で確認できないものを含め、調べられる範囲での数です。

 合計12/51(行政区数6/26) 

南部領内では2割程度で少ないと思われます。これは盛岡周辺では永井の大念仏剣舞f6の

ように色とりどりの布をお尻付近に付ける例が多くなるからだと思われます。

旧伊達領内に残っている剣舞では、子供たちによるひな子剣舞を除くと、確認できるもの

全てが大口を使用しています。

 

f6 盛岡市 永井の大念仏剣舞

 

 これらのことを念頭に置きながら幕踊り系しし踊りの大口使用について地域性があるのか

見ると山田町0/2、釜石市0/12、遠野市0/20、これは旧上閉伊郡になりますが、同じ上閉

郡の中で大槌町だけが5/5と全てのしし踊りで大口を付けており、特異な地域となります。

次に同じ閉伊郡の内、旧下閉伊郡では普代村0/0、田野畑村2/2,岩泉町4/5、宮古市2/16、 

田野畑村と岩泉町では大口使用率が高く、宮古市では低くなります

田野畑村菅窪では剣舞としし踊り両方を行うことから説明できますが、

岩泉町はというと大槌町と同じように閉伊郡の中では特別なようです。

 f7 田野畑村 菅窪鹿踊

これは何を意味するのでしょう?

しし踊りの伝播経路が異なっているということでしょうか?

考え方は逆で大槌町と岩泉町以外の閉伊郡の多くのしし踊りだけが大口を使用しないこと

から、遠野を含めたこの地域が、他と異なる変化をしたということなのかもしれません。

以上のことから大口に関しては、宮城・岩手両県のしし踊りと剣舞での使用率が高いこと、

関東周辺の三匹獅子舞系統のしし踊りでは使用されていないことから、

剣舞の影響を受けて使用されるようになったと考えられます。

其の参ではしし踊りに付属する踊りなどについて考えてみたいと思います。

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