遠野なんだりかんだりⅡ

遠野の伝承芸能・民俗・歴史を書きたい時に思いついたままに

2024 田植え時期

2024-05-19 17:29:20 | 風景

電車通勤している都会の人達から考えると簡単な一日8,000歩。

家から職場まで車で通勤し、外に出ない時はイスに座りっぱなしで一日終わる

と云う生活を繰り返しておおよそ40年。

一念発起で散歩(ウォーキングと云うほどではないので)を始めて約一年、

まだ頑張れそうです。笑

 

と云いながら、そんな昨日の朝、あまりの天気の良さに、

散歩をサボって徘徊してみました。汗

 

田に水が入ったということで、皆さん荒神様詣でを始めたので、真似っこしました。笑

 

レンズもカメラも古いままなので、写りは変わり映え無し。(;^_^A

 

でも、天気次第ということもあり、同じ絵無しと信じて。

 

次に訪れるのは田植後でしょうか。

 

ここも定番です。

 

トラクターで作業中の方に山の風景を撮っているのかと聞かれました。笑

 

松崎方面へ

 

この辺りでも、あちらこちらで田植が始まっていました。

 

私が写している場所は水鏡を意識しているので植える前の田んぼばかりですが。笑

 

最後に農作業をしていると知人に良く声をかけられると云う人を発見!

どこに車を止めようかと道路を行ったり来たりしていると、

盛岡から彼の田植の助っ人さん家族が到着したようでした。

私が幼稚園児の頃、田植えや稲刈り時期になると両親が父親の実家へ手伝いに行くので、

私は幼稚園のある町中から土淵までバスで通った記憶があります。

その時にバスが一緒だった同級生の女の子が、今でもネットでつながっているんだから

世の中狭いものです。笑

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白いネクタイ

2024-05-12 20:26:55 | 日記

昨日は6年ぶりに白いネクタイ!

黒いネクタイで着ることが多い礼服のクリーニングはしばらく前に出し、

準備OKということで白いネクタイをタンスから出すと・・・

2本とも・・・少し黄ばんでました。泣

時間が無いことから遠出もできず、不本意ながら、市内の在庫品を購入。

男性衣料品を市内で調達するのが難しい遠野です。汗

 

朝6時、和服の時々愛妻は着付の為に一足早く家を出て、その後、その愛妻を積載?し、

盛岡の会場へ。

 

ここは8年前に甥っ子が結婚式をした場所でした。

その後、白いネクタイをしたのはいつだったかと確認すると6年前。

今後、しばらくは無いかも・・・・。

 

さて、結婚式です。

今回は新郎側として出席ですが、向こうから新婦がお父さんとこちらへ進んで来ます。

 

娘しかいない私は、このシーンから既にウルウル。

気持ちをあまり入れないように・・・。

 

新婦の両親は、私より一回りどころか、かなり若いようでした。汗

 

白いタキシードが着たかった私の結婚式。

衣装を選ぶ時、時々愛妻とそのお母さんから、どうでも良いような感じで黒を勧められ、

異を唱えることができなかった当時。笑

 

人前結婚式ということで、聖約文が読み上げられます。

 

映える~!

 

いいな~いいな~ってね。

 

新郎新婦とも大勢の友人たちに祝福されて

 

式が始まる前に、撮らせてもらった新郎のお兄ちゃん

仕事関係でも恩師でも政治家でもない披露宴での乾杯の挨拶、美辞麗句ではないものの

とても思いの伝わる挨拶でした!

 

乾杯~!

とは云っても、私は休酒中なのでノンアルコール。

運転手が確保できているので、時々愛妻は安心して○○が進みます。汗

 

飲めないのは残念ですが、出てくる食べ物は全て美味しく頂きました!

 

会場ではわかりませんでしたが、写真をよくよく見ると

見たことがある新郎の友人たち。

みんな立派な社会人になっていました。

我が家の娘たちにも、こうした思いを味わって欲しいと思うのですが、

全くそのような気配が無いとはどういう事なんでしょう!

両親共にリタイヤ間近だというのに・・・。

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荒川駒形神社遥拝所(里宮)のお祭り

2024-05-08 09:12:47 | 郷土芸能

5日、午前中の神馬巡行が終わるとすぐ帰って、お昼。その後、急いで八幡さんへ

行けば子供やぶさめが見られるかもと思いましたが、そんな余裕はありませんでした。

戻ってお昼を食べ終われば12時過ぎ、すぐにでも附馬牛へ行かなければ

神事に間に合いません。二兎は追えず、今年の5日は附馬牛だけとなりました。

 

午後1時前、案内を頂いている方々が建物の中へ入って行きました。

大出早池峰神楽さんの打ち鳴らしで神事スタート

 

例年5月中旬に行われる例祭神事を里宮として、この遥拝所で行ったという感じです。

 

2時、神事が終わり、芸能奉納です。大出早池峰神楽さんのシンガクから。

遠野まつりや大出早池峯神社のお祭りと違った顔ぶれも新鮮です。

 

そして、下舞

 

例年通りに山の神社で行えば見てくれる人の数が限られるので、

里の方が賑やかなのかもしれません。景観は別ですが。

 

権現舞

これだって、遠野まつりではシンガクだけしか見たことがないという人もいるので、

人によっては珍しいかもしれません。

建物の中にいる皆さんはお酒も入っていると思うので、希望者に祈祷のカミカミをすれば、

臨時収入になるかもしれません。笑

 

相変わらずの迫力でした。

 

続いて、上柳獅子踊さん

 

近年、しし踊りとひらがな表記する例が多くなっていますが、

昔どおりの表記で通してほしいと思います。

 

連休中ゆえに子供達の参加率も若干良いようです。

 

種ふくべは熊さん

 

大出の笛に挑戦中の方、この人に持ち込めば唄口の調整ができると思います。たぶん。

 

この日は暑くて、半袖になろうかと思いつつ、日焼けした腕が痛くなりそうだったので、

長袖で我慢しました。笑

 

シシの皆さんもさぞや暑かったことでしょう!

お花を頂き、多少の暑さも我慢して附馬牛らしい投げ草で終わりです。

 

ラストは張山しし踊りさん

 

地元の人数が減ってきているので地域外からの参加者に助けられているようです。

附馬牛と云えば、張山、上柳、東禅寺の三団体によって早池峰しし踊りと云う統一名称を

用いていますが、東禅寺さんの姿がしばらく見えません。

 

肝心要の役どころの方がいなくなると急激に衰退する芸能、

参加すると覚えるだけで精いっぱい、次は上手になることに精一杯

最後に次へとつなぐのに精いっぱい

 

シシも手踊りも笛も、どこの団体と云うことなしに参加者は大歓迎だと思います。

冷やかし程度ではコマリマスガ・・・・。

 

附馬牛の芸能人の皆さん、次は7月17、18日の

大出早池峯神社のお祭りでお会いしましょう~!その翌日19日は、また健診です。笑

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荒川駒形神社神馬巡行

2024-05-07 11:00:47 | 郷土芸能

附馬牛町の荒川駒形神社で何かあるようだという情報が4月下旬辺りから相次ぎました。

観光協会のネットイベント欄を見ても、5月15日の例祭のことしか載ってません。

その内にその何かは5月5日で間違いないようだという話が伝わり、スケジュールの概略が

わかったのは4日の夕方。5日は遠野郷八幡宮で開催される八幡神楽奉納と子供やぶさめも

行われるので重なりました。さて、どうしたものか・・・。

 

上柳に設けられた遥拝所に10時少し前に到着。間もなく神事が始り、内容を把握。

 

この神社では何十年か前まで、このような神馬の巡行を附馬牛の町中で行っていた

と云う事と、平日開催されている神社例祭の日程調整を含め、神社役員の協力が

得やすい方法を模索するという意図もあっての巡行のようでした。

 

では、行列と一緒に散歩の歩数稼ぎをしたいと思います。笑

 

駒形神社のある附馬牛町では馬を飼っている風景が山でも里でも見られます。

 

行列の賑やかしには、大出早池峰神楽さんが同行。

音色が気になって笛を拝見したところ唄口の加工が不十分のようでした。

町内のしし踊りの笛関係者の方、穴を見てやって下さい!

 

山の木々の緑が鮮やかになり、田んぼに水が入った良い天気、

でしたが、気温が高過ぎ、初秋の遠野まつりより暑かった。

 

廻る地域は、上柳、小林、根岸で100世帯ほどでしょうか。

 

連休中とは云え、普段通りに静かな集落内を歩きます。

 

田んぼの向こうに茅葺屋根の家が見えますが、家主が変わっても以前の方同様に

この神楽に関わって頂けるようです。

 

行列の右手の大きな樹の下には神社が三カ所?

その南側は農地で、さらに南側に家が建っています。

建立当時は、道路?境界?に沿って、整然としていたことでしょう。

江戸時代の附馬牛南部家(小八戸氏)家臣の家並み跡との関係を疑っています。笑

 

附馬牛のメインストリート

 

徳昌寺前

 

上柳の入り口、根岸で引き返します。

 

ゆったり感、ほんわり感が伝わるでしょうか?

 

たんぽぽも黄色から真っ白に

 

遥拝所に戻ってきました。

 

私たち、出発前から待つわ!いつまでも待つわ!

 

還御の神事をして終了です。

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2024 南部神社例大祭郷土芸能共演会

2024-05-06 22:11:15 | 郷土芸能

昨年は出所後二カ月ということで、あまり無理せず、お昼ごろからの芸能共演会にお邪魔

したので、今年も同様に足を運びました。ちょうど拝殿内では神事が行われていました。

 

前回も書いたとおり、ここに来る直前に駅前通りで宮城の24地割さんとバッタリ。

1分違っただけで逢えなかったと思うと、これも神のお導きか・・・笑

 

12時半、芸能奉納、平倉神楽さんからです。

 

悪神退治の舞です。

 

久しぶりに舞うと話していましたが、私のブログでは2020年9月の六神石神社の

お祭り、その前は2019年7月下旬の塚沢早池峰夜神楽で舞っています。

 

手平鉦の方、平倉神楽さんの出番の時に何度かお見かけしており、お聞きすると、

石鳥谷で同系神楽をやっており、その縁で平倉の門を叩いたようです。

 

平倉さんはどのような演目もあっさりと舞っているように見えるので、

ちょっと損をしているような気がします。

 

息も絶え絶えといった表情を見せるとお客さんも喜びます。汗

 

まあ、この日は暑かったので、汗の量が熱演感を出していました。笑

 

平倉神楽さんの後は、土淵獅子踊りさん

 

土淵では、和野、野崎、須崎、柏崎、水内、土淵、似田貝で慶応から明治・大正まで

盛んに踊られ、大東亜戦争当時は戦勝祈願のために盛んに踊られたようです。

盛んに踊ったのは土淵だけではなく、またしし踊りに限ったことでもなく、

神楽も同様だったようです。

 

この文章の元は遠野今昔第十集に「土淵獅子踊りの由来」としてあります。

 

一方、「遠野の郷土芸能」には土淵(大杉)、足洗川、野崎、和野、山口、栃内集落が合同

したしし踊りがあり、次々無くなり、今は柏崎しし踊りだけだとあります。

また、「遠野郷しし踊り大図鑑」ではもともと柏崎、足洗川、和野

(野崎、和野、山口、栃内の集落合同)があり、後に柏崎しし踊りに収斂したとあります。

 

また明治12年の八幡宮例祭で踊りを奉納した時に遠野南部家から向かい鶴の紋幕を

頂いたといずれの書籍にもありますが、遠野南部家の南部弥六郎済賢はその明治12年に

60歳で亡くなっています。寂しい晩年を送ったと「新遠野物語」吉田政吉著にあります。

 

私のこだわる太刀振り(刀掛け)

 

続いて上宮守神楽さん

 

おそらく市内に現存する郷土芸能の中で南部神社と古くから関りがありながら、

付き合いが一番新しい団体だと思います。

 

南部神社と染め抜かれた幕を持つ唯一の神楽です。

 

明治15年に鍋倉神社として創立した時代に神社名の入った幟旗を貰っていることから

当時は遠野山伏神楽で、明治初期に道具類を焼失し、明治中期に復興したとあることから、

もしかするとその時期以降に早池峰系神楽の手が入ったかもしれません。

 

山伏系神楽らしい恵比寿舞の後は、早池峰系に近い下舞

 

最後はお約束の権現様によるカミカミ

 

最後は、鷹鳥屋獅子踊りさん

 

少数精鋭で頑張っての奉納

 

写真は別なシーンですが、小友町のシシらしく、投げ草で〆てくれました。

 

ここで復習です。

上宮守神楽さんや土淵・鷹鳥屋獅子踊りさんの幕は、この丸無しの向い鶴紋、

平倉神楽さんの幕は大迫の岳流早池峰神楽さんの丸に向い鶴紋で、

丸無しが遠野南部家の紋で、丸があるのは盛岡南部家の紋です。

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