4月の終わり頃、日帰り小旅行代りに千葉県佐倉市に行ってきました。
独りで訪れようと各バス・電車の時刻表を細かくチェックしていたのですが、連れが出来まして連れ立っての千葉入りとあいなりました。
最寄り(と言っても結構離れていますが)の駅から1時間に1本ほど直行が出ているので、それに乗るべく出発を。
在来線では未体験のグリーン車狙いで(笑)
平日はほとんど満席でここからのグリーン乗車はほぼ無理だとありましたが、土日祝日は比較的空いているとのネットの情報に期待を寄せながら駅で待機です。
ホームに到着する異なる線の電車のグリーンが空いていたのを見て、ホームで急ぎモバイルSuicaでグリーン券購入!
当該車両が到着すると…空いていました!よかった!
半らせんの狭くてかわいい階段を上って上階へ。
朝日を避けられる西側(左)の座席は一列おきに乗客が座っていました。
空いている右側の(めちゃ眩しい)座席でいいもーん。
待ち時間中にホームの休憩所で空腹を満たしてきたので、飲み物でまったりと。
(多分)初めて在来線のグリーン車に乗りましたが、結構しっかりグリーン席なんだぁ…と変に関心。
グリーンアテンダントはね、すごく静かに通路を通り過ぎていきましたよ。
騒がしい輩もいなくて、ゆったり過ごせました。
席の頭上の読み取り機にモバイルSuicaをタッチするだけで着席完了なので、とても便利です。
車窓からの風景の変化を眺めながら時を過ごし、目的地のある駅に到着しました。
改札を出ると…あれ?ここはどこ?なんか既視感が…。
京都の嵯峨嵐山駅っ?
そう錯覚するほど、激似!
そうそう、ここの右手にはロッカースペースが…。
いや、流石にそれはありませんでしたが(笑)
でも降りる階段のところも目の前に広がる風景もやけに似ていて驚いていると、同じJRだしねーと連れからの超現実的なお言葉が。
11万石の城下町・佐倉です。
ハナミズキも綺麗に咲いています。
風が心地よく、空気も澄んでいて気持ちいい!
いつか来たいなと思っていました!
国立歴史民俗博物館。
日本一の規模を誇る、佐倉城址に建つ博物館です。
まずは企画展示の『時代を映す錦絵 −浮世絵師が描いた幕末・明治-』のスペースへ。
とても見応えがあってしっかり見たかったのに、あるお子さん連れのお父さんがねー。
博物館内なのに大きな声で、子どもさんに向かって自分の知識を絡めて展示の詳細説明してるんですね。
こちらをたまにチラ見しながらドヤ顔で話しているその姿。
ああ、子どもに教えながら自分の知識を周りにも聞かせているんだなと。
いるんですよね、こういう人。
他の人たちはみなさん小声で他人の邪魔にならないように気遣いしてるのに。
この人の大声が気になって(邪魔で)キャプションの内容が頭に入っていかなくて困りました。
展示室の順路通りに巡るので近くからなかなか離れられず。
静かにしてくれって言おうか?と連れも困り顔。
いやいや、直接言うのはトラブルの元。
監視員さんにお願いするのも憚られるし、我慢しよ。
早めに企画展を離れ、常設展に行く前に気分転換にミュージアムショップを覗きました。
時間がまだ早いけどお腹も空いたので、ショップに隣接しているレストランさくらで食事を取ることに。
古代カレー。古代米を使っているとか。
欧風カレーで美味しいかったです。
館内はほぼフラッシュ禁止の上で撮影可。
展示物が多すぎるのでほとんど撮りませんでした(笑)
私の好きな、縄文中期(約4900年前)の新潟・高馬遺跡で発掘された火焔土器だー!
展示物は実際はレプリカが多い印象ですが見応えは十分です。
この博物館蔵の前期古墳(4世紀後半)の副葬品。
奈良のマエ塚古墳のものだそうです。
家屋紋(文)鏡のレプリカ。
本物は重要文化財で宮内庁書陵部蔵だそうです。
奈良県北葛城郡河合町の佐味田宝塚古墳(前方後円墳)の副葬品。
実はここ、半世紀ほどの繋がりがあった会ったことのない知り合いがいる地元。
懐かしいなぁ。。。
聖武天皇と光明皇后(安宿媛/あすかべひめ)の娘、孝謙天皇の御世ですね。
このご両親は甥と叔母同士。
藤原不比等と賀茂比売(かもひめ)の娘が、聖武天皇の母の藤原宮子。
藤原不比等と県犬養三千代の娘が、安宿媛・のちの光明皇后。
ちなみにこの三千代さんは、不比等と再婚して安宿媛を産んだ7年後ぐらいに即位直後の元明天皇から『橘の姓と宿禰の称号』を賜り、県犬養橘宿禰三千代という名を称した優秀な女官だったようです。
あがたいぬかいのたちばなのすくねみちよ、さんです。
聖武天皇の崩御後、遺品などの宝物を光明子が東大寺に献納したのが正倉院宝物の始まりですね。
人々がその後も連綿と宝物を守り続けたお陰で現在も当時の様子をダイレクトに知ることが出来るのは、本当に凄いことです。
話しが逸れました。
この時代に特に興味があるもので^^;
いつか大河でやってくれないかなぁ…視聴率とか考えずに。
閑話休題。
で、その孝謙天皇の時代の待遇改善要求案の下書き(正倉院蔵、複製)ですって。
「浄衣(作業着)の支給、定期的な休暇、食事の改善、酒の支給など、6箇条…」だって。
要求内容が今とあまり変わらないですね〜。
時代は平安。
ここは藤原兼家の東三条殿のジオラマ。
昨年度のドラマの中で兼家最期の場所らしき渡り橋が見て取れます。
装束は言うまでもなく、几帳もこれまた豪華ですね。
正絹なのかな、凄く高価だろうなぁ。
鎌倉時代です。
伏見天皇宸翰(直筆)後撰集、重要文化財。
「紫染の繊維を漉き込んで雲を表現した打曇紙(うちくもりかみ)」ですと!
宸翰(しんかん)って言葉を久し振りに目にしました。
(会津の松平容保公が肌身離さず持っていた孝明天皇の御宸翰で、この言葉を知った次第で…)
伏見天皇は能書家としても知られたそうです。
美しいお手跡ですね。
江戸時代です。
江戸図屏風、これは複製ですが実物はここの博物館所蔵です。
赤い傘の人物は3代将軍家光公だそうで、この絵の中にはTDLのミッキーのようにあちらこちらに居ます(笑)
屏風の前に立つ人たちは、“ウォーリーを探せ“さながら“家光公を探せ!“の楽しさも!
はい、いきなり飛んで近代です。
右側の紙は蚕卵紙(さんらんし)、お蚕さんの卵が貼り付けられています。
福島県伊達郡梁川町字右城町の大竹卯兵衛さんの名前が書いてあります。
蚕卵紙ってどこかで?と連れがスマホで検索。
そうそう、大河の『蒼天を衝け』で登場したアレですね。
時代はちょっと戻りますが、江戸時代末期の旅篭の複製。
三重県津市の伊勢別街道の椋本宿の中程にあった旅篭です。
こういう建物系は好物でございます(笑)
ここの博物館はあまりに広すぎて、到底1日では回り切れません。
企画展と、全部で6つある展示室のうちの3つの常設展を見てまわるのが精一杯でした。
もうね、頭が情報でぐるぐる。
テーマ別に展示されていますが、私たちにとっては少々流れが煩雑に感じて、展示情報を脳内で処理するのが追いつきません。
他の博物館と比較するとガイダンスが簡素かなと感じますし、展示品もレプリカが多いかなぁと。
展示室内外の順路が分かりづらく迷ってしまうこともしばしば。
偏向気味の歴史解釈が見て取れるかなとも。
そこはそれぞれの博物館の特徴として捉えれは良いと思いますが。
いつになるか分かりませんが、後半の4,5,6展示室を見にいつか訪れたいなと思いました。
広大な城址内に茶室もあるのですが、如何せん時間がなくて行くことが出来ませんでしたので、それも今後の楽しみにしたいと思います。
再びミュージアムショップで色々物色して、バスの時間までロビーで休んでいたら、閉館時間まで1時間と少しぐらいなのにどんどん拝観者が訪れて来てました。
城址公園を楽しんだ後に来たのかな?
休んでいる途中で字が見えにくくなって来たなと思ったら、三日月型のギラギラが拡大していく閃輝暗点…。
ごくごく小さい字をみたりとメガネの掛け外しをしていて、なんだかんだと視覚を酷使したせいか偏頭痛が生じてしまいました。
でも、佐倉城址は空気がとても気持ちがよかった!
帰りも直行を狙って、グリーンで帰りました。
旅行気分に浸りに浸って帰宅しました。
千葉といえば、お醤油ですよね!(笑)
角が取れてて芳醇で、やっぱり旨いです。
古墳も大好物よ〜。