遠野なんだりかんだりⅡ

遠野の伝承芸能・民俗・歴史を書きたい時に思いついたままに

白いネクタイ

2024-05-12 20:26:55 | 日記

昨日は6年ぶりに白いネクタイ!

黒いネクタイで着ることが多い礼服のクリーニングはしばらく前に出し、

準備OKということで白いネクタイをタンスから出すと・・・

2本とも・・・少し黄ばんでました。泣

時間が無いことから遠出もできず、不本意ながら、市内の在庫品を購入。

男性衣料品を市内で調達するのが難しい遠野です。汗

 

朝6時、和服の時々愛妻は着付の為に一足早く家を出て、その後、その愛妻を積載?し、

盛岡の会場へ。

 

ここは8年前に甥っ子が結婚式をした場所でした。

その後、白いネクタイをしたのはいつだったかと確認すると6年前。

今後、しばらくは無いかも・・・・。

 

さて、結婚式です。

今回は新郎側として出席ですが、向こうから新婦がお父さんとこちらへ進んで来ます。

 

娘しかいない私は、このシーンから既にウルウル。

気持ちをあまり入れないように・・・。

 

新婦の両親は、私より一回りどころか、かなり若いようでした。汗

 

白いタキシードが着たかった私の結婚式。

衣装を選ぶ時、時々愛妻とそのお母さんから、どうでも良いような感じで黒を勧められ、

異を唱えることができなかった当時。笑

 

人前結婚式ということで、聖約文が読み上げられます。

 

映える~!

 

いいな~いいな~ってね。

 

新郎新婦とも大勢の友人たちに祝福されて

 

式が始まる前に、撮らせてもらった新郎のお兄ちゃん

仕事関係でも恩師でも政治家でもない披露宴での乾杯の挨拶、美辞麗句ではないものの

とても思いの伝わる挨拶でした!

 

乾杯~!

とは云っても、私は休酒中なのでノンアルコール。

運転手が確保できているので、時々愛妻は安心して○○が進みます。汗

 

飲めないのは残念ですが、出てくる食べ物は全て美味しく頂きました!

 

会場ではわかりませんでしたが、写真をよくよく見ると

見たことがある新郎の友人たち。

みんな立派な社会人になっていました。

我が家の娘たちにも、こうした思いを味わって欲しいと思うのですが、

全くそのような気配が無いとはどういう事なんでしょう!

両親共にリタイヤ間近だというのに・・・。

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2023 総集編後編

2023-12-27 19:16:18 | 日記

木曜日まで外回りの予定が早く終わり、年末のこの一日はかなり得した気分。

お陰様で明日は帰省する娘2号を迎えに行けそうです。笑

 

その外回りで近所まで行ったついでに、寄り道してみました。

今年は、あまり郷土史話題を取り上げることなく終わりそうなので、とりあえず。笑

と云いながらで、総集編の後編です。

 

9月、3年中止した仲町南部ばやしが遠野まつりに参加するということで、

準備段階から記録させて頂きました。

仲町の方々だけで準備から芸能まで全てを賄う時代は既に過ぎ、裏方作業を含め、

どの段階でも協力して頂ける人がこんな感じの内容だと、なるべくわかるように

写真にまとめてみました。

 

10日は、こちらも久しぶりの達曽部町八幡神社例祭です。

 

16,17日は、待ちに待った遠野まつり 

当日まで参加人数が心配されましたが、大勢の人達に支えられての参加でした。

 

メイン会場の遠野郷八幡宮には大勢の人、そして各種芸能団体の音が響き渡りました。

やはり、遠野のお祭りはここの境内に一同が会することで、その「らしさ」が出ます。

 

22日、青笹町六神石神社の宵宮夜神楽、そして翌日の例祭。

 

23,24日は宮守町砥森神社例祭

過密スケジュールながら、其々の様子を見に行きました。

 

遠野まつり最終日の晩、関東から祭りに合わせて帰省中の山猫さんとしっかり飲み、

30日には北海道から綺麗な奥さん同伴でS藤君が帰省し、これまた乾杯!

という訳で、お祭りシーズンは飲み会シーズン

この辺りから自重が足りなくなってきたような・・・汗

 

10月、お祭り疲れも癒えた頃の22日は黒森神楽遠野公演

 

3月4日に南回り巡業の一環として遠野八幡宮で行われる予定が、新コロで中止。

その前日3日に合宿突入で、観られないと思ってがっかりした私ですが、

八幡の神様にお力添えを頂いたようで、かぶりつきで見学できました!笑

 

その晩は同じ八幡様境内でしし踊りのライトアップ公演。

 

下旬には、溺れて以来、近寄らないようにしていた猿ケ石川上流へ、怖いもの見たさ。

皆さんが見学に行く場所は避け、少し離れた処で車内からパチリ。

熊が怖くて一人では車外に出られず。汗

 

29日は新しい試みの「教えて!神楽の人」

今回は神楽で、今後は市内の様々な芸能について聞いたり観たり、あれこれと。

続きがありそうな新たなイベントがスタート。

 

11月、3日はこれまた久しぶりに花巻市東和町の神楽大会へ出撃。

10月で高額な薬も終わり、気分も家計もだいぶ楽になりました。

 

と、私が無罪放免となったところで、13日、義従兄がまさかの入院

 

合間の19日には、これまた久しぶりの遠野市郷土芸能共演会

 

12月、3日あれよあれよと云う間に義従兄が亡くなりました。

人の命って、わからないものですね

一人で生まれ一人で死んでいくなんて云う方もいますが、現象とすればそうでも、

実際は誰かに助けられて生まれ落ち、死んだ後は誰かがその始末をつけるもの。

今回も大勢の人の協力がありました。

 

13日、高校時代のブラバンの先生を囲む会に参加

 

そして、今日は外回りをして、閉めと云った感じになりました。

昨年後半から問題が発生し、今年前半は検査、入院、手術、リハビリとなり、

中旬以降は社会復帰したものの・・・

後半になって、切羽詰まり、背に腹は代えられず・・・。

生かされているだけでも、ありがたいと思いつつ、とりあえず後編の終わりです。笑

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2023 総集編中編

2023-12-24 13:35:10 | 日記

クリスマス・イブですね!

未成年の子どもがいないので、特別な日という感じもしませんが・・・笑

 

風薫る5月、SL銀河運行最後の年ということで、GW最初はめがね橋から

 

夜神楽も再開

この間のNHKに飯豊神楽さんが出ていましたね!

 

5日は、いつものように遠野郷八幡宮で、八幡神楽と子供流鏑馬。

しばらく続いた新コロのことを思うと、笑顔が見れる日常がいかに大切か。

 

6日、帰還祝いを兼ねて、家族で7月の同級会会場の下見。汗

 

6月、11日がSL銀河のラスト

めがね橋には、何千人いたかわからないほどの人。感動しました!

 

18日、上郷町日出神社のお祭り

 

25日、大日さんの日枝神社のお祭り

いずれも、新コロ前の状況に戻ったような感じでした。

 

7月、8日は鱒沢の白山神社・鞍迫観音の宵宮へ

 

翌日9日は遠野郷八幡宮に市外の幕系シシオドリの奉納

どこの郷土芸能も、踊りたい!舞いたい!とここ数年思っていたんでしょうね~!

 

15日、延期に延期を重ね、やっと開催した高校同級会

企画した皆さん、参加した皆さん、ありがとうございました!

 

18日、大出早池峯神社の宵宮夜神楽

これまた、新コロ前同様に開催

 

翌日の例祭、上柳しし踊りの姿は無く、お神輿の渡御はありませんでした。

 

8月、お盆は親戚の家での飲食は無く、

 

静かに花火や

 

舟っこ流しを見て過ごしました。

 

26日、これまた中止となっていた上宮守の愛宕神社(宮守観音)例祭と小友まつりが再開。

こうして今年を思い返すと、随分、昔の出来事だったような気がします。

まあ、かなり昔のことは覚えているのに、少し前のことは記憶なし

と云う事が、多々ある年齢になっているのは確かです。笑

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2023 総集編前編

2023-12-23 13:34:52 | 日記

今月2回目の更新で、もう総集編に突入です。汗

 

クリスマスを前にして、今朝は湿った雪降りの遠野。

いつもなら残すところ一週間ともなれば、現業というよりは事務作業主体となるのに、

今年は来週火曜から木曜まで外回り。インフルエンザに気を付けながらもうひと踏ん張り。

 

さて、2023年はというと、

 

1月1日に日付が変わる頃には恒例の遠野郷八幡宮に娘たちと一緒にお参りし、

ひと寝して遠野三山の神社に初詣。

今年の願い事は唯一つ、無事帰還できますように・・・汗

 

その件で1月11日から盛岡通いが始まりました。

 

15日は、廻りにもほぼ雪が無いという珍しいどんと祭となりました。

 

雪が無いままでも良かったのに、25日辺りには猿ケ石川も凍り、

温暖化とは云え、寒さはそんなに変わらないような・・・。

29日には3年ぶりの遠野郷神楽共演会も開催され、今年はお祭りが例年通りに

開催されそうなスタートとなりました。

 

2月、12日には鱒沢神楽初舞、これも3年ぶりでした。

 

その2月には内丸から矢巾に検査する場所が変わり、覚悟ができてきました。汗

 

3月、ひな祭りの日に合宿突入

その日から12日まで食事なし、18日に合宿終了で、5kgスマートになりました。

あれから9カ月、元の体重に戻りつつあるのが問題です。笑

食べれない間はそれほど食べたいと思わなかったのに、

食べられるようになると・・・欲とは恐ろしいものです。

 

社会復帰は家の周りの散歩から始め、24、25日にはC58を見に・・・。笑

折角、タバコを止めたのに、そのぶんが月々の医療費・薬代に消えていき・・・。

 

4月、まだまだ本調子とは云えない状況ながら、週末はこれ。笑

 

いつものように桜咲く!

 

4月下旬、7月開催の高校同級会の打ち合わせを兼ねて、合宿後、初ジンギスカン!

そして、生ビール!・・・生きている「し・あ・わ・あ・せ」を実感。

 

4月29日、入部行列&さくらまつり

こちらも、ほぼ通常バージョンで開催となり、

今年の前半は検査、合宿、経過観察を主体としながら、身体慣らしをしていた時期でした。

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第12回 遠野市郷土芸能共演会 其の参

2023-11-22 08:38:47 | 日記

今回の郷土芸能共演会、午前中は八幡神楽さんと長野獅子踊りさんが終わった後、

休憩時間があり、その間に出演団体との交流がホワイエで行われ、次のようなコーナーも。

 

返礼品と書いていますが、いわゆる出演団体へのお花。

2、000円以上のお花にはタオルなどのお返し。

それ以下の場合は、別な場所に支援だけのお花ポストがあるようでした。

全部の団体にお花を出したら、入場料徴収の場合より高くなるかもしれないので、

支援したい団体、感動した団体といった感じで、其々の判断で。笑

これで難しいのがお花が貰えなかった団体・・・頑張りましょう~!汗

さて、其の参です。

 

女性の手踊りは、鷹鳥屋甚句の皆さん

 

踊りに先立って、挨拶をしたこの方

SL銀河や県内の滝など、いろいろな分野の写真を撮っている写真家

かつ、

マドロス姿で演芸祭にも出演、はたまた甚句では太鼓。凄い!

 

この日の演目は「石投げ甚句 ほか」とありました。

 

こちらの「ほか」も曲者で、この傘を持った踊りは「ほか」なのか?

と思いながら、見ていました。

パンフレットには最初の手踊りが石投げ甚句で、後の傘を持ったほうがからかさ甚句だと

ちゃんと載ってました。後で確認。笑

 

地域の祝い事などで披露されるということでした。

飲む芸しか無い私は、こういった時に何かひとつでも芸があれば・・・。汗

 

小友町内の出演団体が終わったところで、来月3日(日)は「おとも収穫祭」

小友地区センターが会場で、町内の神楽や獅子踊りもあるようです。

お弁当とひっつみ汁付参加費は1,000円 前売り券は産直ともちゃんで限定100枚。

当日券は1,500円で、入場規制ありとのこと。なかなかユニークなイベントですね!

 

さて、お昼の休憩を挟んで、午後の初めは、附馬牛町の小倉神楽さん

大出早池峰神楽の弟子神楽ですが、いつ伝えられたかは不明とのこと。

昭和24年に大出で神楽道具一切を焼失した際、道具を貸していたのが、この小倉。

 

この日は三人鶏舞

 

昭和30年頃に途絶え、同じ張山のしし踊りのメンバーが神楽に関心を持ち、

平成4年に復活ということのようです。

 

現在は地元以外のメンバーを中心に継承中。

最初に伝えた大出に支障があると小倉が支え、中断した後は同系の神楽が支え

といった感じで、やはり交流は大切ですね。

本田安次氏が遠野に来た昭和7年3月、その28日は上柳からまだレールの敷いていない

軌道敷を歩いて和野に行き、その後、大出に入っています。

そこで胴取りの佐々木安成氏に話を聞き、その晩、始閣佐太郎氏の御子息の尽力で

社務所で大出神楽を見ています。安成氏の話では2,3代前に岳神楽を移したといい、

立派な伝授目録を始閣家に伝えていたが、火事で焼失。

 

その晩は鶏舞、翁舞、三番叟、天女、鞍馬、五穀、獅子舞を演じています。

当時の大出神楽は、昭和24年の再焼失前であり、その時には年寄神楽になっていて、

年壽、蕨折、機織などは途絶えていたと記されています。

ちなみに前年に訪れた岳神楽でも、踊れる人が揃わず年壽、蕨折、機織は望めず、

岳は年寄神楽になったと嘆いている人がいたとあります。

大出も岳も同じような世代交代の時期になっていたのでしょう。

 

明治42年 柳田国男氏が投宿した高善旅館と氏の像。

本田安次氏を遠野に導いたのは佐々木喜善氏の紹介によるところが大きいと

知ったのはこの頃のことです。

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