Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

都市の中心に墓場がある

2006-03-12 | 今週の婉容
ニューヨークの夜、セントラルパークは静かな闇でした。同じ時間、タイムズスクエア辺りは昼間のように、いや昼間以上に人が多いのに対して、セントラルパークはマンハッタン島の上に広い面積を占めながら、夜は誰も足を踏み入れない危険極まりない場所になります。物理的に都市の中心にありながら、決して求心的な存在にはなり得ないのです。都市の中心にありながら心理的には内なる「辺境」のような存在になっているように思えました。

東京の夜、ニューヨークと同様、大都市の中央には大きな闇があります。ロラン・バルトが「表徴の帝国」で「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」と述べたように、都市の中心には求心性を持ちながらも、堀に囲まれ昼も夜も侵入を拒む聖域があります。東京はこのブラックホールのような聖なる森を核に、膨張を続ける俗的な「周縁」が機能している世界でも稀な宗教都市なのです。

Google Local で上空から眺めていると北京も東京に似ているように見えます。しかし無宗教な人民都市の中央にあるのは墓場です。明・清の五百年を生きながらえて機能した紫禁城は、民国建国と同時に機能を停止し、その後も廃帝溥儀と婉容の住処として12年間に亘りゾンビのように身を横たえていました。溥儀の強制退去により主を失った後は屍体となって荒れるにまかせ、1949年に共産党がその足元にあたる天安門で建国を制限してからは、新たな空虚なる中心、天安門広場が生まれました。こうして都市の中心は、旧時代の記憶の墓場と新時代の虚無空間が並ぶ重層的な構造を持つようになりましたが、赤い皇帝・毛沢東の亡骸がこの広場に祀られたことで、紫禁城-天安門広場は双子の墓場と化したのでありました。そこは既にイデオロギーとしての社会主義の墓場であるのかもしれません。


溥儀と婉容の住んだのは内廷と呼ばれる紫禁城の北半分。
写真下の午門の南には、天安門広場が広がる


最新の画像もっと見る

コメントを投稿