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珍妃の井戸の真相

2010-06-13 | 今週の婉容
昨日、NHKで西太后の生涯を取り上げた番組を見た。そこで語られていた西太后慈禧の人物像は、NHKでドラマ化されている浅田次郎の創作「蒼穹の昴」に描かれたものを敷衍しているようにも感じられた。よく話題にされる「稀代の悪女」というイメージは影を潜め、弱体化した国家の将来を憂う「国母」(彼女は「老仏爺」であり「親爸爸」であったから国父と呼んでもいいわけだが)としてのイメージを打ち出している。結果、彼女はその政治的手腕によって清を半世紀延命させたというわけである。

「西太后=悪女」というイメージは、同治帝の寵愛を受けたライバルの麗妃の手足を切断して甕の中に入れて飼育したり、東太后慈安を毒入り饅頭で毒殺したなどという民間伝説が元になっているようであるが、歴史に照らし合わせてみてもこれらはまったくの誤りであることが判る。麗妃のエピソードが映画「西太后(原題: 火烧圆明园/垂帘听政)」で興味本位に取り上げられたことで、「悪女」イメージは再流布されてしまったようであるが、史書に残された漢代の呂后、唐代の則天武后(武則天)の専横や残虐性の記述が混同された可能性がある。それは、西太后が、呂后、則天武后とともに「中国三大悪女」として括られているためであろうが、西太后に前近代的な暴君のイメージを与え、20世紀における中国近代化の停滞は専ら彼女に起因するものとして、後の共産党政権の失政を隠してしまおうとする意図まで感じ取ってしまう。ただ毒殺に関しては、根も葉もない噂でもないようである。最近になって光緒帝の遺体調査により高濃度の砒素化合物が見つかったらしく、西太后の死の前日に死んだとされる光緒帝の死因が何者かによる毒殺である可能性は否定できない。

もうひとつ西太后のイメージを悪くしているのは、義和団事件で列強8ヶ国の連合軍が北京に迫り彼女が紫禁城から脱出した際に、光緒帝側室の珍妃を井戸に突き落として殺したという逸話であろう。この事件の経緯はNHKでも取り上げられていたが、西太后はまず珍妃に対して、光緒帝とともに西方へ逃げるのか、敢えて紫禁城にとどまるのかを問いただしたらしい。戊戌政変の際にも助言を行い少なからず光緒帝に影響力のあった珍妃が皇帝とともに北京から逃げ出すことを潔しとしなかったため、西太后の逆鱗に触れ死を命じられたというのが通説である。ただその際に、命じられた宦官が無理やり妃を井戸に突き落としたのか、妃が自主的に井戸に飛び込んだのかは定かではない。

西太后はこの後に漢民族の庶民に扮して北京から脱出して西安に辿り着いたと言われるが、彼女は実際には西安に赴かずに紫禁城に残留したという説があることを知った。それは当時64歳だった西太后が紫禁城で8ヶ国の連合軍の入城を迎えうった挙句に、一人のアメリカ兵にレイプされてしまったという全く驚くべき話である。(つづく)


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