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宦官の帽子を被る婉容

2005-12-08 | 今週の婉容
少しピンボケではありますが、印画紙に焼き付いた皇后婉容の様々な表情の中でも、花のかんばせ、最も無邪気で幸せそうなスナップではないかと思います。婉容はふさげて太監、つまり宦官の被る帽子を奪って被ってみたのでしょう。背景の樹木からして、どこか見晴らしのいい場所に上って撮った一枚ではないかと思います。紫禁城の中なら一番北詰の御花園、城外ならば、そのさらに北に位置する景山ではないでしょうか。



容易に想像できることですが、このとき婉容の周りには、帽子を被った御付きの宦官たちがいたのでしょう。宦官とは、ご存知の通り、男性として生まれるも去勢されて男性機能を喪い、皇帝の奴隷として後宮に仕えた異形の集団です。もともと、このような制度は、古代中国で死刑を免じる代わりに去勢を行った刑罰「宮刑」が始まりで、前漢の時代に「史記」を著した司馬遷や後漢の時代に紙を発明した蔡倫はこの刑を受けたものとして有名です。しかし清代の宦官の殆どは、罪を犯して罰を受けて大事な場所を切除されたのではなく、宦官になることを望んで自ら体を傷つけた「自宮者」でした。

宦官を写した写真はいくつか残されています。例えば、次の写真は皇帝溥儀の寝所であり生活空間である養心殿の管理を任された太監たちです。


左から楊子真(養心殿禦前太監)、王鳳池(養心殿東夾道二帶班)、劉興橋(養心殿禦前太監)。王鳳池は宣統帝溥儀の同性愛のパートナーとして知られています。

宦官は、清朝が倒れた後も廃帝溥儀の暮らす紫禁城で彼に仕え、偽満州国建国とともに新京(長春)にも移り、中華人民共和国の時代になっても生き続けました。宦官の写真の中で、恐らく世界で一番有名なのは、「決定的瞬間」で知られるアンリ・カルティエ=ブレッソンによって、1948年、中華人民共和国建国前夜に北京で撮られた次の写真でしょう。


アンリ・カルティエ=ブレッソン「中国宮廷の宦官、北京、1948年」

確か大阪芸大だったかがブレッソンのコレクションを持っていて、まとめて展覧会をしたときこの写真を見ました。題名がないと「おばあさん」と間違えたでしょう。、

おまけ:
ただし、悪趣味注意中國經濟網サイトで見つけた宦官の汗顔写真「宮刑之皇宮太監真人照」です。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (teshi-hi)
2006-10-20 01:22:10
初めまして。

勝手ながら「北京故宮博物院展」についての文章を書いているとき、非常に参考になったので、拙ブログにてこちらを紹介させていただきました。



私も出光美術館に行ってきました。

名残惜しそうに宗達の絵の前にいる姿は哀愁がありますね。
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Unknown (風香)
2008-12-05 17:07:05
初めまして。
私も自分の日記に写真を頂戴したいので、出典としてこちらをご紹介させていただきたいのですが・・・
返信する
which photo? (tomotubby)
2008-12-06 19:07:32
風香さま。どの写真でしょうか?
できたらそちらの日記を拝見致し度候。
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Unknown (manzhouhuzi)
2011-12-14 17:17:41
この帽子は最後の宦官で、清朝最末期から満州国
の長春時代にかけ、溥儀や婉容のそばにつかえた
孫躍庭のかもしれません。
珍妃のことも、先輩宦官に聞いた話として、彼女が皇帝にたのんでルートを作り、官位を売っていたのを西大后にバレ、怒った彼女は連絡役の数十名の宦官を残虐に殺し、西安へ逃げるときに”犬と同じ扱いでいいから連れて行って”という珍妃
を宦官(名前は失念したが、本に記載あり)に
命じ井戸へ放り込んだ、とのこと。 西安から
戻ったあと調べると、井戸の中で珍妃は井戸の壁
に背をもたせかけ、座った形でしんでいたという。 この宦官は老いてもこの事件が頭から離れなかったという。 詳しくは以下の本を参照ください。

最後の宦官 ラストエンペラー溥儀に仕えて
賣英華 林芳訳 NHK出版
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