Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

食人洞窟 アナ・カイタンガタ (Rapa Nui)

2004-10-07 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
森林破壊の背景には、島民人口の爆発的な増加が想像できる。憑かれたように巨大モアイが作り続けられた時期─17世紀の半ばには、権力者の管理のもと、労働力を提供する1万人を超える島民が存在したといわれる。この数は、現在チリ本土から食料の供給を受けて暮らしている島民人口3000人を大きく上回っている。いったい彼らは何を食べて暮らしていたのであろうか?

人口が爆発的に増えた過程で、島民たちの食生活もまた大きく変化したのが判る。貝塚にあたるゴミ捨て場の遺跡を調べると、入植当時のものには、沖合に生息するイルカの骨が魚の骨より数多く見つかる。ところが15世紀を境にして、イルカの骨はゴミ捨て場から消えた。人々は森林破壊によって、沖へ漁に出るためのカヌーの素材すらも入手できなくなったらしい。さらに、森林が消えたことで雨による土地の浸食は進み、土地はますます痩せていく。森林はもはや自己回復が不能になってしまう。イルカに替わる島民のタンパク質源は二枚貝や鳥類であったが、増え続ける彼らの食欲がこれらの種も次々と絶滅に追いやっていく。島随一の集落ハンガロアの町外れ、滞在中宿泊した IORANA HOTEL にほど近い洞窟アナ・カイタンガタには、今も鮮やかな鳥人の壁画が残るが、そこには食人を物語る人骨すら見つかっている(アナ・カイタンガタにおける食人については、儀礼的な側面も否定できないことを付け加える)。

モアイをどのように運んだのか? (Rapa Nui)

2004-10-06 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii

ラノ・ララクの麓に散らばるモアイ

モアイ研究における最大の謎は、この大きな石像を一体どのようにして運んだのかということであった。モアイの中には高さ10m、重さは50tを優に超えるものまである。モアイは島内のいたるところに散在しており、その材料となった黒い岩はラノ・ララクと呼ばれる火山の切り立った麓のみから産する。

実際、ラノ・ララクに上ってみると、麓の斜面にたくさんのモアイが立っているのが見える。これらは出鱈目に並べられていて、とても何らかの意図を持って立てられたようには思えない。中には斜めに傾いているもの、突っ伏しているものまで見られ、どこかに運ばれる予定だったモアイが、何らかの理由で運ばれなくなり、そのまま放置されてしまったようにも思える。斜面の上の方には、黒い岩から切り出される途中で放置されたモアイの原型すら見ることができる。エジプト・アスワンの石切り場で見た未完成のオベリスクとも似ている。




未完成のモアイ

また、モアイの幾つかは、帽子とも髷とも見られる赤褐色の岩を狭い額の上にのせているが、このプカオと呼ばれる岩はラノ・ララクから遠く離れたプナ・パウのみから産する。


プカオを切り出したプナ・パウ

モアイの立つ石台はアフと呼ばれるが、ラノ・ララクやプナ・パウから10km以上離れた場所に位置するものも数多い。高木が殆ど無く、ロープや薪の素材すら見つけることの難しいこの島で、過去の島民たちは如何にしてこれらの巨岩を運んだのであろうか?

この謎の答を見つけたのは植物学者たちであった。島の地層深くから、今日タヒチやハワイなどポリネシアの多くの島嶼で見られるような亜熱帯性植物の花粉が見つかったのである。モアイを運ぶためのロープや薪の原料もこれらの中に確かめられた。こうして花粉の研究から秘められた島の「歴史」は判明した。西暦400年に島に入植した人々は9世紀には亜熱帯林の伐採を始め、爾来、モアイの制作(モアイの制作時期は、おおよそ10世紀から17世紀と予想されており、意外にも新しい。17世紀といえば日本では既に江戸時代、モアイは決して古代遺跡などではないのである)とともにそれは増え、15世紀初頭には島中に存在していたヤシを絶滅させるほど壊滅的に森林破壊を進めたという、恐るべき「人類の歴史」が。

つづく

世界の果て (Rapa Nui)

2004-10-05 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
かように日本と関係の深いラパ・ヌイを旅して、最も不思議に思えたのは、この島が他のポリネシアの島々とは全く違う風貌をしていることである。飛行機でタヒチやハワイを経由してラパ・ヌイに辿り着く旅行者たちは、まず窓越しに見慣れた蒼々たる亜熱帯林が全く無いことに気づく。飛行機から降りると、寒流のもたらす風がひときわ強く、亜熱帯とは思えない茫漠としたその風景はまさしく「世界の果て」を感じさせる。

つづく

日本のクレーンで修復したアフ・トンガリキ (Rapa Nui)

2004-10-04 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
モアイの親善大使が縁なのか、今でも日本人はモアイに惹かれ、この島を訪れる旅行者の多数派である。日本のとある企業は島に立派な博物館まで寄付している。日本から帰還したモアイは今では修復され、島の東南の荒涼とした海岸を背に佇んでいる。彼は聞いていたよりずっと小ぶりで、「子供のモアイ」とでも呼びたくなるような、何か頼りげな顔つきをしている。それは、この像の背後に、アフ・トンガリキと呼ばれ、15体もの大型のモアイが立ち並ぶ島内最大規模の遺跡があるせいかもしれない。アフ・トンガリキのモアイたちは、チリ地震の際、遠く日本までも被害をもたらした津波でばらばらに倒壊したのだが、近年、日本のクレーン・メーカーの協力のもと修復されている。




アフ・トンガリキ。モアイは海を背にしている

つづく

モアイの親善大使 (Rapa Nui)

2004-10-03 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
ラパ・ヌイ(Rapa Nui)はポリネシアの東南の果てに位置する南海の孤島である。18世紀のある復活祭の日に偶々オランダの探検家によって発見されたため、世界中から集まる旅行者たちからは、Easter Island、またはスペイン語で Isla de pascua と呼ばれている。この島の住民はその祖先が西暦400年頃にポリネシアの別の島から移り住んだと推定され、今では敬虔なカトリック信者ですらあるが、彼らは誰もこれらの新しい呼称を使わず、島をラパ・ヌイと呼んでいる。

この島を有名にしたのはモアイと呼ばれる石の巨像である。日本人にとって、中でも1970年前後に多感な少年時代を過ごした人達にとっては、この像は特別な存在らしい。モアイは当時、たった一体ではあるが、はるばる太平洋を超えて日本に旅していたのである。モアイは短い胴体から切離された首だけの姿で、日本万国博会場チリ館の前に据えられていた。ラパ・ヌイは南米大陸の本土から3800kmも離れたチリ領なのである。


復元された親善大使。背景はラノ・ララク

後で知ったことであるが、このモアイは復元されて1982年に行われた東京・日比谷シティモアイ展に出展のため再来日を果たしたらしい。

つづく

【勝手に引用】 森林減少と社会衰亡

2004-10-02 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
Nature 誌に、太平洋上の島々を分析して、社会の衰亡を引き起こしたとされる森林減少の原因を検証した論考が出ていました。以下はそのサマリーです。森林伐採が原因で衰えてしまったといわれるラパ・ヌイ(イースター島)の文明の謎を解く鍵になるかもしれません。

ラパ・ヌイについて Tomotubby が某ホームページに書いた原稿を見つけました、次回よりこれに手を加えて再掲載することにします。ちょっと文体がえらそうだけど、辛抱して下さいね。

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Environmental predictors of pre-European deforestation on Pacific islands

BARRY ROLETT(1) AND JARED DIAMOND(2)

(1) Department of Anthropology,University of Hawaii,Honolulu Hawaii 96822,USA
(2) Department of Geography,University of California,Los Angeles,California 90095-1524,USA

Correspondence and requests for materials should be addressed to B.R. (rolett@hawaii.edu).

Some Pacific island societies such as those of Easter Island and Mangareva,inadvertently contributed to their own collapse by causing massive deforestation. Others retained forest cover and survived. How can those fateful differences be explained?
Although the answers undoubtedly involve both different cultural responses of peoples and different susceptibilities of environments,how can one determine which environmental factors predispose towards deforestation and which towards replacement of native trees with useful introduced tree species? Here we code
European-contact conditions and nine environmental variables for 81 sites on 69 Pacific islands from Yap in the west to Easter in the east,and from Hawaii in the north to New Zealand in the south.
We thereby detect statistical decreases in deforestation and/or forest replacement with island rainfall,elevation,area,volcanic ash fallout,Asian dust transport and makatea terrain (uplifted reef),and increases with latitude,
age and isolation. Comparative analyses of deforestation therefore lend themselves to much more detailed interpretations than previously possible.
These results might be relevant to similar deforestation-associated collapses (for example,Fertile Crescent,Maya and Anasazi) or the lack thereof (Japan and highland New Guinea) elsewhere in the world.

Nature Contents 23 September,2004

つづく

ゴーギャン美術館 (Tahiti)

2004-04-24 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
遠く離れたタヒチの島々に欧米の旅行者がひきつけられるのは、火山島や珊瑚礁、最近では水上コテージのイメージのせいでしょうが、その次くらいに画家ゴーギャンの存在があるのではないかと思います。新婚さん満載のタヒチ島一周ツアーでも、最大の目玉はゴーギャンのアトリエの再現されたゴーギャン美術館なのです。この美術館は、タヒチ島の表玄関のパペーテやファアア空港から見るとちょうど島の裏側にありまして、なんとも不便な場所なのですが、一生もののいい思い出を作りたい新婚カップルにとっては、いわば勝負スポットですから、美術館が近付くにつれて胸が高鳴るわけです。

ゴーギャン美術館に着いてまず驚くのは、そこには、ゴーギャンの絵がひとつもないことです。タヒチを描いた絵どころか、習作の類も全くないのです(たまには外国から借りてきて企画展を開くこともあるそうですが...)。欧米の美術館に収められた作品の写真とともに、画家の生い立ちについて説明されたパネルが続きますが、オープンエアーのせいか、色褪せてしまっています。そして幸せ一杯のカップルたちを絶句させるのは、一番奥まった所にある薄暗い展示館です。そこにはゴーギャンの数々の作品の「絵葉書」がむき出しのまま壁一面に貼られているのです。わが大原美術館の絵葉書を見つけてしまった Tomotubby は少し哀しくなりました。

アップグレードの謎 (コナ~ホノルル~成田)

2004-02-04 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
ハワイ島からの帰路、どういう風の吹き回しか、航空会社の計らいで、エコノミークラスからエグゼクティブクラス、それもハワイ諸島がよく見える右側の窓際席へアップグレードして貰えました。Tomotubby にとって生まれて初めてのエグゼクティブ体験となりました。椅子は楽ちんだし、料理は美味しいし、スッチーは(ほんとはエコノミー客のくせにと思ってるんだろうけど、表面的には)優しいし、いいことづくめでありました。往路はコナ直通便だったのが、帰路はホノルル経由で、ツアー客が増えて席が足りなくなったため、どうせなら航空会社主催ツアー客をアップグレードしてあげようというのが真相かな?

12/22日 オニヅカ・スペース・センター

2004-02-03 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
一ヶ月以上延々続いたハワイ島日記もいよいよ最終回。

12/21日は、遠征したマウナ・ラニ・ベイ・ホテルで偶然にフラ・ダンスを見れたし、お気に入りのアロハ・シャツ(←このサイトで買えたりします)もゲットしたし、遅くまで遊びすぎてレストランが閉まってしまいディナーにありつけなかった(中華をテイクアウトしてホテルで食べました。「将軍チキン」というメニューがあって注文したんですけど、酢豚の鶏版でした...)けど、エンジョイできたんじゃないかな。と思っています。

明けて12/22日、いよいよ帰国するだけとなりました。コナ空港を午前中に出発するので、後はツアー・バスに乗って空港に向かうだけです。でもチェック・インまでは随分時間があります。しからば、空港近くで観光をしようということで、Tomotubby はオニヅカ・スペースセンターという博物館を見つけました。

マウナ・ケアに行く途中にあったオニヅカ・ビジター・センターと同様に、チャレンジャー号の事故の犠牲となったハワイ出身の宇宙飛行士、エリソン・S・オニヅカ大佐に因んで建てられた博物館です。規模は小さいですが、スペースシャトルの模型や月の石なんかが展示されていて、時間つぶし、いやオニヅカ大佐のことを知るのに最適です。訪問者は私たち以外に誰もいなくて、写真も撮り放題ですし、わざわざ20分くらいの映画まで見せてくれました。おみやげも宇宙マニアの人が喜びそうなものが見つかりますので、飛行機待ちの時間が退屈な方には、ひまつぶし、いいえハワイの英雄、オニヅカ大佐を偲ぶのに、たいへんお奨めのスポットです。

12/21日 マウナ・ラニ・リゾートの夕陽

2004-02-02 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
マウナ・ラニ・リゾートには、フェアモント・オーキッドのほかに、豪華なバンガロー(プライベート・プール、ワールプール・スパ、パーソナル・バトラーつきで、なんと一泊 5000ドル!)が有名なマウナ・ラニ・ベイ・ホテル&バンガローズや、いくつかのコンドミニアムがあります。

海辺でのマッサージの後、ブランチ、憧れていた椰子の木陰のハンモックでのお昼寝、ビーチでひと泳ぎ、ジャグジー...と、矢継ぎ早?にホテルライフを満喫した Tomotubby は、ハワイ島最期の夕陽を見るため、それもできるだけ極上の夕陽を見るため、海岸沿いにマウナ・ラニ・ベイ・ホテルのビーチに向かいました。
行き着いてみると、マウナ・ラニ・ベイ・ホテルのビーチは予想外に小さくて、夕陽を見るにはいい場所ではなく少しがっかりしました。それより、海岸沿いにハワイ王家の養魚池や船着場が保存されていて、むしろこちらの方が興味深く楽しめました。この辺りはカメハメハ大王の別荘があった場所らしく、往時が偲ばれます。

そうこうしている間も陽は傾いていき、日没の時間が近づいてきました。しかし Tomotubby の行く手には、海に突き出した丘があります。海岸線に沿って丘の向こうに行って夕陽を見るには時間が足りません。そこで丘の上に上って夕陽を見ることにしました。西の空全体がオレンジ色に染まってきました。急ぎ足で坂を上がった丘の上は、既にマウナ・ラニ・ベイ・ホテルの敷地の外で、マウナ・ラニ・ポイントというコンドミニアムの入口にあるロータリーでした。そしてそこは、想像していた通り、360度のパノラマが望める絶景ポイントだったのです。前には、椰子林の向こうの水平線に沈む夕陽が望めます。そして背後には、雲が晴れて、夕陽に染まった神々しいマウナ・ケアが望めました。一昨日に上った頂上には天文台が並んでいるのまで良く見えました。