Tomotubby’s Travel Blog

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モアイをどのように運んだのか? (Rapa Nui)

2004-10-06 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii

ラノ・ララクの麓に散らばるモアイ

モアイ研究における最大の謎は、この大きな石像を一体どのようにして運んだのかということであった。モアイの中には高さ10m、重さは50tを優に超えるものまである。モアイは島内のいたるところに散在しており、その材料となった黒い岩はラノ・ララクと呼ばれる火山の切り立った麓のみから産する。

実際、ラノ・ララクに上ってみると、麓の斜面にたくさんのモアイが立っているのが見える。これらは出鱈目に並べられていて、とても何らかの意図を持って立てられたようには思えない。中には斜めに傾いているもの、突っ伏しているものまで見られ、どこかに運ばれる予定だったモアイが、何らかの理由で運ばれなくなり、そのまま放置されてしまったようにも思える。斜面の上の方には、黒い岩から切り出される途中で放置されたモアイの原型すら見ることができる。エジプト・アスワンの石切り場で見た未完成のオベリスクとも似ている。




未完成のモアイ

また、モアイの幾つかは、帽子とも髷とも見られる赤褐色の岩を狭い額の上にのせているが、このプカオと呼ばれる岩はラノ・ララクから遠く離れたプナ・パウのみから産する。


プカオを切り出したプナ・パウ

モアイの立つ石台はアフと呼ばれるが、ラノ・ララクやプナ・パウから10km以上離れた場所に位置するものも数多い。高木が殆ど無く、ロープや薪の素材すら見つけることの難しいこの島で、過去の島民たちは如何にしてこれらの巨岩を運んだのであろうか?

この謎の答を見つけたのは植物学者たちであった。島の地層深くから、今日タヒチやハワイなどポリネシアの多くの島嶼で見られるような亜熱帯性植物の花粉が見つかったのである。モアイを運ぶためのロープや薪の原料もこれらの中に確かめられた。こうして花粉の研究から秘められた島の「歴史」は判明した。西暦400年に島に入植した人々は9世紀には亜熱帯林の伐採を始め、爾来、モアイの制作(モアイの制作時期は、おおよそ10世紀から17世紀と予想されており、意外にも新しい。17世紀といえば日本では既に江戸時代、モアイは決して古代遺跡などではないのである)とともにそれは増え、15世紀初頭には島中に存在していたヤシを絶滅させるほど壊滅的に森林破壊を進めたという、恐るべき「人類の歴史」が。

つづく

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