Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

「人間動物園」ふたたび(Adelaide)

2007-01-10 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
以前ロンドンで行われた「人間動物園」のことを書きましたが、オーストラリア・アデレード動物園でも同様の展示をしているそうです。ロンドンのときの「ヒト」は水着姿にイチジクの葉をつけていましたが、アデレードの「ヒト」は普段着みたいで、なんだか隣の家を覗いているような気分になります。評判がイマイチなのも頷けます。



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オーストラリアの動物園が「ヒト」を展示
1月10日10時55分配信 ロイター

[アデレード 9日 ロイター] オーストラリアのアデレード動物園では、霊長類の保護を訴えるための企画として「ヒト」が展示されている。
複数のボランティアが1カ月にわたって使われていないオランウータンのかごの中で生活し、来園者は携帯電話のテキストメッセージを使ってお気に入りの「ヒト」に投票することができる。テレビの人気リアリティ番組を模したこのイベントで、1カ月後には投票数の最も多かった「ヒト」が動物園の代表として選ばれるという。
ただ、ここまでの評判はそれほど芳しいものではない。
実際に「ヒト」の展示スペースを訪れた来園者の1人は「彼らは完全におかしいよ」とコメント。また別の来園者は「実際、動物たちほど面白くはないね。彼らは大したことしてないよ」と期待外れだった様子を隠さなかった。
かごの中に入った「ヒト」は、夜になれば帰宅することが許されており、昼間は来園者に向かってふざけたり、お互いにシラミを取り合うふりなどをして過ごしている。
彼らには、(1)裸になってはいけない、(2)下品な行動をとってはいけない、(3)水場に飛び込んではいけない、というルールが科せられており、守らなかった場合は獣医が鎮静剤を使用する可能性もあるという。

最終更新:1月10日10時55分

動物園にいるワニ

2006-12-26 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
動物園にいるワニにどこか惹かれます。

最初の写真は、前回と同じグリーン島のワニです。

二番目の絵は、多くの動物園の動物を描いたフランス人画家 Gilles Aillaud の作品。ワニの絵も沢山あります。この画家は Tomotubby のお気に入りだったんですが、昨年知らない間に他界されていてショックでした。日本では京都書院の「ArT RANDOM」シリーズの一冊として1989年にリトグラフ画集が刊行されていて入手できるかも。

最後の絵が大竹伸朗。「全景 1995-2006」にも展示されていた大作の一部です。今や伝説の佐賀町エキジビット・スペースに出展されたもので、彼の数あるワニをモチーフにした作品の最初期のものだと思います。現代美術館での展覧会で観ていて、彼がたまに描くモノクロの写実画に、どこか Gilles Aillaud と似たテイストを感じています。そういえば全100冊の「ArT RANDOM」の最初の一冊は大竹伸朗の「America」でした。


Marineland Melanesia, Green Island, Australia


Gilles Aillaud 「Crocodiles et grilles」(1969)


大竹伸朗 「Scrapped Images Tokyo to Kyoto (from May 15th to Sept. 15th 1984)」部分(1984)

次の大竹伸朗関係の記事はこちら

グリーン島でワニに遭う

2006-12-25 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
グリーン島は島全体が国立公園に指定されているため、自然保護にはうるさく、熱帯雨林の生態系を守るため、通路はすべて板を並べたボードウォーク、リゾートホテルで使う水や食物はすべてケアンズから運び、発生したゴミはケアンズに運んで処理しているとのことでした。

そんな島の片隅に「Marineland Melanesia」という小さなテーマパークがあるのを見つけました。どうやら個人経営のテーマパークのようで、オセアニアの原住民の民芸品の展示や小さな水族館、お土産コーナーなどもあるのですが、ここの売りは「ワニ」です。というか、殆ど「ワニ園」でした。自然をありのまま残そうとしている島にあって、ワニを捕まえて連れてきて飼育している「ワニ園」は、そこだけ全く異質でどこか場違いのような気がしたのですが、恐らくはワニ園がずーっと昔から島にあって既得権を持っていて、後年になってその隣に小綺麗なリゾートが進出してきたのではないだろうか?と思います。




オーストラリアというと、よくコアラをだっこして写真を撮ってもらえるテーマパークがありますが、「Marineland Melanesia」ではワニの赤ちゃんと一緒に写真を撮ってもらえます。赤ん坊とはいえ、人間の指くらい噛みちぎりそうな面構えなので、ワニの口は開かないようゴムで縛ってあり、お腹と尻尾の付け根を両手でしっかり握ってカメラの前に立ちます。ワニはストレス溜まりそう。

↓はワニの赤ん坊の大群ですが、まるでエッシャーの絵か何かのTVゲームを見ているみたいでした。


ワサワサ

M.C.エッシャー「爬虫類」

グリーン島の観光難民

2006-12-24 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
グリーン島に着いた途端、船酔いに苦しんだ人たちは、はた目も気にせず、地べた座りしたり、ベンチに横になったりして、中には「思い出しゲロ」する人までいて、気の毒ではあるんですが、小綺麗なリゾートには不似合いな難民のような風情で見苦しく感じました。そんな難民たちを尻目に Tomotubby は、ホテルにアーリーチェックイン。いつになくプチ・ゴージャスなのでありました。

部屋のブラインドを下ろし、ベッドでひと眠りして目覚めたら、既にお昼御飯どき。お天気もまずまず。むっくり起きだして、日帰り客のためのフードコートのようなレストランへ行ってみました。昼食場所はワン・アンド・オンリーなので、そこには先程の疲弊した難民たちが溢れていました。彼らが食べおえた使い捨ての食器がゴミ箱を埋め、食べ残しを目当てに珍しい鳥が飛んで来ていました。

海が荒れているせいで、どうやらスキューバダイビングなど沖に出るアクティビティがすべて中止されたようです。こうなると困ったもので、小綺麗な孤島リゾートなどというものは、帰りの船が出るまで手持ちぶさたになった人たちにとって、退屈極まりないところに違いありません。ようやく船酔いから醒めた人たちは、帰路に待ち受ける災難を思いながら、狭い島中に広がるボードウォークをあてなく彷徨っているのでした。

ところが、グリーン島には暇潰しにうってつけの珍スポットが一つあったのでした。どういう経緯でそこにあるのか理解できない。およそ小綺麗なリゾートに似つかわしくないその異形な施設は、リゾート側の意思が反映してか、島の紹介記事に載ることもなく完全に黙殺されているように思えました。

つづく

グリーン島行き船内における化学連鎖反応

2006-12-23 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
ヨーロッパの旅先で某旅行代理店の方と知り合った縁で、混み混みだったオーストラリア・ケアンズ往復のフライトを手配して頂いたことがあります。しかしフライト料金は貯まったマイレージを宛ててもらい、宿泊ホテルに至ってはすべて自分で手配してしまったので、そこの代理店には殆んどメリットが無かったに違いない。と少し反省しております。

ケアンズには、早朝暗いうち、というか夜中に着いたので、船着場近くのホテルのロビーで仮眠させてもらい、朝出発の船でグリーン島に一泊旅行に出かけました。ケアンズから比較的近く、オプショナル観光の目的地としても人気の高い珊瑚礁の小島です。この島には日本企業が経営するリゾートがありまして、というか日本企業経営のリゾートくらいしかないらしく、そのためか船内は日本人観光客によって占拠されているといってよい有様でした。

当日は早くから海が荒れ気味だったので、Tomotubby は船酔いを恐れて、乗客に出発前供されるセルフサービスの朝食を控え、代わりに備え付けの酔い止めを貰って呑みました。悪い予感は的中するもので、遠海に出ると船はジェットコースターの如く縦揺れしました。耳障りにも思えた海外で聞く日本語の喋り声が消え、船内は沈黙に包まれます。この沈黙が暫く持続した後、船内は一転して阿鼻叫喚地獄に早変わりしました。アルバイトらしき日本人職員がエチケット袋、つまりはゲロ袋と紙ナプキンを持って船内至るところで走り回っていました。船室には嘔吐物の匂いが漂い、それが新たな嘔吐を呼び起こします。俗にいう「貰いゲロ」ですが、いまだかつて目にしたことのない規模で貰いゲロの連鎖が繰り広げられていました。まるでゾンビが増えていくように。吐寫物の匂いというのは、吐寫物から気化した分子が鼻腔内の臭覚細胞と化学反応することで認知されるのだ。などと考えていると、こちらまで気分が悪くなってきたのをよく覚えています。臨界点に達しそうになったとき、窓外に島影が見えました。危うくゾンビになるところでしたが九死に一生を得て、自分ではHPが高まったように感じられました。

つづく

タヒチの王様(3)

2006-07-08 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
翌朝ベッドで目覚めると、朝とはいえ既に熱帯の眩しい陽光が水上コテージの部屋の中まで射していました。テラスに出てみると、陽に照らされたオテマヌ山の雄姿が昨夕より間近に見えます。

ちょうどそのとき、離れたコテージのテラスに白いガウンを着た人影が見えました。コテージはモツと木製のデッキだけで繋がっていて、宿泊客はテラスから環礁の穏やかな海に下りることができるのです。ガウンを脱いだ人は、見覚えのある色白・ぽっちゃり体型、誰あろう昨日の「王様」なのでした。

水面から顔を出した「王様」は暫らくお風呂にでもつかるような格好で動かず、朝日に照らされたオテマヌ山に見惚れていましたが、やがて意を決したように浅瀬の海に向かって泳ぎだしました。抜き手で顔を濡らさず、その泳ぎ方はこちらがほれぼれとするほどに見事なものでした。

昨夜から「王様」の身に何が起こったのかは判りませんが、遠目にも泳ぐ「王様」の表情がとても清々しく見えたのが忘れられません。

タヒチの王様(2)

2006-07-06 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
「王様」がどんな格好をしていたかというと、頭には白い花の冠、腰には白い布の腰巻をつけ、上半身は白いぽっちゃりした肌があらわで、白い貝殻の首飾りをつけ、足は裸足。はっきりいって半裸です。「裸の王様」って感じ。「裸の大将」という説もある。

日焼けした褐色の肌なら似合うのかもしれませんが、陽が暮れて松明に火が灯ると、色白の肌がいやおうもなく青白く目立つのでした。

その傍らには勿論新婦がいらして、こちらは「王様」ほどに露出はしていないにしろ、王様とお揃いの冠と首飾りをつけ、同じ白い布地のドレスを着ているのでした。しかしギャラリーである私たちは、そのドレスの下にデカパンが透けているのを見逃しませんでした。

結婚の誓いみたいなことをして椅子に座った二人の前に、どんどこどん。太鼓と木琴の奏でる音楽にのせて、「王様」とは対照的に日焼けして引き締まった上半身の現地男性が、腰簑と椰子の実ブラを纏った女性たちを従えて登場しました。どんどこどん。彼らは唄いながら、フラダンスに似た腰をくねくねさせる独特の踊りを披露しました。圧巻は松明を手に持って現れた堅肥りした男性によるリンボーダンスでした。どんどこどん。

式の最初は努めて頬笑んでいた新婦でしたが、式が進むにつれて、時折曇った顔つきを見せるようになったのを、私たちは見逃しませんでした。暗くなってからのリンボーダンスは凄い迫力で見ものでしたが、驚きの表情を見せるとともに、彼女の「王様」を見つめる視線には、どこか後悔が混じるのを感じてしまいました。

どんどこどんどこどん。

タヒチの王様(1)

2006-07-05 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
Pet 君の記事につけられた金正哲の隠し撮りされた姿を見ていて、ふと思い出した人がいます。いわゆる他人の空似です。

よくよく考えれば名前も知らないのですが、タヒチ・ボラボラ島のホテルで出会った彼のことを、私たちは「王様」と呼んでいました。

お断わりしておきますが、「王様」と呼んでいた彼とは一言も話していません。私たちが彼の名前を知らないのも最もなことだと理解頂けるでしょう。

ただはっきりしていたのは「王様」が日本からやって来た新婚さんであったことです。「王様」とは言葉を交わしていないのに、どうして新婚さんであるとわかったかというと、「王様」がホテルで結婚式をあげていたからです。

それはたった二人の結婚式でした。タヒチでの結婚式と聞くと、青い海に面した白いかわいいチャペルを思い浮かべるのですが、「王様」のあげていた結婚式はこれとはまったく別ものでした。

ホテルはモツという小島に建ち、コテージの宿泊客以外は立ち入ることのできないプライベート・ホテルでした。モツには、上るとオテマヌ山の眺めのよい丘がありました。私たちは夕陽を見るためにその丘に上ったとき、結婚式に望もうとしていた「王様」と出会ったのでした。というか、今まさに始まろうとしていた奇妙な結婚式に遭遇し、好奇心から式の進行を見物したのでした。

○+→ PRINCE IN HAWAII ←+○

2005-05-11 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
タワーレコードで殿下の写真集を発見。それもイン・ハワイ。日付は 2003年12月とあるから、Tomotubby が Big Island、つまりハワイ島に遠征していたときではない!?。オアフ島ホノルルでコンサートしていた生殿下を拝めず涙を呑んだのでした。(そしてどうでもいいですが、その頃、松浦亜弥がファンを引き連れてオアフ島を訪れていたのでした)


AN INTIMATE PORTRAIT OF AN ARTIST

そういえば、プリンスは、Tomotubby のスーツケースが一泊していたミネアポリスの出身。ペイズリーパーク・スタジオもこの街にありました。アルバム「Parade」の中に「Sometimes It Snows In April」というバラードがあり、ミネアポリスでは時々4月に雪が降るようですが、今年は5/1日、5月になっても雪が降っていました。

こんな歌詞です。

Tracy died soon after a long fought civil war,
just after I'd wiped away his last tear
I guess he's better off than he was before,
A whole lot better off than the fools he left here
I used 2 cry 4 Tracy because he was my only friend
Those kind of cars don't pass u every day
I used 2 cry 4 Tracy because I wanted to see him again,
But sometimes sometimes life ain't always the way...

Sometimes it snows in April
Sometimes I feel so bad, so bad
Sometimes I wish life was never ending,
and all good things, they say, never last

Springtime was always my favorite time of year,
A time 4 lovers holding hands in the rain
Now springtime only reminds me of Tracy's tears
Always cry 4 love, never cry 4 pain
He used 2 say so strong unafraid to die
Unafraid of the death that left me hypnotized
No, staring at his picture I realized
No one could cry the way my Tracy cried

Sometimes it snows in April
Sometimes I feel so bad
Sometimes, sometimes I wish that life was never ending,
And all good things, they say, never last

I often dream of heaven and I know that Tracy's there
I know that he has found another friend
Maybe he's found the answer 2 all the April snow
Maybe one day I'll see my Tracy again

Sometimes it snows in April
Sometimes I feel so bad, so bad
Sometimes I wish that life was never ending,
But all good things, they say, never last

All good things that say, never last
And love, it isn't love until it's past

ラパ・ヌイは地球の縮図か?

2004-10-08 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
10世紀から続いたモアイの制作は、17世紀のある時期を境にしてぴたりと止められる。閉ざされた島の自然が人々の食尽と森林資源の蕩尽に応えられなくなったとき、飢餓が人々を襲い、もはやモアイ作りどころではなくなったのであろう。モアイ派と反モアイ派の権力者間で内戦が起こり、権力交替の末に、夥しい数のモアイが犠牲となって倒されたに違いない。その後、島民人口の激減によって島は再び均衡を取り戻す。しかし、その均衡は所謂、縮小均衡である。島の生態系が閉ざされている限り、再び豊かな自然は戻らない。

人類はこの教訓めいた島の歴史を再び繰り返しているように思えてならない。それも終焉に向かって遥かに大規模に。地球の人口は、産業革命以来、幾何級数的に増加している。そのうえ人類は、石油を初めとする天然資源を、かつてない恐るべきスピードで、地球規模で蕩尽しようとしている。資本主義の経済システムの中で、様々なプロモーションに煽られ、欲望のままに、刹那的に、象徴的消費を続けるその姿は、やがてカヌーが作れなくなることを忘れ、より巨大なモアイを作ることに熱中した姿、挙句の果てに飢えに直面したラパ・ヌイの人々に似てはいないか?

地球という「大きな陸地」にあって、ラパ・ヌイは絶海に隔てられ孤立した面積僅か166km2の小島に過ぎないが、銀河系宇宙を海に喩えてみれば、地球もまた大海のはずれに顔を覗かせる小さな嶼、岩礁に過ぎない。島民はカヌーを作ることが叶わず海を渡るのを諦めたが、人類もまた地球を捨てて外海に出て行くことはできない。地球はラパ・ヌイと同様に閉ざされているのである。

皮肉なことにラパ・ヌイ(Rapa Nui)とは「大きな陸地」の意なのである。

つづく