モアイの親善大使が縁なのか、今でも日本人はモアイに惹かれ、この島を訪れる旅行者の多数派である。日本のとある企業は島に立派な博物館まで寄付している。日本から帰還したモアイは今では修復され、島の東南の荒涼とした海岸を背に佇んでいる。彼は聞いていたよりずっと小ぶりで、「子供のモアイ」とでも呼びたくなるような、何か頼りげな顔つきをしている。それは、この像の背後に、アフ・トンガリキと呼ばれ、15体もの大型のモアイが立ち並ぶ島内最大規模の遺跡があるせいかもしれない。アフ・トンガリキのモアイたちは、チリ地震の際、遠く日本までも被害をもたらした津波でばらばらに倒壊したのだが、近年、日本のクレーン・メーカーの協力のもと修復されている。
アフ・トンガリキ。モアイは海を背にしている
つづく
アフ・トンガリキ。モアイは海を背にしている
つづく
モアイって、墓石ではないでしょうけど、苦労して切り出して運んで何のために使ったのかは、はっきり判っていないようです。
島にモアイ派と反モアイ派の二大勢力が存在し、争った結果、反モアイ派が勝って、その際に立っていたモアイを倒し、以降モアイの製作も行われなくなったらしいです。ということから、モアイは何らかの権力の象徴だったのではないかと思います。
よく誤解されていますが、殆どのモアイは海を背にして内陸を向いています。このことからも、島の外から来るものに向かって何かをアピールするのではなく、島民に向かって何かをアピールするために立てたのだと思います。
モアイは、そうなんですね。
海に向かって建てられているとばっかり思い込んでました。
そういえば、宮崎のモアイも海に背を向けていますね。
Tomotubby は、モアイが海の向こうを想うために立てたのではなく、むしろ島に棲む者に何かを示すために立てられたのではないかと感じました。
ブロンズニストttさんのコメントにあるように、海の方を向いている、島に向かってくる人を見ているのだとばかり思っていました。
>むしろ島に棲む者に何かを示すために立てられたのではないか
モアイは海の方からやってきたという設定なのでしょうか。
近くでいいので旅行に行きたい。
イースター島を見つけて、嬉しくなって
TBさせていただきました。ついでに台湾・九分も
TBさせてもらいました。
>モアイは海の方からやってきたという設定なのでしょうか。
モアイ派は耳を長くしていたそうで、
モアイは彼らの権力の象徴だったのかも
しれません。モアイ派が権力闘争に負けたあとで、
モアイは引き倒されているのも頷けます。
九分は成田から四~五時間くらいでいけますが、
イースター島はアクセスの不便さから言っても、日本から最も遠い場所のように思えます。ともたびも、もう一度行くことがあるかどうか?