拓庵思考~妻との日々・映画と音楽の毎日

巴座ホーム社長の私的なつづれ織り【妻にだけ弾くギタリスト 猫6人の父になる】

夕日の海

2012-11-28 00:06:53 | 日記・エッセイ・コラム

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『夕日の海』....小学生の時の秋の書道大会のお題だった。私の作品は大賞をとれなかった....会場はSKE48の『KISSだって左利き』のPVに使われた遺愛女学園だった。10歳くらいだったのだろうか....そして52歳の冬が来る前の夕日の海。

064ボードを持って海を見ている青年は寒さで震えていた。撮影リハーサルのために大洗サンビーチの近くの浜に降り立った...空は赤く染まり、灰色と赤のグラデーションの帯が風に流れていく....波は静かだった。とてもとても静かな海だった....

『来てよかった....』私は海を...空を..見て心が震えた。唇はあけなかった。口をキッと閉じていた。それでも冬の前の潮風が肺に入ってきた。

私はハコダテのハマ育ちだ。津軽海峡を見つめて暮らしていた18歳までの私は海を恋しいとは思ってはいなかった。川越、小金井、高崎と海のない人生だった...
今、私とサーフボードを持っている青年の前に静かな海が広がっている。私はこの青年の最初で最後になるであろう家を建てる。私は建築家でもある。そしてこの青年とサーフィンをやろうと思ている。彼は無名の私を選んでくれた。私は全力で彼の家を創造する。海のない群馬県の館林市に海を感じる家をつくる。私たちは建築家とクライアントの関係を超越している。目には見えないが真っ赤な夕日のような...紅葉のような....真っ赤に燃える信頼関係で結ばれている。

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 春が来たら彼と海に行く。サーフィンをしたり撮影をしたり....きっと素晴らしい時間になるだろう。

笠間の日動美術館が営む春風萬里荘には海の前に立ち寄った...樹木の彩はすさまじい。赤く染まり...黄色に染まり....わたしたちの目をくぎ付けにした。

魯山人の偉大なる居宅をあとにして夕日の海にやってきた。寒さに耐えてサーフボードを小脇にかかえて浜辺に向かって歩く彼の姿は間違いなく海の男だった....

夕日の海。冬が近い静かな海.....忘れられない想いでが心に刻まれた...

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美味求心の小さな旅と音のごちそう

2012-11-26 01:37:34 | 日記・エッセイ・コラム

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うなぎの中にうなぎ....これは『2012年我が家の美味しいモノ002・オブ・ザ・イヤー』に輝く沼田市は材木町に日夜香ばしい匂いを排出している
『網元』さんの『かさね』という二段重ねうな重である。写真を見ていると本当によだれが出る。古今東西うな重は多々ありかもしれないが『キング・オブ・うな重』は『網元のかさね』である。お値段はいまどき4700円!!と超破格値だ。口の中でとけるぶあつい炭焼きうなぎが連続波状攻撃を繰り出してやまない。口のなかから舌の上へ...のどを通るときは味覚の渦に溶けていく自分を制御できない。息子と私、妻....満場一致での『2012年美味しいもの・オブ・ザ・イヤー』に選出させていただいた。

035榛東村に鎮座する上州の至宝『夢や』の珈琲も今年もまた何度となく私たち夫婦に至極のときの道案内をしてくれた。

夢やのストーブに火が入っている。高性能のストーブは広く天井が高い夢やの隅々まで火でなければ味わえない暖かさで店内を、その上質なスピーカーから放たれる音学とともにつつみこんでいる。

紅葉の榛東村で上質の音楽を聴きながらいただく珈琲、近所に住むえっちゃんがつくる美味しいケーキ、ママが一年中半袖で焼くピザで今年も何度も幸せになれた。夢やの珈琲はコーヒー道で語ってはいけない。一杯の珈琲は『偉大なる場所』夢やの拝観料でもある。

関東広しといえど、この榛東村夢やの空間・景色・調度品・演出・雰囲気・音....に勝てる店はそうないはずだ。今年もたくさんゲストを連れて『夢や詣り』をしたが夢や参拝客はみなさん満足をしていただいている。

夢やでは私はよく珈琲のお変わりをする。ボブ・ディランのアルバムの中でも私が1番好きな『欲望』の中に『コーヒーもう一杯』という曲がある。

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夢やで珈琲をおかわりするたびにこの曲が頭にうかぶ。そして71歳になったボブ・ディランはNEWアルバムを出した。

Jk_tempestアルバムタイトルは『テンペスト』という....かなり人間が丸くなったであろうボブ・ディランは相変わらずのフォーク・ロックはまだ買ったばかりで聴きこみはしていないが世界中で売れると確信する。

私が小学生のときにすでに神様のような存在感があったボブ・ディランだが52歳になった私が聴く71歳のディラン。

私は生きているうちに沼田市材木町の網元さんに何回通えるのだろう....榛東村の夢やもあとどれだけ通うことになるのだろう....永久欠番のこの二つのお店は我が家の『美味求心』の究極の世界だ....

ドナルド・フェイゲンも新しいアルバムを出した。もちろん買った。11月28日には星野源の4thシングル、ミスチルの新しいアルバムもリリースされる。美味求心の小さな旅と音のごちそうを味わうドライブ・リスニング.....私と妻のもっとも好きな時間の使いかたである。

 


美しい東京

2012-11-17 21:29:20 | 日記・エッセイ・コラム

東京は秋の色にそまっている。黄色、紅色、茶色.....とても素敵だ。008

先週は息子と代官山、恵比須、原宿、池袋を探訪した。来年、息子は世田谷の大学に通う。おそらくは世田谷界隈の住人になるのだろう。私は大学時代は川越市といっても鶴ヶ島よりの小さな町に住んでいた。東武東上線で池袋に着くとやっと東京を感じたものだ....

私は大学時代にひとり東京散歩を楽しんだ。青山、代官山、銀座がとくに好きだった。大学時代キャンパスでは少林寺の黒の礼服(チャイナ服)を身につつみ坊主頭で闊歩していたが、年ごろだったのか都内に来るときはトラッド系のニットキャップをかぶっていた。テイジンメンズショップ、ブルックス・ブラザース、SONYプラザ、ヒルサイドテラス.....LLビーンのハンティングシューズを履きCPOを着てよく歩いた....

012昨日、新宿の摩天楼を見上げた。妻と良く新宿の都庁駐車場に車を止め散歩をする。めったにビルを仰がない....ふと息子の顔が浮かびビル群を見上げた。

息子は東京の都会でこの光景を見て4年間暮らす。東京は美しい。私は東京が大好きだ。できたら東京に住まいを移したいくらいだ。仕事場もできたら都内に移したい.....

明日、世田谷にある妻の両親のお墓まいりに行く。偶然にも息子も世田谷の大学に進む。私は世田谷のお隣の調布市つつじヶ丘の叔父の浄土真宗のお寺の離れに数か月住まいしたことがある。深大寺にもよく自転車に乗って出かけたものだ。東京は美しい。大学時代にもそう思っていた。

大学時代が終わり函館に帰ったが東京や関東が恋しかった...函館の海辺で川越に住む妻のことを想い悶々としていると東京に転勤のチャンスがやってきて私は小金井に住んだ。職場は府中にあった。妻と再会できた喜びは一瞬で...サラリーマンがいやになり....そんな頃、色づいた秋色の原宿を妻と歩いた。

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会社に嫌気がさしていた春の日に渋谷で結婚式をあげた。結婚式当日は赤坂に宿泊して翌日から新宿副都心と呼ばれていたころのセンチュリー・ハイアットに連泊した。

昨日もセンチュリー・ハイアットの前を歩いた。黄色や紅色の葉っぱのじゅうたんが美しく。NSビルでの仕事を終えてからもしばし歩いた。

摩天楼のすきまから太陽の陽射しが美しい東京に輝きを添えて....それは美しい風景だった。息子が見上げるこの都会の空もまた青く美しい。

私も18歳で関東の住人になった。関東の住人である息子は東京人になる。52歳になる私と50歳になる妻は、きっと明日も新宿の街を歩くだろう....美しい副都心の風景の中きっと妻は「きれいねェ....」と秋景色の都会の色を楽しむことだろう....

夕暮れから夜になる刹那の豊洲から築地に向かう景色もため息が出るほど美しい....

東京は美しい。これからも妻とかぞえきれないほど東京のまちを歩こうと思う...


美味しいもの

2012-11-09 17:26:57 | 日記・エッセイ・コラム


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こぼれんばかりの海の幸がほくほくに揚がっている。
沼田市の知る人ぞ知る『網元』の人気メニューだ。『網元』さんは、うなぎも絶品で高崎から沼田まで高速を飛ばして網元さんのうなぎを食べに行くときは至福のときだ。

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網元さんとは古いつきあいだ。私が建築家になる前のアパレル時代の大切なお客様だった。網元さんも高速を飛ばして高崎の私の店に足しげく通っていただいた。

息子が大学に決まったのでやっとみんなで沼田に行ける。私と妻は『網元』さんに行くのが待ちきれなくなりランチタイムにこの海鮮丼を食べにいった。
美味しくて美味しくて....もう感動ものだった。
息子には約束している4700円の二段うな重を味わってもらうが、きっと「うんめえ~!!」を連呼して食べることだろう....

おいしいものを食べるのは幸せだ。私と妻は高速道路のSAの食事処で美味しいものと出会ってきた。010最近では越後川口SA下りのたかべんさんの経営する食堂のそばのようなうどんが美味だった....

越後川口SAは上りの食堂のへぎそばと天ぷらも絶品だ。
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新潟は景色がいい。関越道をドライブしていると心と右脳にデザインのスイッチがはいってくる。

魚沼産こしひかりなど日本語のひびきも実にいい。写真のメニューは越後川口SA下り線のものだが、おもしろいもので私の家の近くのだるま弁当で有名な『たかべん』さんの経営だった。

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あと妻と都内でよく食するのは、有名な『牛たんの ねぎし』だ。妻は牛たんと麦めしとろろを美味しく食べるが、私はねぎしの鶏グリルや煮込みハンバーグが好きだ。

新宿や銀座で、ねぎしに入ると女性のひとり客をよく見かける。ほとんどの若い女性は、麦飯のおかわりをして美味しく美味しく元気に食べている。

息子と近日中に東京ラーメンツアーに行く。息子はラーメングルメで高崎市内の美味しいラーメン屋さんの店長たちと懇意にしているらしい。『かもん』『だいだらぼう』などという店ではそうとう顔が利くらしくて「いこうよ」と頻繁に誘うので、私ひとりで『かもん』という店のつけ麺を食べに行ったが、なるほど息子の熱弁をリカバリーするたいへん美味しい美味しいお店だった。

私と妻は新宿か上野の『光麺』というラーメン店にもリピートしている。夏場の冷やし担担麺は本当に美味しい美味しいラーメンだった。

ケーキの店、パスタの店....あげたらきりがない美味しいものたち。日本は良い国だと思う。

コンビニのスイーツやサンドイッチも本当に美味しい。私と妻は、やっと子育てから解放される。妻の塾と私の事務所を同じ場所に新しく建築する計画も浮上しているが、ふたりとも夜まで仕事をしているので息子が大学に行ったら毎日外食でもいいと思っている。「美味しいものは外で」これは妻の格言だ。

私は自分のお客様の家には豪勢なキッチンをつける。妻には新作のストーブを買ってあげるつもりだ。妻のストーブ仕込みの煮物は美味しい....秋から冬になってきた。妻の美味しい美味しいストーブことこと煮込み料理の季節になってきた。私はお酒は飲まないのでもっぱら午後の紅茶でいただく。......ああ...よだれがでてきてしまった....美味しいものはよい。


May The Force Be With You

2012-11-02 21:19:05 | 日記・エッセイ・コラム

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『スター・ウォーズ』を最初に観たのは巴座だった。高校1年の秋の遠足をさぼって観た記憶がある。

ショックだった。この年はスピルバーグ監督の『未知との遭遇』の公開もあり、私の衝撃と興奮の日々は毎日繰り返された。『燃えよドラゴン』を観た小6から中1になる春の日の衝撃第一波。『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』を観た高校1年の秋.の第二波....ショックはしばらく続いた....その後『帝国の逆襲』『ジェダイの復讐』も封切りで観たがショックを受けることはなかった。

次のショックはやはりスピルバーグ監督とルーカス・フィルムの『ジュラシック・パーク』までなかった。その後『エピソード1 ファントム・メナス』が公開されて私は10回、息子(当時は、まだ保育園児)は9回、長女と次女は6回くらい伊勢崎市のムービックス伊勢崎に観にいった。当時ペプシコーラとのタイアップもあって我が家は本当に盛り上がった。

写真はポッドレースの前にリーアム・ニーソン演じるクワイ・ガン・ジンがダース・ベイダーの幼少時のアナキン少年に「メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユー」というセリフの場面だ。ジョージ・ルーカスの演出は、いまいちなのだがこのエピソード1は私はかなり気にいっていてスター・ウォーズの6作では一番好きだ。

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(サー)アレック・ギネス演じるオビ・ワン・ケノビが公開当時「理力の守りあれ」と日本語訳でスクリーン下部に黄色い文字で書かれたとき...「理力ってなんだ?」と思ったが、なんとなくぼや~ッとわかったフリをしたものだ....

昨日からマスコミを賑わしているルーカス・フィルム売却の話しだが....私はたいへんうれしい。ディズニー・ランドのアトラクションのスター・ツアーズですでにコラボしているではないか。

ジョージ・ルーカスは「エピソード7.8.9は作らない」と公言していた時からこの日を待っていた。ルークの役やレイア姫、ハン・ソロを誰がやるんだろう....演出は誰?考えるときりがない。

16歳から熱狂的に好きなスター・ウォーズ。55歳になったらついに7作目、57歳で8作目、59歳か60歳で9作目を観れると思うと心が高ぶるではないか.....

函館巴座で観た1作目,2作目。函館スカラ座で3作目。
4作目と5作目はムービックス伊勢崎。6作目は高崎109シネマだった。だがやはり函館の巴座で観た日の衝撃ははんぱじゃなかった。

よし決めた!!エピソード7はアメリカ本土で先に観る!!決めた!!
ああ....興奮してきた。そして私はジョージ・ルーカスに言いたい「メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユー」と....

May The Force With You~理力(フォース)があなたと共にありますように~