私は昭和の忘れ物である。
令和の世の中は私にはあっていない気がする。たしかにSNSや科学・技術の進歩は目覚ましくたいへん素晴らしい側面もある。
ハイテクノロジーで構成された高性能住宅を提供する私の会社【CAFE HOUSE 巴座ホーム】は暖かく寒い冬にはその恩恵を受ける。
そのデザインの本丸でもある巴座ホーム本館が、昭和色を濃くして生まれかわった。
私の部屋に東宝特撮怪獣映画のバイプレーヤーたちが仲良くくらしている。
【キングコングの逆襲】のメカニコングやゴロザウルス。【ゴジラ対ヘドラ】のヘドラ。【ゴジラ対メガロ】のジェット・ジャガー。【ゴジラ対ビオランテ】のビオランテ....東宝怪獣たちは脇役たちがいい。写真のフィギアは息子がプレゼントしてくれた。息子は吉本所属の芸人【頑張るかつやま】という。息子に買ってあげた怪獣フィギアたちは巴座本館の私の部屋で今でも元気に暮らしている。
昭和30年~40年代の函館の街並みには封切り映画の宣伝看板やポスターがあちらこちらにあった。現在の函館は封切り映画館が無いという.....
私の住む高崎市は大型商業施設内で複数の映画が毎日上映しているが、あまり足が向かない。
小学校の記憶で函館の歴史地区の十字街で観た【サンダ対ガイラ】の宣伝看板は衝撃でいまでもはっきりお覚えている。
函館の小学校の夏休みは短い。7月24日が終業式で8月19日には休み明け登校していた。
そして1971年(昭和46年)の7月24日は【ゴジラ対ヘドラ】の映画の公開日だった。
私は母にねだり東宝チャンピオンまつりのメイン作【ゴジラ対ヘドラ】を連れて行ってもらった。
本作品は円谷英二監督の没後に初めて作られたゴジラ映画であり、シリーズの新たなスタートとなった作品でもある。独特の作風によりシリーズでも最も異色の作品となっており監督は坂野義光、脚本は坂野監督と馬淵薫。当時のサイケデリックブームメントの匂いもする、いわゆるコアな作品である。
母は上映がはじまるとすぐに寝息をたてた。この辺が文化人ではない一般人で怪獣映画や子供映画は大人が真剣に創っていることを軽んじている。
公害やヘドロ問題に切り込んだ作風は失礼ながら空回りしていて、10歳の私が観ていて『痛いな....これは.....』と思ったことをはっきりと記憶している。
ゴジラが尻尾を前腹に折込み放射能光線を逆噴射して飛行する場面も『わ...あ。こんなことしなきゃいいのに...』と、憐れんで観ていた。
そして私は昭和の映画看板を制作したくなった。
昭和レトロな巴座ホーム本社本館は昭和の匂い漂うので前面の掲げる看板も昭和特撮怪獣看板にこだわってみた。
今回の看板は、構想・デザインは私が行い、入力は当時在籍していた優秀な山田翼くんが担当した。
撮影は巴座本社近く、高崎アリーナ前、観音山などで行われた。山田翼君は「みんなが見て、ちよー恥ずかしいです」、次女は「あごが痛い....」と苦しんでいた。ま、「あ!怪獣だ!」と大きな口をあけさせて何枚も写真を撮ったので当然か....
山田翼くんには感謝したい。二週間以上かけてフォントや構成をやりなおしたので完成作は自信作でもある。
これを『新春大ロードショー』として年賀状にもした。
スタッフには感謝感謝である。
私の部屋には大映怪獣の至宝【大怪獣ガメラ】。松竹映画の黒歴史の怪獣映画【宇宙怪獣ギララ】。昭和東宝怪獣映画の最高傑作【モスラ対ゴジラ】のポスターが展示してある
先日亡くなったジェフ・ベックの【ブロー・バイ・ブロー(購入当時の邦題は【ギター殺人者の凱旋】)、【BBAライブ・イン・ジャパン】、トム・ダウドのプロデュース作品の不人気作エリック・クラプトンの【安息の地を求めて】のレコードをはじめ昭和の名作レコードも展示してある。
私の部屋から信号待ちの車の運転席がみえるが、この【SDGs防衛隊 対 シン・ヘドラ】の看板を見て笑ったり、ニヤケたり、驚いたり......不思議な顔をしているのが面白い。
人生一度きり。私は笑われてなんぼ。面白い人生がいい。
63歳を目前にして私の頭の中は、ますます面白くなってきている。
私は昭和の忘れ物なのである。
【SDGs防衛隊 対 シン・ヘドラ】 完
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