拓庵思考~妻との日々・映画と音楽の毎日

巴座ホーム社長の私的なつづれ織り【妻にだけ弾くギタリスト 猫6人の父になる】

さすがっすね~映画『Tommy』とCD『私を鬼が島に連れてって』

2014-11-20 21:11:21 | 日記・エッセイ・コラム

高校時代。家に帰るなりフェルナンデス社のエレクトリック・ギターのストラトキャスターを持ち、アンプに電源を入れ爆音で弾きまくると、部屋のガラスがビリビリするのが快感で、近所迷惑は無視して夕方はギターソロの恍惚の時間だった。

母が何か叫んでいる....「あんた!電停まで聞こえてるよ!やめなさい!」と声を荒げている。私の家の、最寄の市電の停留所の『駒場車庫前』までは、そこそこの距離なのだが...私のかき鳴らすギターサウンドがはっきりと響いている...と、母はいう.....まあガラスがビリビリするくらいだからな....なんて思い出しながら、光テレビの録画の『Tommy』を観た。1976年日本公開のザ・フーのロックオペラで当時随分と話題になったものだ。

最初はジョージ・ルーカスにオファーがあったらしい。でもルーカスが撮っていたらケン・ラッセル監督の狂気の世界観や冒頭の湖水地方のシーンはなかったと思う。面白いのはカルト教団の伝道師役のクラプトンがギブソン社のレス・ポール(写真のギター)だけで出演していると思っていたが、ブラッキー(フェンダー社のストラトキャスターのこてこてシミ付き)を持っている場面もあったことだ。共にクラプトンの名器たちなので観ていると興奮してしまった。LSDの注射を持って歌いまくるティナ・ターナーが最高に面白いのだが、妻がおもわず「さすがっすね!」とコメントしたのが面白かった。

エルトン・ジョンのシングルカット曲の『ピンボールの魔術師』の前で再生を停止してベッドに入ったが、ちょっとの間興奮してしまった。耳に入ってくる音楽のうちキーボードセクションが時代を反映している。ニッキー・ホプキンスやクリス・スタントンのシンセサイザーや電子オルガンがすごくいい。中学生の頃に初めてELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)を聴いて興奮した感覚の一駅前って感じだ....

次の日の今日のこと「さすがっすね」と思うCDがあり、注文した。

【水曜日のカンパネラ】のアルバム『私を鬼が島へ連れてって』の『桃太郎』がラジオから流れて偶然聴いてしまった。FM群馬の午前の番組だったのだが、【松崎しげる】の『愛のメモリー』のギターソロがまず耳に入り...誰が弾いているんだ....と、思っていたら『桃太郎』が流れてきた。コンピューターの打ち込みサウンドとは軽く言えない(バカにできない)歌詞の波状攻撃である。私が日本のアーティストのCDを買うのはめずらしいことではないが....電気グルーブともちがうヤラレタ感がいい。松本人志の『大日本人』を観た感じの後の気持ちによく似ている...というか....さすがっすね!といいたい。

今年も良くCDを購入した。先月はフュージョン・ギタリストのジャンルを10枚ほど購入した....今回は初の【水曜日のカンパネラ】と【小野リサ】を数枚(これは娘と孫を夜景ドライブに連れていくときのBGM)購入したが、必ずCDが届いたときは妻と深夜のドライブに出かける。

「さすがっすね」....妻がよく口にする言葉だが、最高の賛辞の言葉であり、私たち夫婦の公用語に定着した。

12月になると夜景を楽しむドライブの回数が増える。

すごく楽しみだ。

 

 

 


かぼちゃのおしるこ

2014-11-11 20:22:05 | 日記・エッセイ・コラム

妻とふたりだけで函館空港におりたった。意外なほど暖かく....拍子抜けした。

母が住む実家ではなく湯の川プリンスホテル渚亭に連泊予約をした。私の実家には目と鼻の先の立地のホテルだ。目の前が砂浜の海で、函館山も望める。そしてなにより函館らしい趣向のビッフェが人気だ。二年前に母に連れてきてもらった時から、妻や子供たちも連れてきたいと考えていた。部屋には海が目の前の露天風呂もついていたが、一度も利用しなかった....

さてプリンスホテル渚亭のビッフェだが、ほっけの刺身は前回も食べてみたが、さすがに函館ならではだ....いかの刺身もすごく新鮮でとてもホテルのビッフェとは思えない。かにはズワイの釜茹での他に、焼きタラバがにもあった.....なんと、いかめしもある。妻とふたり満腹になってから実家の母の顔を見に行った。

実家に帰るたびに懐かしさより郷愁のような思いになる。私はここで育った....という感慨深さと、老いている母への言葉にできない思いが交差する。それでも母はたいそう喜んで私と妻を迎えてくれた。妻が軽井沢のエディ・バウワーでニットのポンチョを母のために用意してくれていた。妻がそのプレゼントを渡すと、これまたたいそう喜んでくれた....そのほかに羽田空港で購入したスカーフも妻が渡した。

次の日、母を男子修道院へのドライブに誘った。はりきって待っていた母は、妻が送ったスカーフや、今年の母の誕生日に妻が送った革のポーチをさげてニコニコしていた。函館から昔の上磯町の浜辺を走りぬけると紅葉で彩られたトラピスト男子修道院に到着した。函館でこんなに素晴らしい紅葉を観ることになるとは思ってもいなかった。

母は足に障害を持っている。前回、姉と私で朝市に誘ったときは「足が痛いから行きたくない...」と言っていた。ところが私と妻が「朝市でうに丼を食べるんだ!」というと、シャキシャキとした感じで杖をつき先頭に立って市場の食堂へ案内してくれた。「母さんビール飲めば?」というと「うん。いただくワ」といって楽しそうに生ビールのグラスを空にした。

次の日も朝食後に母をたずねると「あんた。かぼちゃのおしるこ食べるかい?」と母....「えっ!食べる!」と私....函館では学校給食でかぼちゃのおしるこが出た....私のなつかしい思い出でもある。ただ母に作ってもらった記憶はない。母との会話の中で山梨県の至宝 ほうとうの小作のあずきほうとうに、かぼちゃほうとうのかぼちゃを入れて懐かしい学校給食の味を再現していると話したからなのか...ホテルに泊まっている息子に料理を作ってあげようと親心で思ってくれたのであろう.....

さて...冒頭の写真は松風町の棒二森屋デパート近くの美鈴コーヒー店で写した写真である。『函館 昭和ノスタルジー』という本のポスターだった。美鈴コーヒーは分煙されておらず煙草臭くてそそくさと退出したが、案の定 棒二森屋デパートの書籍売り場にこの本が並んでいた。すぐに購入して実家に向かい 例のかぼちゃのおしるこを待つあいだにページをめくると昭和初期の巴座の写真やチケットが載っていた。写真をめくるとカラーページで目立つのはミントグリーンのペンキで塗られた建物や工場、船.....さて帰りの飛行機まで、もう間もない...母がつくった かぼちゃのおしるこを食した....砂糖をおさえすぎていて濃厚な味ではなかったが....どちらかというと美味しくはなかった....でも私は「母さん。美味しいよ!」といって、妻の分まで食べようとさえ思った....

北海道をはなれてから関東で『かぼちゃのおしるこ』の話しをすると、関東の人はみな気持ち悪いといった表現の顔をしたりした。甘い栗かぼちゃと甘いおしるこのマッチングは絶妙で...私の大好物なのだが、現実はあまり食べる回数がない。まあ....たまに食べるからいいのかもしれない...

妻とふたりで来た函館....観光気分にひたる予定だったが....やはりここは自分が育った街で、実家がある場所だった....

母さん...また来るね...