拓庵思考~妻との日々・映画と音楽の毎日

巴座ホーム社長の私的なつづれ織り【妻にだけ弾くギタリスト 猫6人の父になる】

SDGs防衛隊 対 シン・ヘドラ

2023-02-03 16:08:27 | 日記・エッセイ・コラム

私は昭和の忘れ物である。

令和の世の中は私にはあっていない気がする。たしかにSNSや科学・技術の進歩は目覚ましくたいへん素晴らしい側面もある。

ハイテクノロジーで構成された高性能住宅を提供する私の会社【CAFE HOUSE 巴座ホーム】は暖かく寒い冬にはその恩恵を受ける。

そのデザインの本丸でもある巴座ホーム本館が、昭和色を濃くして生まれかわった。

私の部屋に東宝特撮怪獣映画のバイプレーヤーたちが仲良くくらしている。

 

 

【キングコングの逆襲】のメカニコングやゴロザウルス。【ゴジラ対ヘドラ】のヘドラ。【ゴジラ対メガロ】のジェット・ジャガー。【ゴジラ対ビオランテ】のビオランテ....東宝怪獣たちは脇役たちがいい。写真のフィギアは息子がプレゼントしてくれた。息子は吉本所属の芸人【頑張るかつやま】という。息子に買ってあげた怪獣フィギアたちは巴座本館の私の部屋で今でも元気に暮らしている。

 

昭和30年~40年代の函館の街並みには封切り映画の宣伝看板やポスターがあちらこちらにあった。現在の函館は封切り映画館が無いという.....

私の住む高崎市は大型商業施設内で複数の映画が毎日上映しているが、あまり足が向かない。

小学校の記憶で函館の歴史地区の十字街で観た【サンダ対ガイラ】の宣伝看板は衝撃でいまでもはっきりお覚えている。

函館の小学校の夏休みは短い。7月24日が終業式で8月19日には休み明け登校していた。

そして1971年(昭和46年)の7月24日は【ゴジラ対ヘドラ】の映画の公開日だった。

私は母にねだり東宝チャンピオンまつりのメイン作【ゴジラ対ヘドラ】を連れて行ってもらった。

本作品は円谷英二監督の没後に初めて作られたゴジラ映画であり、シリーズの新たなスタートとなった作品でもある。独特の作風によりシリーズでも最も異色の作品となっており監督は坂野義光、脚本は坂野監督と馬淵薫。当時のサイケデリックブームメントの匂いもする、いわゆるコアな作品である。

母は上映がはじまるとすぐに寝息をたてた。この辺が文化人ではない一般人で怪獣映画や子供映画は大人が真剣に創っていることを軽んじている。

公害やヘドロ問題に切り込んだ作風は失礼ながら空回りしていて、10歳の私が観ていて『痛いな....これは.....』と思ったことをはっきりと記憶している。

ゴジラが尻尾を前腹に折込み放射能光線を逆噴射して飛行する場面も『わ...あ。こんなことしなきゃいいのに...』と、憐れんで観ていた。

 

そして私は昭和の映画看板を制作したくなった。

昭和レトロな巴座ホーム本社本館は昭和の匂い漂うので前面の掲げる看板も昭和特撮怪獣看板にこだわってみた。

 

今回の看板は、構想・デザインは私が行い、入力は当時在籍していた優秀な山田翼くんが担当した。

撮影は巴座本社近く、高崎アリーナ前、観音山などで行われた。山田翼君は「みんなが見て、ちよー恥ずかしいです」、次女は「あごが痛い....」と苦しんでいた。ま、「あ!怪獣だ!」と大きな口をあけさせて何枚も写真を撮ったので当然か....

 

山田翼くんには感謝したい。二週間以上かけてフォントや構成をやりなおしたので完成作は自信作でもある。

これを『新春大ロードショー』として年賀状にもした。

スタッフには感謝感謝である。

 

私の部屋には大映怪獣の至宝【大怪獣ガメラ】。松竹映画の黒歴史の怪獣映画【宇宙怪獣ギララ】。昭和東宝怪獣映画の最高傑作【モスラ対ゴジラ】のポスターが展示してある

先日亡くなったジェフ・ベックの【ブロー・バイ・ブロー(購入当時の邦題は【ギター殺人者の凱旋】)、【BBAライブ・イン・ジャパン】、トム・ダウドのプロデュース作品の不人気作エリック・クラプトンの【安息の地を求めて】のレコードをはじめ昭和の名作レコードも展示してある。

私の部屋から信号待ちの車の運転席がみえるが、この【SDGs防衛隊 対 シン・ヘドラ】の看板を見て笑ったり、ニヤケたり、驚いたり......不思議な顔をしているのが面白い。

人生一度きり。私は笑われてなんぼ。面白い人生がいい。

63歳を目前にして私の頭の中は、ますます面白くなってきている。

私は昭和の忘れ物なのである。

           【SDGs防衛隊 対 シン・ヘドラ】  完

 

 

 

 

 

 

 

 

 


喫茶チャチャ登り

2023-02-02 15:50:18 | 日記・エッセイ・コラム

『ごめんください......』

『ごめんください......』 蚊の鳴くような声が階下から聞こえる。

『はーい』と階段の踊り場まで出て1階ホールを見るとオシャレな青年が立っていた。

 

『ここはカフェですか?』

『ああ.....』と、私は彼を見ながらほほ笑んで『ここは住宅会社なんだよ』と答えると青年は『ここで珈琲は呑めないのですか?』

と、笑顔と疑心暗鬼が混ざった複雑な表情で1階ホールのカウンターを指さしている。

 

『カフェではないけど珈琲呑む?』と私が笑って答えると彼も笑った。

黒コーデのアウトドアブランドをタイトに着込み、髪型もバンド系でかっこいい彼に『おもしろい家づくりの会社なんだよ。そのブランド名がCAFE HOUSEって言うんだ』とさらに説明してみた。

 

『カフェハウスってドアに書いていて...このカウンターで珈琲 呑めると思って..』

外を見ると彼はHONDA N-VANのカーキ色で来ている。

彼は何回も造作アートカウンターや巴座玄関ホールをワクワクした顔で眺めて納得した様子で帰っていった。

 

このブログ【拓庵思考~妻との日々・映画と音楽の日々】は2012年から書いているが、私の会社のホームページ内に移設してから書く回数が激減した。

今回も2021年9月24日以来の投稿になる。ホームページ内から気楽に書けるアプリができたgooブログに戻ってきたので、私も新鮮な気持ちで書き綴っていく所存である。

私ももうじき63歳になる。昨年は妻が心臓の病気になり巴座本館内の妻の営む研和田町教室が惜しまれながら終焉の時を迎えた。妻とふたりのための巴座本館だったので閉館も考えた。紆余曲折あり大幅なリニューアル工事を行い、昭和30年~40年代の函館色が強い建物空間になり新装開店した。

昨年、函館朝市内で十字屋珈琲の菅原氏と偶然にも出会いがあり、ともに【peeps hakodate】に紹介されたことでお話しさせてもらい、十字屋珈琲のカップも買わせていただいた。新装巴座本館内に架空の喫茶店を作った。名前は【喫茶チャチャ登り】。悪乗りして【函館十字屋珈琲】のカッティングシートのアクリル窓まで作った。

 

 

そしてpeepsのギャラリーも作った。peeps hakodateの吉田編集長にはINEで写真を送らせていただいた。

peeps hakodateは巴座館内に三か所に分けて置いてあり、さらに自宅横のショールーム兼BARにも置いてある。最新から6冊は私の仕事部屋のナイトラウンジカウンターに置いてある。

 

 

 

妻がいない巴座本館であるが私はここに通うのが楽しみになった。見どころはたくさん作ったので順次紹介していく。

住宅会社でもあるのでキッチンやお風呂、ドアや床、外壁も多数展示しているが普通じゃつまらないので面白く演出してみた。

函館色が強くレトロで、海を感じる仕掛けも施した。

私の部屋はレコードや怪獣のフィギアやギターに囲まれている。

私の部屋はお客様には普段案内はしていないのだが、ナイトラウンジと名付けられた高崎アリーナの夜のライトアップが素敵で日没が待ち遠しい。

 

ギターやレコード、CDは自宅にもたくさんある。

私は中学、高校から時間が止まっている。だから私の愛した1970年代の函館が恋しい。

次女が弊社の広報を担当していて巴座ホームのホームページを函館色が強いものに作り替えてくれた。

綴られている文章も私の思い出や普段語っていることをよく反映させてくれていてる。

これには心から感謝したい。

 

この..冬は寒い廊下を娘たちが息を吹きかけ暖かくしてくれた.....

断熱工事で暖かいのではなく、心が温かく感じるのだ....

 

再開した拓庵思考。これからもよろしくお願いいたします。

 

             【喫茶チャチャ登り】  完