拓庵思考~妻との日々・映画と音楽の毎日

巴座ホーム社長の私的なつづれ織り【妻にだけ弾くギタリスト 猫6人の父になる】

【ゴッドファーザー】を撮った街で

2021-02-26 18:19:18 | 日記・エッセイ・コラム

BIG RED (ビッグ・レッド)は田舎の町アナハイムにある。

30代にLAに行ったときはアナハイム・エンゼルスと呼んでいたが、現在はLA・エンゼルスと呼ぶ。そう。『ビッグフライ!オオタニ サーン!』が所属するチームのことだ。

HONDAの工場があるアナハイム。HONDAの新車がずらりと飾ってある。日本未発売の車も多く私は,後にこの日展示していたUSAアコードを購入した。

 

私の席は外野の最後尾。武道館のアリーナ席よりも急斜面。

 

 

何故私はアナハイムに行ったのか…..それは私も妻も大好きな映画【ゴッドファーザー】が深くかかわってくるのである….

 

 

 

私はパート2が一番のお気に入りである。

パート1は函館の映劇で観たのかな….巴座ではなかった。函館スカラ座だったかな….

 

 

2018年の8月。妻の学研和田町教室の夏期講習の予定にあわせて私も休みを取る。飛行機のチケットからホテルまで全て私が予約するので毎年1月か2月には夏の休暇日を決める。この前年はドイツ見聞旅だったし、その前の3年間はヨーロッパで【世界街歩き】の取材の見聞旅をしていたので2017年の冬休みからはアメリカ見聞の旅になった。ニューヨーク、LA、ラスベガス。すべてショービズの中心地でもある。音楽・映画・メディアは偉大なるアメリカの巨大産業であるし、私も大いに楽しませてもらっている。

 

この2018年の夏のLAの旅は映画スタジオ巡りとマッスルビーチとベニスのゴールドジムに行くことがテーマであった。アナハイムスタジオはナイターだったのでリトルトーキョーのホテルにお迎えが来たのは17時をまわっていた。でだ…私はこの少し前まで疲労してベッドで死んでいた…「パパ パパ もう起きなよ…」ベッドで目を開けると妻がすこしシラケた顔で座っていた。「あ。大谷くん観にいく時間だ。ゴメン ゴメン」と冷蔵庫に冷やしていたアメリカ製のエネジードリンクを飲みながら今日の日を振り返っていた….

 

この日は朝からパラマウントスタジオに行くので私はルンルンしていた。地図をガン見して妻にいいところを見せようとLAの電車や地下鉄や映画スタジオの地図を頭にたたきこんだ。LAに来て二日目に悟ったことはLAはタクシーがまったく拾えないということだった。前回LAに来たのは20年位前だったで様変わりしているダウンタウンの様子も新鮮だった。リトルトーキョーのアムトラックの駅からユニオン駅までは遠くない。ターミナル駅なのでアムトラック、メトロリンク、メトロレールが乗り入れている。ユニオン駅で撮影した有名な映画は【レインマン】である。

雨が降らないので券売機の周りはホームレスのオシッコの匂いがきつい。

妻は写真を撮る私の写真をたくさん撮る。ユニオン駅は高低差があり長い。

【レインマン】の撮影されたユニオン駅の場所

この日は妻は朝からお腹の調子が悪く何度もトイレに入り、この後トイレで緊急下車もした。

レインマンの有名なシーン

 

 

パラマウントスタジオの最寄りの駅で下車する前に妻が下痢らしく小さな駅で降りた。メトロは地上に上がるまで時間がかかる。妻の顔は真っ青だ。スコーンの店に入ると妻の形相を見てそれを悟った黒人の若い女性店員が「トイレ?OK!」とトイレの番号のメモをくれた。親切な人は地球上たくさんいるものだ。妻の長いトイレタイムの間、店員さんに御礼を述べアイスティーをオーダーし呑んでいると、トイレだけ借りにきた人にその店員さんは「NO!」と言い店から追い出した。トイレから出てきた妻に「大丈夫?次の駅おりたらパラマントスタジオだからね」「駅から近いの?」「うん。地図では近いみたい」。私の頭の中には昨夜たたきこんだ駅からパラマウントスタジオのイメージが何回も浮かんでいた。

 

自信満々おりたった最寄りの駅から歩いていく前に地元のお兄さんに「すみません。パラマウントはこっちの方向ですよね?」と聞くと「え?そうですが、すごく遠く歩いていくのは厳しいですよ」と心配されてしまった….結局タクシーで行くことになるのだが全くタクシーが走っていないのである。予定が狂った私は焦りとジリジリ照るLAの太陽で汗が吹き出しすぎて軽い脱水症状になっていった….この段階で個人タクシー配車サービスのUber(ウーバー)やLyft(リフト)の存在を知らなかったのだった….やっとの思いでタクシーに乗り中国系のおじさんの運転手がパラマウントスタジオもにおろしてくれるのに10分はかかった。私の脱水症状はかなり進んでいて体力も気力も無くなっていた……運転手さんが遠い場所に停めたので、またもや、たくさん歩き受付に行くと、夕方まで満員で入場できないと言われ…予約制だったこともその時知ったのだった….

パラマウントスタジオ。この奥で【ゴッドファーザー】が撮影された。

帰りのタクシーを呼ぶ間、パラマウントスタジオ近くの住宅地を取材した。

雨は降らないLAだが、この高級住宅地は瓦屋根が多い。日本でい言うところの『ヨーロッパ風建築』がほとんどだ。

 

 

夫である私の精神と脱水の疲労を察した本来リーダーシップのある妻はスタジオの管理人室に行き翻訳アプリを駆使してタクシーを手配した。この翌年の5月パリでも妻はグーグルマップを駆使して道に迷っている私にピカソ美術館を見事に案内してくれた。パリのホテルでも翻訳アプリを駆使して会話で盛り上がっていた….私はいまだにSNSをやっていない。興味もない。だから映画や音楽は詳しくてもLAのUberも知らなかった。ホテルでいつも地図をガン見して覚えるのは備えとしては善いが得策ではないと今は理解している。妻は毎月のように行く銀座や都内の道もいまだに覚えない。私はソウルやイギリスや、パリ、ニューヨークで地図を見ないで歩ける。でも妻はハイテクを駆使して結果を出す。性格が良いので私をバカにしない。そんな私と妻の珍道中見聞の旅はいつも凄く楽しいのである。

 

 

明日Amazonがこの映画を届けてくれる。タイトルは【ゴッドファーザー マイケル・コルレオーネの最期】

 

 

 

CODAとは最終章の意味である。コッポラ監督が自ら再編集して7分長くなり、オープニングも全く【ゴッドファーザー パート3】と異なるそうだ。主演のアル・パチーノ曰く『やっと バチっとはまった』だそうな。これはヤバい。失敗作と酷評されたパート3が新作として観れるのである。私はこの作品は嫌いではない。アメリカの政治と宗教界の裏が見えて面白いし、役者陣は素晴らしい。少なくとも同じコッポラ作品の【地獄の黙示録】の上映版よりは数倍評価している。

 

 

ゴッドファーザー パート3の一場面。当時のフィルムの色が良くない。

ゴッドファーザー主要メンバーとコッポラ監督の2017年の記念撮影。デニーロがただの爺さんでかっこ悪い。ダイアン・キートンはおばあちゃんでも綺麗だ。

 

 

そしてついにパラマウントスタジオの最高傑作絵巻【ゴッドファーザー】の制作裏話が映画化される。コッポラ監督役をオスカー・アイザック(駄作【スター・ウォーズ エピソード7・8・9】の主要メンバー)が演じる。監督は【レインマン】のバリー・レヴィンソン。これは期待できる。フランシスフォード・コッポラ監督が公認しているそうだ。当時不遇でヒットの無いパラマウント映画に天文学的なヒットと世界中の映画賞をもたらした【ゴッドファーザー】と【ゴッドファーザー パート2】の今では信じられない裏話が描かれるらしい。当時のパラマウントはマーロン・ブランドやアル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロの出演を反対していたらしい。しかもあの血だらけの馬の首はシーンは本物の馬だったとか…..

似てなくもないが…まいいか….オスカー・アイザックは嫌いではない。

撮影では頬っぺたにパンを入れていたブランド。のちに【スーパーマン】でカルエル役を演じて笑った。

左のジェームズ・ガーナーの長男役が最高に好き。【ゴッドファーザー】はブランドとガーナーと弁護士トム役のロバート・デュバルがとにかくイイ。

【レインマン】の私の好きなシーン。ダスティン・ホフマンは【パピヨン】のドガの役がすさまじい。

 

 

結局この2018年8月にパラマウント・スタジオには入場できなかったが二日後に車とチケットを手配してワーナー・スタジオに行った。なんと帰りのお迎えはリンカーン・コンチネンタルのロングでリムジンのようだった….クリストファー・ノーラン監督の【ダークナイト】のバッド・モービルに乗りカーチェイスのCG合成撮影もこなした。この話はまた後日書かせていただく。ビッグ・レッドでメジャーリーグを体験した妻はミーハー黒帯有段者ぶりを発揮してファンでもないのにその夜だけはエンゼルスファンで大谷ファンになっていた。次の日サンタモニカに着き買い物を始めるとエンゼルスのことはすっかり忘れ、エンゼルス・ショップでたくさん買った大谷さんグッズは全て娘にプレゼントしていた。私は記念にとってあるが….着てはいない。

   

 

 

私は娘たちとLAドジャース・スタジアムで野茂英雄の完封試合を観たことがある。今から25年くらい前の話しだ。その時、娘たちを【ダイブ】というシュワちゃん、スタローン、スプルバーグ監督の共同出費のレストランに連れて行った。行く途中タクシーの運転手さんとずっと会話して【ホテル・カリフォルニア】の前も通過してもらった。【ダイブ】は、サメの水槽があるレストランだったがとっくに閉店していた。ショービズの世界は流れが速い。コロナが明けたら行きたい場所が世界中にある。LAも時間があるなら毎年行きたいし、住んでもいい。パリもロンドンもニューヨークも住んでみたい。

 

昨夜、還暦になってから久々にベンチプレス100キロにトライした。肘を壊してからは高重量を持つのを控えていた。この2018年の8月ベニスビーチのマッスル・ビーチで頭を下げて行うベンチプレス(デクラインプレス)で100キロ持ち上げようとすると、ギャラリーがたくさん見ているので無理をして10レップ持ち上げてからずっと肘痛だったのだ。昨夜は100キロを4回挙げた。片手で持つインクライン・ダンベル・プレスも32キロを10レップ出来た。私はベンチプレス150キロを目標にしている。次にLAに行くならマッスル・ビーチで130キロ以上を持ち上げたい。もうじき61歳になる。日本の60歳代のパワーをアメリカに刻みたいものだ。

 

 

 

ボディビルの父 ジョー・ウェイダーの看板

悪趣味のお土産屋が立ち並ぶベニスのマッスルビーチ。

ミーハーな妻はここでもたくさん買った。筋トレしたことないのに。ちなみに高崎ゴールドジムのご子息は妻の学研教室の生徒さん。

レンタル自転車を20時までにサンタモニカの店に返さないといけない。ゴールドジムから全力疾走している写真。なんとかギリギリ自転車を時間前に返した。

 

 

 

明日の夜【ゴッドファーザー マイケル・コルレオーネの最期】を妻と観るのが楽しみである。明日は弊社 巴座ホームアンドピクチャー株式会社【ともえ座のいえ】のブランド【カリフォルニアリフォーム】の平屋の傑作【サンライズ】を新規のアメリカ大好きな若いお客様を連れてご案内する。完成前のハワイの平屋【Ayumi Aloha】も見学する。【サンライズ】はLAのビーチの家をイメージして設計・デザインした。ジャクソン・ブラウンの曲でイーグルスの代表曲の【テイク・イット・イージー】が似合う家だ『気楽にいこうぜ』まさにそんな家で、住んでいるAさんもとても太陽のように明るい人だ。LAは笑顔と太陽が似合うロックな町で映画の街だ。

 

私はこれからも世界を旅して、この日本にその見聞で学んだ映画のような家をたくさん作っていきたいと考えている。

皆さま どうかよろしくお願いいたします。

 

LA アイル・ビー・バック!!

 

 

【ゴッドファーザー】を撮った街で    完

 

 


かつやまとお父さん

2021-02-18 18:17:19 | 日記・エッセイ・コラム

『芸人になりたい』

その日が来たのは、息子が大学に入学して四か月が過ぎた夏の日のことだった。

息子の短い大学時代。私は東京農大の門はくぐっていない。函館に蝦夷共和国をつくろうと目論んだ榎本武揚が作った学校に進んでくれた時は少しうれしかったが….

 

 

息子の名前は【佳津山】と書き、【かつやま】と書く。

 

現在25歳で、職業は吉本興行に所属する5年目の芸人であり、いわゆる芸能人である。まだ売れてはいない。

 

我が家の長男ではあるが、歳のすごく離れた末っ子でもある。小学校時代から友達も多く、群馬県高崎市の少年サッカークラブチームFC片岡に所属していた。サッカー選手としては並みの上くらいで、格別上手い選手ではなかったが、毎週のように河川敷やたくさんのピッチに立ち、私と妻は、それはそれは,毎試合 毎試合、息子の活躍を観るのが楽しみで楽しみでワクワクさせてもらった。

紫外線に弱く、眼球や頭皮まで日焼けする不憫な息子にFC片岡の立花監督は帽子をかぶれるゴールキーパーのポジションを与えた。6年生の時である。フォワードからの抜擢であった。

 

私は息子に革製のサッカースパイクや流行りのジャージを買い与えるために稼いだ。ともえ座のいえの前身にあたる時代だったので、まだ生活は安定していなかったが、親というものは健気(けなげ)で、私も妻も息子のためになんでもしてやろうと思った。

 

息子は妻の善い処が似ていて人付き合いを大切にして、人を悪く言う人間ではない。学生時代はリーダーシップもあり、友達の親御さんからも「かっちゃんはいい子ですね」と、褒めていただいていた。勉強にも真面目に取り組み成績も良く、部活も頑張り、妻そのものというか….善い行いができる素直で明るい子供であった。家にはいつも同級生やサッカー仲間や学校の仲間たちが大挙して押し寄せていた。

 

「かつやまが吉本芸人になるために大学を辞めるんだよ」と、学生時代の親御さんたちに話すと皆さん口をそろえて「大丈夫!かっちゃんなら必ずうまくいく!」「うあわー!楽しみー!絶対に売れる!」と言うのである。誰ひとり「え?大丈夫?」とか「やめたほうがいいよ」とは言わなかった。これは息子の普段の行動がそう言わせたのだとすると息子かつやまは、たいした人間だと思う。

なんばグランド花月でダウンタウンの着ぐるみとスリーショット。この日から私は息子が芸人になると確信しており大阪での息子の様子を動画にたくさん収めている。将来【情熱大陸】に出演するときのVTRとして。

 

東京農業大学醸造学科に入学が決まった正月に私は息子を大阪の二泊三日の旅に誘った。

 

息子が吉本芸人になりたいことは私も妻も知っていた。「今度のお正月に大阪行ってさ、かつやまに吉本の本場の雰囲気を味合わせてあげたいな」との私の提案に妻も「本人が行きたいならいいけど、行くかな…」 結果「行きたい」との息子の言葉で急遽の予約でホテルを二部屋取り車で大阪に向かった。当時の車は歴代の愛車でもかなり気に入っていた真っ赤なHONDAオデッセイアブソルートの4WDで、家族では【RED~レッド】と呼んでいた。

家を出てから大阪に着くまで息子はひたすら寝ていた。この車にはナビが無くiPadのグーグルマップでなんとか大阪のアークホテルに到着した。

 

HONDAの低重心の考え方はこの三代目Odysseyでさらに加速するがセールスには結ばなかったらしい。 私は初代、三代目を乗って今も五代目を乗っているが運転が面白いのは三代目アブソルート4WD

息子は妻に体型が似た。手足が長く。洋服が似合う。息子のREDWINGのアイリッシュセッターは原宿の直営店で購入した。スニーカー好きの息子はほとんどブーツを履かない。この頃は嫌々履いていたのだろう…

 

2013年1月2日大阪。日没前に到着するや親子共々初めての大阪の街に繰り出した。吉本芸人ゆかりのお好み焼きの店に入ってみた。そこは私好みの昭和の世界だった。

 

行き当たりばったり旅の一発目の食事がファンキーなお好み焼き屋さん。芸人のサインだらけの店内。

この店は現在の巴座本社と共通する昭和を懐かしむ世界がある。

吉本芸人のサインをカメラに収める息子かつやま。芸人になる覚悟がまだできていない頃。

妻が撮った私と息子の貴重な食事の写真。会話というより私の話しを少しだるそうに聞く普通の高校生の図式。

このショットでモデルを変え何回か撮影している。暗かったので編集で明るくしたが、高校生のわりには親の言う通りのポージングをしているあたりは息子らしい。

中川れいじの漫才に出てきそうな酔っ払いのオッサンがうようよいて、煙草や缶の投げ捨てられた汚い道の大阪。

 

私は大阪に行きたかったわけではない。同じ関西なら正月は京都や神戸に行きたい趣向の人間である。要は親バカなので息子が喜ぶかと思い大阪行きを思いついたのである。高校2年生、3年生と【佳津山杉本のすべらない話し】という並みの高校生なら出来ない企画を2年続けて制作した。考えたのは息子で息子の高校の仲間や教師までが協力してくれ、農大二校や早稲田ゼミナールで撮影を行い膨大なビデオフィルムを私が編集した。この息子の本気の企画に私は喜んで協力した。この大阪旅行は【佳津山杉本のすべらない話2 部活対抗戦】の撮影が終わり編集に入る前の段階の頃だったので私は『大学は受かったが吉本に入りたいのでは….』と良く妻と話している時期だったので頼まれてもいないのに吉本の聖地に息子を誘ったのである。

 

高校3年時制作の【佳津山杉本のすべらない話 部活対抗戦】1時間20分。この写真をBlu-ray版20枚、DVD100枚のジャケットに使用した。

【佳津山杉本のすべらない話】の映像の一コマ。この日の撮影のために急遽HDビデオカメラを購入した。農大二校の学ランを織り込んで背広に見立てた。メンバー全員のネクタイは全て私の私物である。このネクタイで先日放映された【ガキ使】の初出演も果たした。

この撮影に協力してくれた学友の皆様に今でも親として心から感謝している。

息子はこの後に制作された【佳津山杉本のすべらない話話2 部活対抗戦】が気に入っててこのDVDを黒歴史のように言うが私はこの作品のほうが笑える。

農大二校の親御さんたちから「吉本に送るべき」「フジTVにおくるべき」とたくさんの反響をいただいた。この記念すべき第一作目はDVDは50枚から100枚の間コピーしたように覚えている。

 

 

息子は大学1年の前期試験の前に家に帰ってきた。その日は長女も次女もたまたま全員家にいた。少し緊張しながら「あのさ。俺。吉本のNSCに入りたいんだ。」 息子は緊張からか胃酸のような酸っぱい匂いが口から出ていた。眼球の動きも落ち着かない。その息子の決意を私はリラックスして聞いていた。格別驚きもしなかったし、やっと話す気になったんだなとだけ思った。

 

「You やっちゃいなよ」と、ジャニーズ社長にあやかって息子に言うと、妻と娘たちは微笑み、息子は驚きと緊張の混ざった顔をした。息子は反対されるとでも思っていたのだろうか…だとしたら息子は私の性格や考えを理解していなっかったという事だ。息子は小さいときから、いつも不安げな顔をして私を見ていた。彼の常識に私が当てはまらなかったのだと思う。

 

「でもさ….大学の入学金や授業料払ってもらったし…」などと吉本に入りたいと言ったその同じ口が、困った顔をしてウダウダと元気のない声で言うのである。

「気にするな。それよりそう決意したのならすぐに大学を辞めて今日から芸人として学び生きろ」と言うと「来週から試験がある」とこの期に及んでまだ御託(ごたく)を述べるの息子に妻が「時間の無駄。決まったなら前に進む。以上」と告げた。もちろん大学や農大二校にきちんと自分で将来の夢や希望や感謝を伝えてくるようにとは親として指導はした。

 

吉本興行の養成所NSCに入る入学金を自分で貯めるとかなんとか色々と真面目人間らしいことを話していたがその辺は私は覚えていない。その翌年、NSCに入った息子はその年の8月にイギリス旅行から帰国したばかりの成田空港にいる私と妻に話しがあると連絡をして来た。池袋のサンシャインで時差ボケしたままで会うと以前の燃えていた瞳の息子ではなかった。そのまま高崎に連れていき翌日に話しを聞くとだ….

息子は、当時の群馬の地元大好きなガールフレンドと夏休みを満喫してよほど楽しかったのか「NSCや芸人に合っていないかも….群馬に帰って働いて結婚したい…」やら、かんやらと私と妻にあまりにダサく減滅するような言葉を並べるのであった….昨日までの楽しいイギリスの旅がドッチラケてきたし、正直がっかりした….そして、私も妻も厳しい言葉を息子に浴びせた。

「芸人になったのはお前だが、芸人の親になるのも俺たちは腹をくくった。志半ば(こころざしなかば)であきらめるな。許さない」と言うと「そう言われると思ってた….この気持ちにケリをつけるのでいったんNSCを辞めて来年また入り直して一からやります」と目が覚めたのか、私と妻に力強く約束した。

 

その翌年NSCに再入学した息子は数回コンビを解散して現在の和田ランダマイザに出会い【衝撃デリバリー】を結成した。卒業して2年目にはよくライブや舞台を夫婦で観に行っていたのだが3年目に衝撃デリバリーは【農業住みます芸人イン仙台】の企画で1年間仙台の山奥の坪沼の神社の社務所で住み込み芸人としては遠回りの道を選んだ。

仙台に行く前は貧乏芸人のふたりは痩せていたが帰ってくるころには二人とも美味しいお米の食べ過ぎでデブになっていた。

 

この拓庵思考を書いている少し前に和田ランダマイザは日テレの番組【旅猿】にサバゲーの達人として出演して東野幸治から「衝撃さん 衝撃さん」と番組内で存在感を見せていた。そして同じ週末、日テレダウンタウンの冠番組【ガキ使】にコンビで出演した。

雲の上の人の御前試合。きっと緊張していたのだろうな….

 

 

昨年のTBS【お笑いの日】、昨年末のフジテレビ【細かすぎて伝わらないモノマネ】などダウンタウン、石橋貴明、つるべ師匠などと同じ画面に出ている息子を観て私は不思議と冷静に観ていた。もちろん凄く親としては嬉しいのだが『まだまだこんなもんじゃない』とも思うのである。高校2年の時に【佳津山杉本のすべらない話】のラフ映像を初めて観た日は興奮したし感動もした。高校時代の息子のほうが今よりも輝いて見える。まだ息子は駆け出しの新米だ。芸人5年目で有名番組に出させていただき光栄なことだが、ヒット曲の無いミュージシャンと同じでいつかは『衝撃デリバリーもかつやま知ってる』と子供やお茶の間の方々に言われたとき….私は本当に腹をくくって芸人の親になったことを喜びたいと思っている。

とんねるず貴さんは大きい人だったそうだな。群馬県の先輩芸人の好意で出演させていただいたそうだ。

ゴールデンタイムでの堂々としたネタはあっぱれあっぱれ。

つるべ師匠の温かい眼差しが親として嬉しい。

この後、相方の和田が暴走。浜ちゃんに目をつけられた….

TV観てたらいきなり息子が出て思わず動画を写した。

大先輩の前でもまったく緊張しないようで…面白いコンビで良し。

 

 

あの日、なんばグランド花月でダウンタウンの着ぐるみと並んだ息子が、憧れのダウンタウンと番組に出ている光景が本当に実現した。しかも高校2年の時から貸してある私のドリス・ヴァン・ノッテンのネクタイを締めて出ているのである。そのネクタイは私のお気に入りであった。息子の七五三の撮影に合わせて購入したものだったが、その撮影の日と小学校の入学式の日そのネクタイを私は締めることはなかった….

 

息子と私のツーショットはあまりない。私が写真を撮られるのが嫌いだからなのだが、先日ハードディスクの写真を整理したら息子の小学校の入学式の写真と卒業式の写真が出てきた。私と息子の写真のフォルダには【かつやまとお父さん】と書いてあった。

オニツカタイガーのブレザーを銀座に買いに行った。誰とも似てほしくなかったので。パンツはブーツカットにした。

20年前の私と息子。

 

さきほど嬉しいメールが届いた。『はじめての単独ライブ決まったわ! 4月13日! 配信もありにするから』とあった。

ほう…嬉しいではないか….【かつやまのお父さん】は、とても嬉しい。ワクワクしてきた….

 

 

【かつやまのお父さん】  完