山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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三ツ山城

2018-02-18 19:39:17 | 山城ー上州
まず三ツ山城を紹介しますが、本当に山城なのか?という疑いを持ってしまった山です。

上毛新聞社発行

縄張り図

三ツ山城地図

地方道13号線の信号浄法寺平から西に進み、ふるさとみかぼラインを越えて西に進むと上武カントリークラブのコース内を走る道を進み、クラブコースを抜けると根小屋集落となります。

集落に入って100mくらいに、庚申塔があります。前は牛の牧場でして立ち入り禁止です。奥の山が三ツ山です。この庚申塔から西に30mほどに空き地があり、杉林に入ると山道があります。

尾根に着きました。曲輪と見れば、思えなくありませんが、腰曲輪も堀切もありません。

細尾根が続いて

北尾根を登り

一応、第二曲輪

また細尾根が伸びていきます。なるほど東西は切り立っており、腰曲輪や犬走は必要ないのかもしれません。
第三曲輪

滑落すれば大変な急な北尾根

第四曲輪

また細尾根、この細尾根があれば、堀切は必要ないのかもしれません。

物見台

物見台(推測)

次回 平井金山城

ご覧通り、自然地形ではないかと言われても仕方ないほど、手を加えた場所を私には確認できません。しかし、集落が根小屋とされ、三ツ山城という古文書もあるそうです。また、西から北に三名川を隔てて1.7km西に高山城があります。この三ツ山城の東は神流川を隔てて埼玉県となり、この東側を監視するための高山氏の物見の城ではないかと思います。

高山氏の出自
摂津国三島郡高山村出身の国人。高山氏の出自に関しては、桓武平氏平重綱の子高山二郎重遠を祖とする系図がある。同系図によれば、『太平記』には高山遠江守の名が記され、新田十六騎の一人であったとしている。また、越前守範重なる人物は武蔵野合戦で将軍方に属して功があり、上野国那波郡のうちに所領を賜った。曾孫の経重は上杉禅秀の乱に際して足利持氏方で戦った。その孫にあたる重基が美濃国本巣郡に移住、そしてその子重利が摂津国茨木に移住したとある。
 重利の兄は和田備後守に仕え、長子の重房は高山左近を称し、二子重清は中川清村の養子となって中川氏となった。重房の子がすなわち高山右近であり、重清の子が中川瀬兵衛で系図を信じる限り、両者は従兄弟同士ということになる。武家家伝より






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