山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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鳥坂城④

2016-06-21 11:43:30 | 山城ー越後
墨俣一夜城について講座

岐阜市高田の郷土史家で元学校教諭の田中豊さん(76)が、今年で築城して丸450年を迎える大垣市墨俣町の墨俣一夜城に関する古文書を解読し、冊子を自費出版した。城の規模や、造るのにかかった人手が詳しく書かれていたのを記述した。
 墨俣一夜城は、天下統一を目指していた織田信長が美濃を攻略する拠点として、当時木下藤吉郎と名乗っていた豊臣秀吉に築城を命令。秀吉は一五六六(永禄九)年、とりでのような城を三日間で完成させ、秀吉の出世の足掛かりになったと言われている。
 ただ、城の実態は史料が少なく、不明な点が多い。田中さんは、愛知県江南市の旧家・吉田家が所蔵していた古文書「州俣覚(すのまたおぼえ)」を借りて、解読した。この古文書は、一夜城の記述があることで有名な戦国時代の史料「武功夜話(ぶこうやわ)」と同じ作者が、江戸時代初期に書いたとされている。
 この中に「馬防サク 長サ、壹千弐百間有之候」「高楼 五棟 や具らの高サ、三間半有之」と記され、秀吉が馬の侵入を防ぐ柵を二・二キロ、高さ六メートルのやぐらを五つ築いたことが分かった。材料には、丸太や麻縄、藤づるなどを使用。二千四百九十人余りを動員した。
 また二日目と三日目、人々が念仏を唱えながら、手を休めずひたすら柵を作っていたが、計四十人以上が敵の攻撃に遭い、亡くなったことも書かれている。これらの史実は既に明らかになっているが、田中さんは「築城の陰には、名もなき人の支えがたくさんあったことをあらためて知ってほしい」と話していた。冊子「州俣覚外(ほか)」はB5判、百六ページ。一冊八百円で販売している。また、田中さんは七月九日午後二時から、岐阜市加納城南通の市南部コミュニティセンターで、墨俣一夜城を題材に講演する。歴史愛好家らでつくる「中山道加納宿文化保存会」の主催で、無料。申し込み不要。(問)田中さん=058(246)2904




二の丸から周辺へ

本丸から二の丸を見下ろしています。

二の丸から本丸を見ています。二の丸北側に北虎口が確認できます。

二の丸南下第二曲輪(仮に)へ下ります。

二の丸南下第二曲輪

二の丸南下第一曲輪(第二曲輪の右上の小曲輪)

南下曲輪から本丸・二の丸南城壁を見ています。

南下第二曲輪の西から東に瘤状の土塁、これを南に下ると

南虎口へ

本丸南下曲輪(二の丸南下第二曲輪の西に位置しています。)

南虎口から下に多くの曲輪が縄張り図にありますが草で覆われています。

次回 新潟県 旧守門村(現魚沼市)須川城

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