山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

イベント情報

2018-09-08 21:40:18 | 日記
松本市の山城紹介するHP

松本の山城

このサイトには、林城・桐原城・山辺城・埴原城・稲倉城・伊深城・波多山城・平瀬城・虚空蔵山城・早落城・犬甘城・中塔城と松本市の主な名城の縄張り図(林城)や周辺地図をダウンロードできます。



「二俣城跡及び鳥羽山城跡国史跡指定記念シンポジウム」を開催します
シンポジウムの参加者を募集します
平成30年2月に「二俣城跡及び鳥羽山城跡」が文部科学大臣から国史跡に指定されたことを記念して、国指定の意義、「別城一郭」といわれる両城の特徴や歴史的価値、今後の活用の可能性などについて理解を広めることを目的に、シンポジウムを開催します。この機会に、お城の魅力、城郭や石垣の見方などを楽しく学んでみませんか。
シンポジウムの概要
日時
平成30年11月11日(日曜日)13時から16時まで(12時30分開場)
会場
天竜壬生(みぶ)ホールホームページ(別ウィンドウが開きます)
主催
浜松市、公益財団法人浜松市文化振興財団
入場
無料
定員500名
往復はがきで10月5日(金曜日)までに申込み
応募者多数の場合は抽選→10月中旬に結果を返送
往復はがきの記載方法は下記のとおり
プログラム
13時00分~13時30分:開会(オープニングアトラクション、主催者挨拶、開催趣旨説明)
13時30分~14時30分:記念講演(城郭考古学者・千田嘉博先生「二俣城・鳥羽山城の歴史的意義」)
15時00分~16時00分:トークショー(千田嘉博先生、歴史地理学者・山村亜希先生)
講師紹介
千田嘉博さん(城郭考古学者)
奈良大学教授。名古屋市教育委員会学芸員、国立歴史民俗博物館助教授、奈良大教授を経て2016年まで奈良大学長。2016年NHK大河ドラマ「真田丸」の城郭考証を務める。著書に「信長の城」(岩波書店)、「真田丸の謎」(NHK出版)など。NHK「歴史秘話ヒストリア」などテレビ出演も多数。



山村亜希さん(歴史地理学者)
京都大学大学院准教授。愛知県立大学歴史文化学科に11年間勤務し、2015年から現職。著書に「城下町-空間構造の変遷-」「中世都市の空間構造」など多数。NHK「ブラタモリ」出演。


申し込み方法
往復はがきの記載方法
往復はがきに必要事項(下記参照)をご記入のうえ、10月5日(金曜日)まで(必着)にお申し込みください(記入いただいた個人情報は、本シンポジウムの運営以外の目的には使用しません)。
往復はがき1枚につき3人まで応募できます。



■日時:2018年11月25日(日)日帰り 募集定員40名(名古屋発着30名・りんごの里発着10名限定)
※申し込み多数の場合は、先着順とさせていただきます。
■行程:名古屋駅太閤口集合(7:20) ⇒飯田IC
⇒りんごの里(9:45~10:00) ※飯田市内発着の方はバス乗車
    ⇒南本城跡(10:30~11:30)
    ⇒戸隠手打ちそば あすきにて昼食(11:50~12:40)
    ⇒松尾城跡(12:55~13:10)
    ⇒鈴岡城跡(13:25~13:55)
    ⇒開善寺山門(14:10~14:30)
    ⇒旧小笠原書院&小笠原資料館(14:50~16:00)
    ⇒りんごの里(16:20~16:40) ※飯田市内発着の方は解散
    ⇒飯田IC⇒名古屋駅(19:00)
■旅行代金:お一人様 13,000円(名古屋駅発着) 8,000円(りんごの里発着)
■お申し込み方法:
期間限定プログラムのお申し込みフォームからお申し込みください。
1. [申し込み希望のプログラム]項目から「※その他季節限定プログラム」を選択ください。
2. [ご要望など]項目に「南信州山城探訪ツアー(11/25)」と明記し、代表者の方の年齢、同伴者がいる場合は、同伴者の方の氏名、住所、年齢を記入してください。
※お申し込みは、下記の電話、ファックスでも承っています。
■お申し込み・お問い合わせ:南信州観光公社 長野県飯田市育良町1-2-1
■TEL:0265-28-1747
■FAX:0265-28-1748

長野県知事登録 旅行業第2-431 号 総合旅行業務取扱管理者 高橋充
※このツアーは、旅行特別補償の対象となります。
【備考】
※お申し込み後詳細をご案内させていただきます。
※旅行条件書は、こちらでご確認下さい。
「お知らせ|長野県南部のツアーガイド・南信州観光公社」


四津山城

2018-09-08 20:23:46 | 山城ー武州
四津山城は埼玉県小川町高見にあります、四津山神社一帯が城址です。

四津山城地図

小川町中心を走る地方道11号線の信号総合グランド入口から県道184号線に入り1.2kmくらいに

四津山神社の棒柱があります。

棒柱から1.5kmくらいで神社に着きます。

記念碑に戦国の世に城は築かれ、1488年高見原合戦の戦場となったと記されています。

参道の階段途中に犬走があり

犬走は左側の土塁に守られた腰曲輪に通じています。

階段を登りきると

中継地点の場所に着きます。ここも曲輪です。案内にあるように、神社への階段を登らず、右手に進みます。

大手虎口

二の丸手前に立っています。左が本丸、右手が三の曲輪・四の曲輪となります。

本丸にある縄張り図

高見原の合戦は、長享の乱の中での合戦です。
発端①
上杉氏と古河公方足利成氏との間で30年近くにわたって続けられた享徳の乱の間は上杉一門は一致協力して、成氏とこれを支持する関東の諸大名に対して戦いを続けてきた。だが、文明8年(1476年)、顕定の重臣長尾景春が顕定との確執から突如謀反の兵を挙げると、山内上杉軍は総崩れと化した。これを鎮めたのは同族の扇谷上杉家の家宰であった太田道灌(太田資長)である。
道灌の活躍で景春の反乱自体は鎮圧されたものの、関東管領である顕定と山内上杉家の権威は落ち込み、道灌の主君である扇谷上杉家の上杉定正の権威が高まった。かつては世間から「鵬躙之遊」(大きな鳥と小さな鳥)と呼ばれて嘲笑され、定正を嘆かせる程の小さな鳥であった扇谷上杉家が、大きな鳥である山内上杉管領家と並ぶ実力を有するに至ったのである。
これを憂慮した顕定は定正に対して道灌の才能はやがて上杉一門を危険に陥れると警告して定正の猜疑心を煽る一方、古河公方足利成氏との和解に踏み切って秘かに定正との戦いの準備を進めていた。やがて、定正は道灌を遠ざけるようになり、道灌も自分の忠義を評価しようとしない定正に不安を抱き始め、万一に備えて息子資康を足利成氏への人質に差し出していた。
文明18年7月26日(1486年8月25日)、相模国糟谷館(現在の神奈川県伊勢原市)にいた上杉定正の元に出仕していた道灌は定正の配下によって暗殺されてしまう。その後、太田資康は江戸城に戻り家督を継承したが、定正は間もなく江戸城を占領して資康を放逐した(江戸城の乱)。扇谷上杉家の支柱として内外の信望が高かった道灌の誅殺は、扇谷上杉家中に動揺をもたらした。特に相模三浦氏では当主の三浦高救(定正の実兄)が定正に代わろうと図って、先代当主である養父三浦時高に追放されるという事件が発生している。
翌長享元年(1487年)、顕定と実兄の定昌(越後守護)は扇谷上杉家に通じた長尾房清の下野国足利庄勧農城(現在の栃木県足利市)を奪い、ここに両上杉家の戦いが勃発したのである。ウィキペディアより