山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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安土城

2017-12-01 19:19:05 | 滋賀県の山城
安土城は十数年前に登っておりますが、今回登って見て、まず拝観料が取られました。それはいいとして、前回は伝羽柴秀吉邸は薮で入り口しか見ることができませんでしたが、今回は整備されており全貌を見ることができました。

安土城地図

安土城から南東1kmほどに安土城考古館・信長の館に再度行きたかったのですが、山を下りて来たのが16:30でしたので断念しました。

安土城の麓、整備され虎口が復元されています。

縄張り図

安土城の歴史



大手道

伝前田利家邸

民家があり、時間的に入ることができませんでした。


縄張り図にあるように前田利家邸の隣に羽柴秀吉邸があります。信長が実はこの両名を一番信頼していたのではと思います。

羽柴邸の北側石垣

北側石垣は通路であり

上段の曲輪へ

上段の曲輪

下段の曲輪を見下ろしています。

羽柴邸を後にして登ってゆきます。以降は次回に

安土城の概要
安土城建設前の安土山(目賀田山)には、当時明智光秀の配下で、近江守護佐々木氏(六角氏)後に浅井長政に仕えた御家人格の目加田(目賀田)氏の居城であり、観音寺城の支城であった目加田(目賀田)城があった。 信長に安土城建設のための用地提供を要請された42代目賀田摂津守貞政は代わりの領地と、現在の目賀田城とを引き換えに目賀田山を信長に明け渡した。
安土城は、織田信長によって、現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた(大中湖)[1]。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。総奉行は丹羽長秀、普請奉行に木村高重、大工棟梁には岡部又右衛門、縄張奉行には羽柴秀吉、石奉行には西尾吉次、小沢六郎三郎、吉田平内、大西某、瓦奉行には小川祐忠、堀部佐内、青山助一があたった。
この城を築城した目的は、岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されている。城郭の規模、容姿は、太田牛一や宣教師の記述にあるように天下布武(信長の天下統一事業)を象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされる。ウィキペディアより